第25話 貴族と平民(前編)
◇
入学して三ヶ月もすれば、この学院のルールのようなものが何となく分かってくる頃合いだ。
例えばあれである。
「身の程を知れ!」
誰かが誰かを一喝していた。
怒っているのは上級生。
幾人かの取り巻きを従えた女子で、足元で尻もちをついてしまっているこれまた上級生の男子を睥睨している。
転んでいるのは取り巻きの一人に突き飛ばされたからだ。
場所は校門近く。
登校する生徒がわらわらと集まっている時間で、目立つことこの上無い。
そういうわけで野次馬には事欠かず、わたしもその一人というわけだ。
ちなみにこの学院、貴族は学院内に専用の学生寮があって、そこから通う場合が多い。
平民は校外の寄宿先から。
そのあたりも明確な差がある。
そういうわけで登校してきた矢先、騒動を目にしたのだった。
「……誰?」
一緒に登校してきたクレーリアに聞いてみる。
このクレーリア、貴族専用の学生寮をあてがってもらっているにも関わらず、毎朝わたしを迎えてきてくれる。
入学してすぐすれば、彼女も貴族と平民の身分差を弁えて、わたしと距離を取るだろうとは思っていた。
ところが案に反してそうはならず、こうやって毎朝迎えに来てくれる始末。
そういう性格なのだろうけど、将来を考えると少し心配にもなった。
「え? ご存じないのですか? あの方は公爵令嬢の――」
「そっちは知ってるわ。倒れてる方」
前世の記憶があるので、さすがに有名どころの貴族の名と顔は知っている。
今ふんぞり返っているのは学院五年生。十六か十七歳。
みんな制服を着ているので分かりずらいけど、学院では比較的有名な顔の一人。
この王国で三つある公爵家のひとつ、バルシュミーデ公爵家三女・ユーディット・エル・バルシュミーデ。
現在この学院で公爵家の子弟は二人が在学しているため、身分的には一位二位を争う人物だ。
帯剣していることからも分かるように、すでに騎士爵を得ていて、その実力は確か。
ついでに男勝りで、憧れて寄って来る同性が多いとか何とか。
彼女に目をつけられたらまず無事に卒業できないというのは、たぶん知らぬ者もいないだろう。
「えっと……ちょっと、お顔は存じません。ですが、平民の方かと」
「そうでしょうね」
如何に公爵令嬢とはいえ、格下とはいえ貴族相手に面罵できるかといえば、まあやる奴もいるけど、そんなに多いことでもない。
政治的な問題に直結しかねないからである。
例えば身分的には公爵家の方が上でも、実力的には伯爵家の方が上、なんてこともままあるからだ。
たとえば財力などである。
金持ち男爵に借入する伯爵、なんてのも聞いたことはある。
もちろん、わたしのいるレオミュール男爵家は、正真正銘の名ばかり貧乏貴族だけど。
で、こういう公衆の面前での公開処刑は、まあ大抵貴族が平民相手に、ということになるわけだ。
尻もちついている男子生徒はあわれ、恐怖で打ち震えている。
どういう事情かは知らないけど、どうやらあの上級生、ユーディットの勘気に触れてしまったらしい。
あ、剣を抜いた。
するりと抜刀された剣の切っ先を向けられて、青ざめている。
今まさに斬り捨て御免になりそうなシチュエーション。
彼女は公爵家令嬢であり、さらには学院で特別な意味を持つ騎士爵持ち。
そして相手はただの平民。
ユーディットの主張にそれなりの正当性があるのであれば、ここで上級生の生首が転がったとしても、罪に問われることはない。
そもそもこの学院は、騎士や魔法使いを育てる場所であって、そういう能力を日常的に行使されかねない、かなり物騒な環境であるともいえる。
そしてそれらを扱う生徒たちは、当然ながら精神的に未熟。
事件はよく起こるのだ。
一年を通して流血沙汰にならなかった年など無いだろう。
だいたい誰か死ぬ。
もちろん、死ぬのはほとんど平民なんだけどね。
そして学院側も基本、介入しない。
この六年間を無事に卒業できない時点で、例えば貴族社会に出ても謀殺されるだけだし、また実戦に出たとしても生き残ることはできない。
平民の生死など尚更どうでもいい。
だから放置する。
デフォルジュ団長が妙に渋っていたのは、こういうことを知っていたからだ。
単純に命に関わる。
貴族はある程度身分に守られているとはいえ、平民は完全に無防備。
そういうことなのだろう。
まあわたしも知ってたけどね。
経験済みだし。
「こ、殺すのか……!?」
ガチガチに震えた上級生が、何とか声を絞り出す。
「平民ごときが貴族に手を出すなど、不敬にも程があるだろう」
ユーディットは殺る気満々、って感じだな。
「た、助けてくれ グレーテ……! お、俺はそんなつもりじゃ……!」
取り巻きの一人へと懇願する上級生。
どうやらあの平民の上級生、グレーテというユーディットの取り巻き貴族の女子に、取り入っていたのだろう。
それは平民が身を守るためによくやる手のひとつでもある。
わたしがクレーリアと一緒にいるのだって、そんな風に周囲に見られている可能性は高い。
で、あちらの場合、男と女であるし、何かしらの一線を越えてしまって拒絶された結果こうなったのか、もしくは裏切られたのか。
……ん。
これは裏切りの方かもね。
あのグレーテという女子、懇願する上級生を困惑する様子で見返してはいるけれど、口の端が歪んでいた。
何かしら愉悦に浸っている感じだ。
となると、あの哀れな上級生は弄ばれた結果、公開処刑されて処分される、といったところか。
ま、誰も助けてはくれないだろう。
エドガーでもいれば迷わずに割って入っただろうけど、彼が入学するのは二年後だしね。
となれば仕方が無い。
わたしものんびり見物しよう。
「あの、ネロヴィア様? あの方は……どうなってしまうんでしょう?」
クレーリアの問いに、わたしは素っ気なく答える。
「死ぬんじゃないの?」
「そんな」
「クレーリアもちゃんと見ておいた方が――まあ、見なくてもいいけど、こういう現実は受け止めておいた方がいいわ。ここはこういう社会。あなたは支配する側の人間なんだから」
「でも……」
クレーリアは納得いかない様子だ。
わたしみたいな平民とお近づきになりたがるような奇特な性格であるし、分からないでもないが、しかし社会の暗黙のルールは知っておくべきでもある。
「助けて……あげられませんか?」
「えー……」
わたしは嫌そうに、クレーリアを見返す。
「面倒なことになるわ」
学院に入ってまだ状況確認中の身の上である。
今目立つことをするのは避けたい。
というかここでしゃしゃり出れば、確実にユーディット一派に目をつけられてしまう。
それに大前提ではあるけれど、あの哀れな上級生を助けるメリットが何一つ無いのだ。
クレーリアのように友人関係であるならば、多少は頑張りもするけれど。
でもやっぱりダメね。
まだいろいろ時期尚早だもの。
「クレーリア、悪いけど――」
断ろうとして、わたしは見つけてしまった。
この騒動を聞きつけたらしい
そう、セレスティアだ。
あの銀髪は本当に目立つ。
見つけてしまった瞬間、わたしは反射的に動いていた。
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