第2話 悪魔の契約

       ◇


「あー、やれやれ。こりゃなんつう惨状だか。魂の回収もままならねーじゃねえか」


 そんなぼやきが聞こえて、わたしは消えそうになっていた意識を繋ぎとめることができた。


 視界は相変わらず真っ白。

 でも音が消えている。

 そして何か変なのがいた。


「……山羊?」


 そう。山羊みたいな何か。

 真っ黒な毛並みでそれらしい立派な角もあり、どういうわけか服まで来て偉そうに二足歩行しているそんな変なの。


「おいこらエルキュール。魂寄越せって。溶けてる場合じゃねえだろ。あああ、くそ。めんどくせー……」

「――誰?」

「あん?」


 思わず声を上げれば反応があった。


「なんだ。そっちはまだ生きてんのか。んんん? 生きてる? なんだ、てめー」

「誰って聞いてるの」

「誰って見て分かるだろーが。神もびっくり悪魔様だぜ。今びっくりしてるのは俺様だが」


 まったく意味が分からないが、どうやらあれは悪魔らしい。

 伝承で聞いたことはあったけど……本当にいたんだ。


 その悪魔は聞いてもいないのに、ぺらぺらしゃべりだす。

 というか愚痴のようなものでしかなかったけど。


「こいつの魂をもらう約束でずっと契約してたってのに、死んだとなって来てみりゃ、このザマよ。魂を溶かすとか、相変わらず神の野郎どもってえげつねえ魔法作るよな。スープにでもして飲むのか? そのままかじった方がうめえと思うけど」


 そんな感じでくどくどしゃべっていた話をまとめるならば、こういうことだ。


 魔王エルキュールはこの悪魔と契約して、魔王となった。

 悪魔への報酬は、自分が死んだ後に魂を捧げること。

 つまり蘇生や転生の類ができなくなる、ということだろうか。


 そして魔王は死んだ。

 そこでこの悪魔がやってきたけど、その魂は例の魔法のせいで溶けてしまっていたらしく、ただ働きだと愚痴っている――そんなところらしい。


「じゃあわたしと契約して」

「あん?」


 悪魔の口が止まる。

 そして胡乱げな目でわたしを見た。


「てめー、自分が何言ってんのかわかってるのか?」

「わかってる」

「わかってねえな。俺様と契約するってことは、あとで魂を食われるってことだぜ?」

「死んだあとのことなんて、別にどうでもいい」

「そりゃそーかもしれんが」

「だから早く」

「つってもなあ」


 そこで悪魔はじろじろとわたしを見まわしたようだった。

 そして溜息。


 ……何か不愉快な奴だ。


「もう死にそうじゃん? しかも人間だろ、てめー。ンなもんの魂は好みじゃねえっていうか――ん? うわ。なんだこれ」


 そこで何かに気づいたように、悪魔はのぞき込んでくる。


「うひゃあ。こんな真っ黒な魂、初めて見たぜ。これ食えるの?」

「失礼な奴」

「腹壊しそうだぜこれ。どーゆう人生歩んだらこーなるんだ?」


 別に大した人生じゃない。


 ただ今この瞬間においてならば、最悪最低なのかもしれないけど。


「腐ってるよなあ」


 言いたい放題の悪魔に、さすがにカチンときた。


「はああ!?」


 さっきから聞いていれば失礼な奴だ。


「悪魔のくせに、ビビってるの? 意気地無しなの? とっとと契約しろって言ってるのよ! こっちがそっちを食い殺すわよ!?」

「うわ。こえ」


 思わず本性が出てしまったけど、正直どうでもいい。


「なんだこれ。さわったら噛みつくやつだろ」


 などと言いながら、わたしの頬をつんつんとつついてくる。

 ならばお望み通りだ。


「うぎゃあ!? マジで噛みやがった! いてて! 指が千切れるってば! やめてやめてぎゃー!」


 食い千切った指先を咀嚼して、そのまま飲み込んでやる。

 毛むくじゃらだったせいもあって、何とものど越しが悪い。


「うそだろ!? 本気で喰いやがった! 俺様を食う!? いかれてんだろてめー!」

「愚図は嫌いなの。で、どうするの? するの? しないの!?」

「わかったから! その負のオーラ全開で脅すんじゃねえ!」


 どうやら快く了承してくれたらしい。


「……てか、悪魔の俺様を脅す人間って何なんだよ……。指、ちゃんと生えてくるんだろーな……くそう」

「そんなことより、これ、どういう状況なの?」


 何やらいじけている悪魔など放っておいて、まずは状況確認だ。


 視界は相変わらず真っ白。

 何も見えない。


 ただ自分やこの悪魔、あと倒れているエルキュールやシルヴェストルらの姿だけが認識できている。


「いや、だからさ。魂溶けかかってたから、あわてて時間止めたんだよ」


 何か凄いことをさらりという悪魔。


「時間停止とかできるの?」


 それは凄い。

 神代の魔法にもそんなもの無いのではないだろうか。

 あるのかもしれないけれど、今のわたしではそこまでの知識は無い。


「まあ疑似的に、だけどな。てか、誰にでもできるわけじゃねえぞ? この大悪魔である俺様だからこそ――」

「聞いてないから」

「お、おぅ。……なかなかひでー人間だな、てめー」

「てめえ、じゃない。ネロヴィアよ。次舐めた呼び方したら、その舌引っこ抜くから」

「……俺様って悪魔だよな? 違ったっけ?」


 こくこく頷きながらも、何やらアイデンティティを確認するかのように自問する悪魔だったけど、まあどうでもいい。

 問題はこの契約をどう活かすかだ。


 たぶん、もうこの世界でのわたしはダメだ。

 あの女の計画通りに進んで、そういう結果に終わろうとしている。


 大聖域発動の中心にいたせいか魔王も死んでしまったみたいだし、シルヴェストルも力尽きて息絶えている。


 エドガーやゼトも死んだ。

 わたしも似たようなもの。


 残ったセレスティアがどういうつもりなのかは知らないけれど、わたしたちはこれまで利用された挙句、裏切られたのだ。

 まったく今まで気づかなかったわたしが不甲斐なかったとはいえ、あの瞬間で裏切ることの何て効果的なことか。


 とにかくわたしは負けた。

 そこは認める。


 でも、だからといって泣き寝入りはしない。

 ならばどうするか。


「てかてめー……い、いや、ネロヴィアだったか。何で時間止めてんのに動けるんだよ?」

「知らないわよ馬鹿。考え事しているんだから話しかけないで」

「み、身も蓋もねえ……」


 時間を止めているのに動ける?

 確かに何でだろう。


「もしかして聖女候補だったから? 一応聖域魔法、わたしも使えるし」


 大聖域はともかくとして、小規模な聖域魔法は実は使えるのだ。

 そしてそれが神に祝福された証左でもり、聖女候補の証明にもなる。


「はああ!? てめー、聖女なの!? なのに魂それだけ真っ黒って、神々のやつら、見る目なさすぎだろ!」

「……ぶっ殺すわよくそ悪魔」

「ひえっ」


 睨まれて、ささっと距離をとる悪魔。


「わたし、いろいろあって苛々しているの。八つ当たりしたくて仕方が無いの。わかるわよね? わからないの? わからせてあげようか?」

「わかったわかった頼むから殺意を撒き散らさんでくれよ! 俺様まで浸食されるだろーが! 時間停止、やめちゃうぞ!? やめたらあんた、困るだろ!?」


 時間停止、か。

 時間……。


「ねえ」

「な、なんだよ」

「あなた、時間を操れるのね?」

「お? おお、おうよ! すげえだろ?」

「凄いわ」


 そこは掛け値なしにそう思う。


「じゃあわたしを過去に戻すことってできる?」

「あー。人生やり直したいってやつか。できるぜ」


 意外にもあっさりと、悪魔は断言してみせた。


「そーいうのって、多いんだよな。人生どん底でもう一度って感じでさ。けどな、やめとけよ。クソみたいな人生をもう一尾やり直すよか、いっそ新しい人生歩んだ方がまだしも運が開けるかもだぜ?」

「それって、転生できるってこと?」

「おおさ」


 この悪魔、案外凄い奴なのかもしれない。


「そんな気軽にできるものなの?」

「できるかどーかは別さ。望むのは勝手。そもそも無理な転生に魂が耐えられない連中の方が圧倒的よ。んで、そーゆう潰れた魂は、俺様が美味しくいただくって感じでけっこう効率的なんだよな」


 なるほど。

 どうやら強制的な転生は相当にリスクが高いらしく、でも悪魔からすれば契約さえあれば、効率よく魂を自分のものにできるというわけか。


「過去に戻るのも難しいの?」

「いーや? ただなあ」

「ただなによ?」

「結局同じことの繰り返しなわけだし、俺様たち悪魔からすれば無駄な時間っていうか何ていうか」

「繰り返さなきゃいいんでしょ?」

「同じ環境に放り込まれれば、大抵同じ結果になるって。考えてもみ? 過去の自分が違う選択肢を選ぶとか、ありえねえだろ?」


 それもそうだ。

 何も知らずに過去に戻っても、繰り返すだけ。

 なら。


「今の記憶を持ったまま、戻れる?」

「あー」


 また微妙な顔になる悪魔。


「なによ?」

「その手のパターンも経験あるけどな。だいたい気ぃ狂うぞ?」

「あは」


 なるほど。


 そうかもしれない。

 こんなふざけた結末の記憶と共に過去に戻ったら、まっとうな精神でいられる方が難しいだろう。


 でも好都合だ。

 だから笑みがこぼれてしまった。


「ちょうどいいわよそれ」

「あん?」

「狂ってなきゃやってられないもの。あなた、どうしてわたしが過去に戻りたいってお願いしているのか、わかってる?」

「少なくともお願いしてる態度じゃねーな」


 などといらんことをぼやきつつも、悪魔は考えたようだった。


「人生をやり直したいからだろ?」

「それは手段であって目的じゃないわ」

「目的ねえ。今度こそ幸せにってか?」

「まさか。単に復讐したいだけ」


 答えた声は、自分でもびっくりするくらい冷たくて。

 悪魔の方は情けなくも、また引いているし。


「お、おう」

「だったら狂っていた方がやり易いでしょ? そういうわけだから――さっさとやれ」

「俺様、なんかやばい奴と契約結ぼうとしてんじゃねーだろうな……」


 悪魔のぼやきなんて正直どうでもよく。

 わたしはその尻を蹴飛ばしたのだった。

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