第14話 若さとは後ろを振り返らないこと

 週明けには、なんとか全員が各教科担当から課題の合格を貰うことができた。


最後まで残っていた杏子も土日の間で課題を仕上げてきた様で、期末試験から一週間と少し経って、ようやっとクラス全員の進級が認められた。


無事に進級も決まり、いよいよ皆で揃って目でたく春を迎えることができる。

 



 校庭に出ると、向こうに見える桜の花は五分咲きといったところ。


今年も入学式まで持ってくれれば良いがと思ったのだが、次の四月にはもう、おれはこの学校にはいないことを思い出した。


来年以降、もうこの先見ることの無いであろうこの桜の木が、満開になっている様を思い浮かべた。まだ少し冷たい風が時折吹き、それに乗ったピンクの花弁がちらほらと。


木に寄り添う様に群がっているのは……奴らだ。


 

「タツ兄!」



 名前を呼ばれ、幻想的に舞い散る花びらがスーッと消えた。目に映るのは、未だ五分咲きの桜の木。


「タツ兄、何ボーッとしよん?」


 ふと我に返ったおれの目の前には、体操服に着替えた十三組の奴らが並んで立っている。


「もうチャイム鳴って皆んな揃っとるで」


「あぁ、悪ぃ悪ぃ」


「あったかくなってきたけん気ぃ抜けとんやろ?」


「うるせぇなぁ。てめぇらと一緒にすんじゃねぇよ」


 皆が茶々を入れてくる中、杏子だけは笑っていなかった。




 春だからぼぅっとしているのは何もおれだけではない。期末試験と補習課題で追い込まれていたこいつらも一気に肩の荷が降りたからか、どことなく浮ついて見える。


締まりが無いのは今に始まったことではないが、三月の陽気が、より一層に奴らの気を緩ませるのか。



 ある日の朝のホームルーム。おれは少し遅れて教室へと出向いたのだが、その日はほとんどの者がこれまで以上に何やら気の抜けた顔をしており、顔を机に伏せている者も多かった。


「いつも以上に朝からパッとしねぇなあ、お前らは。春だからって、本当に」


 誰も返事をしない。まぁ、多少なり気が抜けてしまうのも分からんことはない。もうじき、この学校に来てから二度目の春を迎える。




――二度目の春。校舎の脇に咲く桜はほぼ満開である。この調子なら、雨でも降ってしまえば入学式までには全て終わってしまいかねない。


しかし、四国のここは幸いにも雨が少ない土地柄だから、その心配はしなくても良いのかもしれない。いくらかは残るであろう。


 晴天に見舞われた春空。時折ぴゅうと吹く風に乗り、儚げに散る花びらと共に、おれは体育館へと向かった。

 



 本年度の修了式、その後、離任式という流れで式典は執り行われる。


「おはよう」の挨拶のために、毎朝ホームルームには顔を出すと決めてから今日初めて、おれは十三組の朝のホームルームをすっぽかした。


副担任だから別にいてもいなくても差し支えは無いと言われればそれまでだが、この一年、共に一日を迎えてきたあいつらと、朝一番で顔を合わさずにいたら、何となくケツの座りが悪い感じがする。


 修了式の開始から、離任者はステージ横の控室で待機する様言いつけられていたので、今日はまだ一度も奴らの顔を拝んでいない。


 校長をはじめとした偉そうな人達は毎度お決まりの様に、「春休みも高校生らしい生活を……」だの、「新学年に向けての自覚を持って……」だの、お堅い講釈を垂れている。


おれは控室でその話を聞いていたのだが、今にもここまで生徒達のいびきが聞こえてきそうだ。




 滞りなく式典は流れ、いよいよ離任式。退職者の紹介、挨拶へと移った。


壇上の上手に用意された椅子へと腰掛け、下手側には校長や教頭といった偉い方々。


校長の方から一人ずつ名前と簡単な紹介がされた。名前を呼ばれ、紹介を預かる者が立ち上がり一歩前に出て頭を下げている。五人の退職者がいて、一番歳の若いおれは最後に紹介された。


 そしてどうやら紹介を聞く限り他の四人は、おれの様に一年契約などといった理由でこの学校を離れる訳ではないらしい。定年退職の方もいたが、中には自身のスキルアップや新たな夢を追うためにこの学校を離れ、新天地へと向かうのだと。


 ある意味で、おれにはそれが羨ましく思えた。


教師であるおれの目標や夢は、奴らと共にあるはずだ、そうあるべきだと思えるから。


今更ながら、ここに夢を残して奴らと別れることが、何とも口惜しい。


 本来であれば教師というものは、「おう!これからの人生も、図太く逞しくてめぇらしく、しっかりやっていくんだぞ!」と、卒業して社会に飛び出していく生徒達を見送る立場の人間であるはずだ。


 しかしおれは今日、奴らに見送られる側の人間としてこのステージに上がっている。


奴らがこれからしたかもしれない成長とその過程、そして巣立っていくその後ろ姿を、この目で見ることができないと考えると、何とも何とも口惜しい。


離任式の中心に座るこの今、いよいよ今日でここを離れるのだと考えれば考えるほど、おれの胸がキュっと締め付ける様になった。




 紹介のあった順に、一人ずつ挨拶を促された。順番に演台で熱く語る他の職員達の話を傍で聞いていたが、やはり教師という人達は、こういう場面で上手に話すものだなと感心した。


 今日までの教師生活での想いを語ったり、偉い人の格言を引用してみたり。


ある一人がうたを贈ると言い出した時には、多少生徒達がざわついたが、うたと言ってもそっちの詩か。


『滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ』


百人一首の中の一首だそう。なかなか染みる詩ではないか。さぞ今日の演説のために、準備し温めてきたのであろう。




 出てくる人出てくる人の話ぶりに感心していると、あっという間におれの番になった。


校長に紹介され、壇上で横に並んで座る職員達に目で促されるまま、おれは中央の演台に立った。眼下には全校生徒。少しだけ手汗が滲む。


 右手の方には十三組の奴らの列。壇上からでも見つけやすい奴らだ。


目を瞑ってスゥーと大きく息を吸い、そのまま体育館の天井を仰いだ。


まぶたに浮かぶのは野良猫どもの姿。


おれはゆっくりと目を開けてから視線を全校生徒に向け、また大きく一つ息を吸ってから口を開いた。




「私は、ある人の想いを受け継いで教師を目指し、この学校にやって来て、そして今、この場所に立っています。バトンを託された。そう言ってしまうと、ただの驕りではないかとも思ってしまいますが、でも確かに私の中には、そのセンセイの温もりが、心が、宿っているのです。バトンというものは、リレーならば後ろから来た者が、前の走者へ前の走者へとゴールを目指して繋いでいくものです。しかしこの、私が受け取った人生のバトンとは不思議なもので、先を行く人達から後ろを歩く若者に向かって託されるのです。てめぇもしっかりやんな、後は頼んだぞ、と。私もこの学校のどこかしらに、沢山のバトンを散りばめたつもりです。少々歪かもしれません。なかなか分かりづらい所に落ちているかもしれません。でも、そいつを見つけた人が手に拾い上げ、いつか走り出してくれる日が来ることを願って、今日、この学校を去ります。もう少しだけ君達と同じ道を、君達の前を走りたかったけど、でも、それは叶いません。いつか君達が追いついて、私を追い抜いていく日が来るまで、私もゆっくり、自分の道を走っていきます。ありがとうございました」




 深く深く頭を下げた。右手の方からは、一際大きな拍手が聞こえてきた気がする。

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