第10話 化けると書いて化粧
――秋。山に囲まれた地域なだけあって、季節の変化が景色と共に現れる。
強い日差しが深い緑をより一層映えさせた夏から一変し、橙というのか赤茶色というのか、「ああ、これが秋の色だ」という景色へと変貌していく。
紅葉した山に傾きかけた西日が当たると、それはなんとも鮮やかなものである。田舎の色はその山の麓にも現れて、稲刈りを直前に控えたこの時期には、金色の絨毯が時折段を為しながらずぅっと向こうまで続いていく。
河原のそばの公園の芝も、冬眠前の色合いになりつつあり、どっちを向いても季節を感じることができる。
練習開始から一週間程経ってからは、パート毎に日替わりで杏子の伴奏に合わせながらの練習に取り組んでいた。杏子がここまでの腕前だと誰も思っていなかったため、思いのほか練習が捗ることとなった。
その翌週からは、「もう、まだるっこしいけん、全体で合わせながらやろや」という桃果の一声で、全員音楽室に集って練習することになった。
放課後の限られた時間とはいえ、毎日練習しているだけあって、日に日に上達していくのが素人のおれの耳でも分かる。
合奏で言うところの、音の粒が揃うとでも言うのだろうか。単なる歌声の集まりから始まったものが、合唱になりつつある。
ただ、何となく何かが足りない様な気がしないでもない。
「お前ら、本当上手になったよな」
「ほやろ?歌いよって気持ちええもん」などと、皆得意げな様子だ。
「でもさあ、何か足んねぇよな。上手くはなってんだけどさ、果たしてこれで、聞いてる人達が感動まですんのかって言われたら分かんねぇんだよな」
「えー。じゃあどうすれば良いんよ」と言われたものの、何をどうすれば良いのかはおれにも分かっていない。
「逆にさ、お前らこの歌をテレビで聴いて感動したって言ってたけどさ、何で感動したの?」
「そりゃ二十四時間テレビのパワーやろ」
「あんなドキュメントみたいな見せ方したらね」
「やっぱそこだよな。この歌を書いた人とか歌ってる人達の背景とか、歌に込められた想いが伝わる気がしたから感動すんだよな」
「でも別に、ウチらが被災した訳やないし、同じ風にはできんやん。どうしろって言うんよ」
的を得てはいるのだが、桃果が口にすると不平不満にしか聞こえないというのがまた面白いところである。
「そりゃあそうだけどよ。でもさ、そこをすっ飛ばしてこの歌を歌うってのは無理なんじゃね?ちゃんとこの歌に込められた想いを理解しようとして、その上で、お前らの感情を込めて歌って初めて、お前らの合唱になると思うんだけど」
おれの抽象的なアドバイスに、「結局、具体的に何をどうしたら良いか分からんのやけど」という声が挙がる。
しばらく皆固まっていたのだが、一つおれに案が浮かんだ。
「とりあえず、朗読でもしてみるか?」
「歌やのに朗読てて」、
「そんなん意味有るん?」
と、案も出さないくせにケチばかり付けるのだからこいつらは。
「知らねぇ。でも、しっかり気持ち込めて読めば抑揚の付け方とか歌詞の理解とかにも繋がるんじゃね?」
「なんかイマイチ、ピンと来んのやけど」
「相変わらずウダウダうるせぇなぁ。大事なのはよう、信じて疑わねぇ。これに尽きんだよ」
「出たよ。タツ兄の変な精神論」
「分かった分かった。やればええんやろ」
無い知恵を絞り合ってもどうせ何も出てきやしないのだからものは試しということで、おれの思いつきである、クラス全員での詩の朗読が始まった。
二、三度読み終えたところで、ピアノに向かって座ったままの杏子と、ピアノの脇に座る環菜の存在を思い出した。
「おい、杏子、環菜。お前らも並んで一緒にやんだよ」
「え〜?うちらも〜?」
「あたぼうよ。合唱なんだ。合わせて唱える、だろ?つまり、心は一つ、だよ。歌い手も伴奏も指揮者も、クラス皆んなの心を一つにしねぇと」
立ち上がった環菜がピアノにもたれながら「その理屈で言うならさ〜、タツ兄もやろや〜」と言う。
「ホンマよ。アタシらぎりにさせて。心は一つ、なんやろ?」と百合も乗っかる。
「ったく、しょうがねぇなぁ」
進学クラスの補習授業を終えて、遅れて練習を見にやって来た担任も、奴らに言われるままこの朗読会に参加させられていた。改めて、クラス全員での詩の朗読に取り組んだ。
翌日からは、二、三度歌詞の朗読をしてから、伴奏に合わせての練習をするというルーティーンができた。続けてみると、これがなかなか。
傍で聴いている身としては、みるみる変化が分かる。何度も何度も声に出して読み返した結果、発音や発声が良くなってきたというのも一つだろうが、それだけでは説明がつかない。
これまでは、ただ歌っているだけだったものが、何やら音に乗せて言葉を語りかけてくる様な。
この理屈をおれはうまく説明できないが、これが歌で感情を表現するということなのだろうか。ただのおれの思いつきであったが、それなりに良い方向に働いている様子である。
ある日の練習後、突然桃果が口を開いた。
「そういやさ、ウチら衣装とかどうするん?」
おれも盲点だった。確かに他のクラスは、発表や演出の練習と並行して、衣装をはじめとした小道具等の製作や準備に取り組んでいる雰囲気が窺える。放課後残って活動しているのはうちのクラスだけではない。
ただ、こいつらの場合は、その要が合唱であることから、そちらまで気が回っていなかった。少しずつ形になり始めたため、いよいよ発表に向けての細かい打ち合わせが必要になってきた。
「確かに。アタシら歌うぎりで、その辺のこと何も考えてなかったよね。タツ兄、何か考えとん?」
「衣装なぁ。おれも全く考えてなかったんだけど」
「そろそろ考えとかなやばくない?もう本番まで一ヶ月切っとんよ?」
せっかくメインの合唱が形になりつつある今、わざわざ他に力や時間を奪われることになるのがおれは億劫だった。
「もうこの際さ、制服で良くない?お前らがやんのはカチッとした合唱なんだしさ」
「まぁ……確かに。そう言われたらそうやね」
反感を食らうかと思ったが、意外と満更でもない様子だ。
おれはてっきり、「そんなん地味やけん嫌やし!」などと言われる事も覚悟していたのだが。ならば、ここはもう一押し。
「お前らのコンセプトは『ギャップ萌え』だろ?すっぴんで髪も黒くして、制服でビッと決めりゃ良いじゃん」
間髪入れずに「えー!髪まで⁉︎」と桃果。
「すっぴんで外出歩くとか無理なんやけど!」と、百合……その他諸々。
「てめぇらは何しに学校来てんだよ。この際さ、眉毛が無ぇ奴は眉毛も生やして、制服も正しく着てさ、生徒規則通りの身なりで発表すりゃあ良いよ」
黙ってはいるが、ギクリとした様子の杏子。同じく眉毛の無い環菜は杏子を見て、他人事の様にケラケラと笑っている。
皆口々に、そんなダサい格好でステージに立つなど有り得ないと、逆風の嵐。
「がたがたうるせぇなぁ、てめぇらは。ま、おれはすっぴん黒髪に一票な!」
合唱の練習で聴いた以上に綺麗にハモった、
「「絶対無理ー!」」
という奴らの声が音楽室に響いた。
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