第6話 クラスマッチは、担任の面子を掛けた鬩ぎ合い

「タツ兄ぃー!おはよー!」

「おはよう、タツ兄」


 景気の良い挨拶と共に、十三組の奴らが教室へと登校してくる。


「おう!お前ら毎日毎日、遅刻ギリギリじゃねぇか!」


「女の子はねぇ、朝の支度に時間掛かるんよ」


「時間掛けりゃ良いってもんじゃねぇんだ。そう変わりゃしねぇんだから、もっと早く来いよ!」


「なんそれ!ひどー!」

「サイテー!」


 いつの間にやら十三組の奴らからおれは、『タツ兄』と呼ばれる様になった。


最初はタツ兄さんだったがすぐに、「さん付けする程立派やないよね」ということで、さんを除いて『タツ兄』になったらしい。全く、失礼極まりない奴らだ。



 あれからおれは毎朝と毎夕のホームルームに顔を出す様にしていた。正直なところ、おれは副担任だから、基本的にはホームルームなぞ別にいてもいなくても変わらないと言ってしまえばそれまでである。


されど、副担任。「おはよう」と「また明日」。授業で関わることの無い日でも、奴ら全員の顔を見て挨拶をしようと心掛けた。


 そして、滞りなくと言っては言い過ぎだが、体育の授業もそれなりに形になりつつある。


全てがうまくいっているとは言い難くとも、歪な歯車が少しずつ噛み合い始めたのであろう。遅刻もやり直しもざれ言も絶えないが、以前ほどそう悪い雰囲気になることは無くなってきた。




 一学期末。他のクラスより一週間遅れてではあるがバドミントンの実技試験も全員終わり、今日からの授業は、クラスマッチに向けての作戦会議となった。


体育館にやって来た十三組の奴らに、円陣を組む様に座らせ集合させた。この、クラスが一体となる様な感じを、おれはそれなりに気に入っているのかもしれない。


「クラスマッチってのはなあ、教員同士の戦いでもあんだよ。てめぇのクラスが勝ちゃあ職員室でもそりゃあ鼻が高ぇってもんだ。だからお前ら絶対勝ちやがれ!」


「そんなね、大人同士の意地の張り合いのためにウチら使わんとってくれん?」


「ホンマよ。ってかそんなん思っとんタツ兄だけやろ?」


 おれの熱い演説にも冷めた反応を見せる桃果、百合という文句の二大巨頭。でも、何だかこの感じにもだいぶ慣れてきた。


「うるせぇなぁ。それによう、『親馬鹿ちゃんりんそば屋の風鈴』って言葉があんだろ?その通りだよ。おれはお前らの副担任だから、当然お前らが勝った方が嬉しいんだ」


「アタシらは別にクラスマッチなんか、授業が無いけん楽やわーくらいのもんよ。ってか、ちゃんりん?そば屋?クラスマッチ関係なくない?」


「なんだよなんだよ百合。煮え切らねぇなぁ」


 そう言いながらおれはポンと一つ膝を叩いて立ち上がり、輪になっている全員に向かって、再度熱を込めた言葉を叩きつけた。


「いいか?勝負事ってのはよう、負けて得るものなんざねぇんだ。やるからにゃあ勝たなきゃ意味ねぇんだよ。負けたけど一生懸命取り組みました。そんなことで讃えられんのはガキのうちだけなんだ。勝ったか負けたか。強いか弱いか。合格か不合格か。結果でしか見てもらえねぇのが世の中ってもんなんだよ。それによう、今のお前らは勉強の方はからっきしだろ?あんなもんは馬鹿がやる事だつって、教科書なんか一つも手ぇ付けやしねぇじゃねぇか。だったらよ、こんな時くれぇ、自分らにもできることはあるんだって、他所のクラスの奴らにも職員室の連中にも見せつけてやれよ。そうすりゃちったぁ担任の顔も立つってもんだろうが」


 我ながら良い啖呵だ。ぐうの音も出ないだろうと鼻高々にこいつらを見下ろしていたら、スッと環菜が手を挙げた。


「じゃあさ〜、アタシらが優勝したら何かご褒美ちょうだいや〜」


 ん?環菜は何を言っているのか。


「ホンマよね。ウチらのおかげでタツ兄も良い思いできるんやったら、そんくらいしても罰当たらんやろ」


 んん?桃果までも。


「アタシは焼肉がええ!」と、百合も続く。何やら不穏な空気になってきた。


「おいおい。たかる相手の足元くらいちゃんと見ろよ。おれのしみったれた給料でお前ら全員に焼肉なんざ食わせられるわきゃあねぇだろ」


「「やーきーにく!やーきーにく!」」


 湧き上がった焼肉コールは一瞬にしてクラス全体に広がり、いよいよ収拾がつかなくなってきた。


困った奴らである。普段は無気力なくせして、こんな時にだけは一致団結するときたものだから。


「よぉぉし、分かったあ!」


 おれはバチィンと自分の腿を叩き、奴らを黙らせた。


「おれも男だ!宵越しの銭なんざ持ちゃあしねぇ!てめぇらが優勝した日にゃあ、肉でも寿司でも好きなもん腹一杯食わせてやらぁ!」


 一瞬の静寂を挟み、ジワジワと膨れ上がった奴らの感情が一挙に決壊した。


「「いぇーい!やきにくー!」」


 拍手喝采。奴らの歓声が校庭に響いた。


「タツ兄、言うたけんね?男に二言は無いけんね?」、

「後からやっぱり無しとかは通用せんで!」


と口々に、もうすでに優勝したかの様な盛り上がりである。


泣く子に飴、『猫にマタタビ』。餌に釣られた愚か者共め。


「おう!その代わり優勝してみやがれってんだ!」

 


 一学期のクラスマッチの種目は、バドミントンとドッジボールである。


 クラスマッチにおいてのルールとしては、バドミントンはダブルスの十一点マッチで、決勝戦以外はデュースは無し。


先に三ペアが勝利した方が勝ち上がりの団体戦形式のトーナメント。最低でも五ペア、十人以上の登録が必要。勝ち上がった際の、控え選手との交代やペアの入れ替えは有りとする。


 ドッジボールは各クラス十五名で出場し、開始時の外野は一人以上、三名以下。五分三セットマッチで二セット先取の勝ち上がりトーナメント戦。


ドッジボールに登録する生徒の人数が多いクラスについては、セット間のコートチェンジの一分のうちに行えるならば、外野の配置や控えのメンバーとの入れ替わりは自由。


その他にも、クラスマッチ用にあつらえた細かなルールが云々かんぬん。


 おれも奴らも、いくら字面を読んだって理解などしようもないから、とりあえずメンバーを選出し練習しながら確認していこうということになった。



 バドミントンは、桃果、百合をはじめ、交代要員も含めた十二名。あとの者はドッジボールと振り分けられた。


「バドミントン組のお前らは相手変えながらひたすら試合な。そんで、この時間の最後に各ペア、おれと勝負すんぞ」


「タツ兄、バドミントンなんかできるん?」


「舐めんなよ。ネット際の魔術師つったらおれの事だよ」


「何それ!ダサッ!」


「うるせぇ!おれに勝ってから言いやがれってんだ!とりあえず先に始めてな。ドッジボールの方の練習もあっからよ」


 残りのドッジボール組の顔ぶれは、杏子、環菜と、なんだか集団行動の班分けを思い起こさせた。


あれ以来、杏子はほとんどおれに口を訊いて来ない。かと言って学校をサボるでもなく、毎日きちんきちんと授業には出席している。


授業に来るからにはこちらも、特別扱いをしたり、差別したりはしないつもりだ。



 レクリエーションとして子ども世代には普及しているドッジボールも、さすが競技化されているだけはあって、その技術体系がきちんと確立されている。


 基本はやはり守備。相手のアタッカーに対して横一例にガッチリ体を寄せ合ってラインを作り、一枚の壁となってボールに備える。


そうすることで、相手も狙いを付けにくくなるし、捕球が上手い者を間に挟んでいくことで、味方の捕球ミスもカバーしやすくなるからだ。


 そして、相手にとって脅威となるのが、カットマンの存在である。


捕球技術や機動力に長けた者が味方のラインの後方に位置し、相手のパス回しを阻止して攻撃のチャンスを広げる役割を担う。外野も含めた相手の動きを察知する観察力と、度胸の要る、言わば専門職である。


 たかだかクラスマッチのドッジボールで、こうも戦術的なことを頭に叩き込んで臨む必要はあるのかとは思いながらも、こんな戦い方があるのだということを、ホワイトボードを駆使しつつ説明してみた。


「そんなんできたらカッコイイやん!私らもやってみよや!」、

「ドッジボールにそんなんあるん知らんかったし。遊びでしかやったことないもんね」


と、意外や意外。皆、食い気味で乗っかってきた。


「でも、お前ら集団行動もやっとだったじゃねぇか。これこそまさに集団行動だぞ?できんの?」


「余裕よ!私らが、どんだけ回れ右やらされてきたと思っとん?」


 乗り気の奴らに物を教えることほど楽しい事は無い。さっそくキャッチボールをして個々の技量を確認し合ってから、役割分担とフォーメーションの会議に取り掛かることにした。



 一学期の間、バドミントンの授業でも様子は見てきたが、杏子と環菜の運動能力の高さには目を見張るものがあった。なのに普段はやる気が無さそうにしているのは、実に腹立たしいものである。


ズバズバ速球を放り合う杏子と環菜を捕まえて聞いてみた。


「お前ら何でそんなに上手いの?」


「やるやろ〜?うちら中学までソフトしよったもん〜」


 得意気に環菜が答える。どうやら杏子も環菜も、小学校から一緒にソフトボールをやってきた仲だという。出身中学が同じだということは資料で目にしていたが、どうりで入学当初から一緒に連るんでいるはずだ。


 ボールへの対応の仕方から、球技経験者であろう者が他にもチラホラ見える。


元バレー部。元バスケットボール部。どいつもこいつも現在は運動部に在籍してはいないのだが、試合に臨むに当たってスポーツの経験者が多いに越した事は無い。


作戦や戦略などと大層なことを言っても、結局はそれらを実行する技量が無ければ話にはならないからだ。というか皆、部活動の一つでもやれば良いのに。


 楽しそうにガンガン速球を放っていた環菜をエースアタッカーに任命した。そしてバレー部をど真ん中に守護神として据え、球技が苦手な者を運動部上がりの者で挟みながらラインを完成させた。


 そしてキーマンには……。


「杏子。お前はカットマンな。走り回って、ボール拾い回って、当てまくってやんな」


「……それってさ、わたしが一番しんどい役ってこと?」


 なんだか久々に杏子と会話をした気がして嬉しくなり、少しだけおれは声のトーンが上がってしまった。


「あたぼうよ!そんな役お前にしかできねぇだろ?」


「あっそ。……別にええけどさ」


 言い終わる前に、すぐに顔をそっぽへとやった。無愛想な態度ではあったが、そう満更でも無いのかもしれない。


 環菜を含めたアタッカー三人のアタック練習も兼ねながら、ラインの者達の捕球、移動の練習をし、時折おれもアタックに参加した。


「ラインはさ、移動の時デコボコになんない様に、投げてくる相手と常に並行にな。そんでボールが来たら膝着いてよう、てめぇらのそのたるんだ腹で受けんだよ腹で!」


「ひどっ!タツ兄、それってセクハラやけんね!」、

「ドッジボールする時は長ズボンやないとあかんねー」、

「やっぱどうしてもボール見よったら離れたりするけん声掛け合おや」


 集団行動では、あれだけ列を乱してきたこいつらが、一生懸命に皆と足並み揃えて活動しようとする姿は、何とも滑稽で、心から微笑ましく思えた。その動機が、たとえ焼き肉だとしても。


 バドミントンの方も、ペアが固定できた様で、楽しそうに打ち合っている。


「よっしゃ!じゃあお前ら順番にかかってこいよ。負けた方がジュースな!」


「じゃあアタシ、コーラがええ!」


「勝ちゃあ良いよ。手加減しねぇかんな!」




 焼き肉を餌に、亡者どもはクラスマッチまでの残りの授業を、今までに無く熱心に取り組んだ。


早く練習がしたいと言わんばかりに、集団走も体操もやり直し無し。


見返りがねぇとやる気の一つも出せねぇのかてめぇらは、という言葉を、おれはそっと胸にしまって一緒に練習に取り組んだ。こうもあからさまだと、かえって清々しい様な気さえした。




 クラスマッチ当日、奴らは異様な盛り上がりと、それに比例する快進撃を見せた。


結果から言えば、バドミントンは三位。桃果と百合の悪たれがそれぞれ先鋒、中堅を担って奮闘し、自分達がセットを落とした試合でも残りのメンバーの応援に尽力していた。


負けたら拗ねくれるのかと思いきや、そんな殊勝な姿を見せるものだから、おれはそれだけで感動してしまった。


どこからくすねて来たのか、ペットボトルを鳴り物代わりにして、甲子園のアルプススタンドさながらの応援をやり始めたのを見た際には、思わず笑ってしまった。



 ドッジボールの方は、決勝まで勝ち進むも惜しくも二位であった。


特に、杏子の活躍には目を見張るものがあった。決勝戦の相手はスポーツ科。スポーツ科は、その全員が現役の運動部員なのだが、そんな生徒達にも引けを取らないプレーを見せつけた。


 杏子の決勝戦でのパスカットは、二セットの間に七本。環菜と二人で競う様に、次々と相手の選手を外野へと押しやったのだが、善戦も一歩及ばず。しかし、二位とはいえ堂々たる成績を残したことには違いない。


 魔の野良猫軍団。授業もろくすっぽ聞かない鼻つまみ者。


教科を受け持つ職員達からは、心なしか煙たがられている様な奴らだったが、今日のこいつらの輝きを見れば、多少なり見る目も変わるであろう。たかだかクラスマッチではあるが、目標があれば直向きに取り組めるということは示せたはずだ。



 その目標である焼き肉には手が届かなかったが、まぁせめてジュースくらいなら奢ってやろうという気になったので、おれは表彰式をすっぽかして、学校のすぐそばにあるコンビニへと走った。


買い込んだジュースがパンパンに入った袋を両手に学校へと戻ると、まだ体育館の生徒達は解散していない様子である。こんな袋を持って顔を出すのも何だと思い、おれは一足先に教室へと向かい、皆の帰りを待つことにした。



 まだ誰もいないはずの教室に入ると、自分の席に座る杏子と、その机に腰掛ける環菜の姿があった。


「ありゃ?お前ら何で居んの?まだ表彰とか校長の小言とか終わってねぇだろ」


「あ〜!それタツ兄が買うて来てくれたん〜?さんきゅ〜!」


 環菜は人の話などこれっぽっちも聞いてない。


「まぁお前らも今日は頑張ったからな。焼き肉とはいかねぇが、ジュースくれえなら奢ってやるよ」


 教卓に、ジュースで一杯の袋を並べた。環菜はピョンと机から降りさっそく袋に飛び付いて来た。


「コーラ、マッチ、ミツヤ、ファンタ……って、全部炭酸やんか〜」


「別にいらねぇんなら構わねぇよ。おれが飲むから」


「うちファンタ好きやけん飲むし〜」


 言い終わる前に環菜はもうファンタを手に取っていた。


「なんなんだよお前は」


 杏子はおれが教室に入ってからずっと、机に頬杖をついたまま黙っている。ガラッと戸を開けた際にはこちらに目をやったが、それっきりおれの方には見向きもしない。


「杏子は?」


 おれが尋ねた質問の返事を、環菜と二人で待っていたのだが、杏子はそっぽを向いたまま答えない。


「じゃあ、環菜。おれらで杏子の分も半分こしようぜ」


「ラッキ〜。うち、マッチも飲みたかったんよね〜」


「微炭酸とか甘ぇよ。ここは、ガッと炭酸のきちぃミツヤだろ」


 おれと環菜のやり取りの横で、そっぽを向いたままポツリと一言。



「……コーラ」



 袋を漁るおれ達の手は止まり、一瞬おれと環菜は目が合った。


ここ最近杏子が纏っていた、おれを寄せつけない様な、少し張り詰めた様な空気が、ほんの少し緩んだような気がし、環菜はいつにも増してニヤニヤしていた。


多分おれの口元も若干緩んでいた様に思える。環菜はコーラを袋から取り出し、杏子に手渡した。


 カシュッ……!


 コーラを煽る杏子を二人で眺めていると、その視線に気付いた杏子がチラとおれと環奈の方に交互に目をやって、


「……なんよ?」と言うので、「別に〜」と返事をしておいた。おれと環菜の声はぴったりハモっていた。



 そうこうしている所へ、表彰や閉会式を終えた皆も教室へと帰ってきた。


「あー!集合すっぽかしてジュースなんか飲みよる!」


「ずるー!ウチらだけのけ者なん?」


 賑やかしの二人を筆頭に、皆ゾロゾロと教室へと入って来た。その手には、二枚の賞状がある。


「お!帰ってきたな。ちゃんとお前らの分もあるよ」


 おれのその言葉を皮切りに、餌に群がる飢えた子猫の様に、皆が教卓にダダっと押し寄せて来た。


「タツ兄ー!ありがとー!」、

「げ!炭酸ぎりやんか!」、

「私オレンジジュースが良かったー」、

「それよりお腹減ったんやけどー」


と、各々好き勝手を言いながらジュースをかっぱらっていく。ジュースを片手に、いつの間にか自然と皆で今日のクラスマッチを振り返っていた。


「私らにしては今日はようやったよね」、

「快挙やろ、快挙!」、

「ってか、やっぱスポーツ科はずるいわ。現役の運動部になんか勝てる訳ないやん」


 こいつらは、何かにつけて文句を言っていないと生きていけない性質なのだろう。


 そのうちの一人が急に、


「杏子ちゃんも凄かったよ!」


と。突然会話に引き摺り込まれ、杏子は戸惑ったのかコーラを片手に固まった。


「ね!ピョーンってバシーって、むっちゃカッコよかったよ!」、

「杏子ちゃん何かスポーツしよったん?」


という質問責めに、杏子はたじろいだまま、「あ」とか、「うん」とか、モゴモゴした返事をしている。


「今日のMVPは文句無しで杏子だよな」


 おれは、自分の席に着いてあわあわしている杏子に近寄り、ポンと頭に手を置いた。


「……触んなや」


 すぐに手を振り払われたが、俯いている杏子の表情は何やらくすぐったそうなそれであった。

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