第5章 例え隠れて見えずとも
言葉を守り伝えるもの 1
美織がタブレットの応答通知をタップすると、画面越しに見えた小さな娘の髪はばっさりと短くなっていた。先日までは背中まであったはずなのに、今は肩より上になっている。
「髪の毛、どうしたの?」
真っ先に尋ねると、娘は悪戯が成功したときのようにニッと笑う。
「あのね。ばぁばといっしょに、切った! ママ、びっくりした?」
「……びっくりした」
美織の答えを聞いた知穂は、「やった!」と叫びながら両手を挙げた。
「パパも、つかさも、びっくりしてた! ママも、びっくりしたー!」
「司くん、でしょ。……でも、どうして切ったの?」
「んー? んー。かみが短くても、カワイイから? ね、ママ。あたし。カワイイ?」
「うん、可愛いよ」
「わーい!」
かわいい、かわいーい、と自作の歌を歌いながらリズムを取る頭の左と右で、知穂が気に入っているリボンも揺れる。
まだ自分では髪に結べないはずなので、これはいつものように夫が結んでくれたのだろう。それを見ながら美織は、知穂が髪を切った理由をなんとなく理解する。
以前は美織が知穂の髪を結んでいた。柔らかい髪をさまざまに彩るのは楽しかったし、知穂も目を輝かせて「ママ、すごーい!」と言ってくれたものだ。
半年前に美織が入院してからは夫が代わりに知穂の髪を結んでいたのだが、生まれついての不器用ぶりを発揮する彼は長い時間をかけても娘の髪を一つに結うのがせいぜい。今も知穂のリボンは左右で高さが違うし、結び目は斜めに大きく傾いでいる。リボンの結び方動画を参考に奮闘した夫が、結果を確認して「どうしてだ?」と首を傾げる様子さえ美織には見えるような気がした。
知穂に、短くなった髪を惜しむ気持ちが感じられないのは、そのあたりも影響しているかもしれない。
――だけど美織はもう知穂の髪を結んでやれないのだから、仕方がない。
考えて潤んできた視界を瞬きで澄まし、なるべく明るい声で「パパはどうしたの」と美織が尋ねると、知穂は横を見ながら「おへやにいった」と答える。
どうやらスマートフォンの操作だけをして、彼は約束通り席は外してくれたらしい。
「ママとおはなし。うれしいな」
そう言って笑う知穂を見ながら、美織も笑みを浮かべた。今の知穂はもう、母と画面越しに話すことに慣れてしまっている。そして残念ながら、美織も。
気兼ねなく話が出来るようにと個室入院を希望してくれた夫へ感謝しつつ、美織はできるだけ点滴が移りこまないよう画面の角度を少し変えてから「知穂」と呼びかける。
「あのね。今日のママは、知穂に大事なお話をするね」
「おはなし。だいじだいじ?」
「そう。だいじだいじよ。ママと知穂だけの、内緒のお話」
「ナイショなの? パパは?」
「パパにも内緒」
「つかさは? ばぁばは?」
「司くん、よ。――内緒。他の誰にも言わないって、ママと約束してくれる?」
難しい顔をしたあとに、知穂はこくりと頷いた。その娘の様子を見ながら美織はほっと息を吐く。
ただ、これから話す内容が知穂に理解できるかどうかは疑問だ。何しろ娘はまだ三歳でしかない。
本当はこんな話をすることにだって何の意味があるのか分からないが、それでも美織は後に血を繋いでしまったから、次の“最後の一人”となった知穂に話をする必要がある。
――いいえ、違う。
美織はきゅっと唇を噛んだ。
本当は、自分で最後にするのが怖いだけかもしれない。だからこうして娘に押し付ける。
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