言葉を守り伝えるもの 2

 言森こともり 美織みおりが生まれたのは山間やまあいの村だった。


 遥かな昔は山からの恵みが豊富で裕福な村だったらしいが、さすがにそれらは現代になるとさほど大きな意味を持たない。若者たちは次々に都会へ出て行き、村に住む者たちの平均年齢は上がっていく。

 そして美織もまた、高校進学に際して村を後にした口だった。

 その裏に便利さや流行などへの憧れがあったことは否定しない。しかし美織が村を出た一番の理由は村人たちへの嫌悪からだ。


 言森を特別な一族として敬っていると見せかけながら、愛想笑いの裏で「この一族とはなるべく関わらずにいよう」と疎遠にする人々の気持ち。

 それらを美織は生まれながらの稀有な能力で読み取っていた。言森の一族には同様の力を持つ者がたまに生まれたようなので、もしかするとこの能力も言森にまつわる因縁の一環なのかもしれなかった。


 ――すべての始まりは数百年前。世の中にまだ“あやかし”という存在がいた頃の話。


 この村に一人の男が住んでいた。

 近くの山に棲む狐の妖を退治し、村に大いなる山の恵みをもたらした男だ。


 男は退治した妖の頭を持ち帰って家の納屋に置いた。頭は不思議な力を持っていた。人を食らう化け物“隠邪おんじゃ”を遠ざける力だ。

 おかげで村には隠邪が出ず、人々は平穏な暮らしを送ることが出来た。


 しかし妖の頭を持ち帰ってしばらくすると、男は三十二歳で亡くなってしまう。そうして男の子どもや孫、さらにその後継たち――後に「言森」と呼ばれるようになった一族は、絶対に三十三歳を越えられなくなった。他家に婿や嫁に出たとしても一族として生まれたのなら同様で、他家で生まれた人物であってもこの一族に婿や嫁として入ると半分ほどの者が三十二歳までに他界した。


 村人たちはこれを「狐の妖を殺したせいで、あの一族は祟られたのだ」と噂した。

 妖を殺した例の男の死亡年齢が三十二歳だったという話がその根拠だった。


 噂が真実なのかどうかは分からないが、一族がどんどん少なくなっていったのは確かだ。美織が物心つく頃に生存していた一族は七人だけ。その後も増減を繰り返しながら、しかし結局は少しずつ減って行き、美織が中学三年のとき入り婿だった祖父が他界したのを最後に言森家は美織ひとりきりとなってしまった。

 それで美織は村を出ようと決め、寮のある都会の高校へ進学した。言森の一族を遠巻きに見ながらひそひそと噂しあうあの村には、もう二度と戻らないつもりだった。


 幸いにして美織が持っていた“相手の気持ちが分かる”という力は言森の一族にしては弱い方だったため、子どもの頃にはもう力をコントロールするコツを掴んでいた。

 村とは比較にならない都会に出て、見たことのないほどの人に囲まれても、音を上げずに暮らしていけたのはそのおかげだ。

 他者の気持ちを必要以上に読むことがないよう、うっかり話してしまうことがないよう。友人たちともつかず離れずそつなく高校生活をすごしながら、美織は高校二年の夏休みを迎える。


 その日、美織は近所のショッピングモールで日用品の買い物をしようと思って寮を出た。しかしなんとなく気が向いて電車に乗り、なんとなく気が向いて知らない駅で降りてみる。

 大きな駅ではなかったが、駅前には思いのほか長い商店街があった。活気にあふれる道を歩きながら小さな店を覗くのはショッピングモールとまた違う感覚で、まるで宝探しのように思えてワクワクする。

 美織は時間を忘れてあちこち見て回っていたのだが、そろそろ昼になろうという頃合、辺りが暗くなったかと思うと急に雨が降りだしてきた。


 多くの人が慌てる中、美織も小走りに店の軒下へ身を寄せる。灰色の雲は遠くまで続いていて、簡単に止むようには見えない。


「出かけるときに晴れてたから、傘なんて持ってきてないよ。不意打ちは卑怯じゃないかなあ?」


 灰色の雲に向かってぼやいていると、すぐ横にも駆け込んでくる人がいた。上背はあるし、嘆息する声は低い。男性なのかな、と何気なく顔を向けた美織は「あれっ」と声を上げる。


納賀良ながらくん?」


 緑のミニタオルで顔を拭っているのは同じクラスの納賀良ながら 聡一そういちだった。彼は整った顔を美織の方へ向け、タオルをサマージャケットのポケットにしまいながら表情を和ませる。


「ああ、言森さん。奇遇だね」

「うん。でもお互い災難だったね」

「本当に」


 言ったあとで聡一がサマージャケットの内側から慎重な手つきで取り出したのは三冊の本だ。彼はしばらくその三冊の本を確かめるようにひっくり返していたが、やがてほっと息を吐いて「大丈夫そうだ、良かった」と独り言のように呟いた。


「本? 買ったの?」

「いや、図書館で借りて来たんだ。僕のじゃないから濡らすわけにいかなくて。雨が降った時には焦ったよ」

「なるほどね。借りた本は大事にしない、と、……」


 美織の声がしぼんだのは題名が目に入ったからだ。三冊の本の背表紙にはすべて『赤ちゃん』の文字が踊っていた。そうして驚いた瞬間に力の枷がはずれ、ごく近くにいる聡一の心が美織の中に流れ込んでくる。

 彼の心の中に「早く家族が欲しい」と切望する気持ちがあったので、美織の口がつい動いた。


「元気な赤ちゃんが生まれるといいね」


 美織は聡一と挨拶程度の付き合いしかなかったが、いわゆる“イケメン”な聡一に興味を持っている友人から噂は聞いている。早くに家族をなくした聡一は遠縁の家に身を寄せていて、立派な古民家に住んでいるとか。身内と呼べるのはその家の初老の女性だけで、他には誰もいないとか。

 だとすれば聡一の手に『赤ちゃん』の本があるのは当人に子どもが生まれるとしか考えられない。『立派な古民家』に住んでいるような旧家であれば早い結婚もあるかもしれないと思ってのことだったが、さすがに法律上はまだ結婚ができない年齢なのだから「まずいことを言ったかな」と反省する。


 しかし聡一には気を悪くした様子が見られなかった。きょとんとした彼は美織の視線を追ったあと、理解した、といった表情でくすりと微笑う。


「ありがとう。だけどもう生まれてるんだよ。今度会わせてもらう予定だから、先にいろいろと勉強しておこうかと思って」

「そっか。離れて暮らしてるんだね。寂しくない?」

「……別に寂しくはないけど……」


 若干の困惑をこめて答えてから、聡一は笑みをふと悪戯めいたものに変える。


「言っておくけど、僕の子どもじゃないからね?」

「えっ、そうだったの!」

「やっぱり勘違いしてた!」


 そう言って声をあげて笑う聡一には怒りの感情は見えず、ただただ愉快さだけが使わってくる。


「この赤ちゃんっていうのはね。僕がお世話になってる家の、息子さんの子どもだよ」

「ああああ……ご、ごめんなさい」


 確かに普通であれば当人の子どもだとはあまり考えない状況だ。家族や親族に生まれる、と考えるほうが自然だろう。

 顔を赤くして美織が謝ると、くつくつと笑う聡一は目にたまった涙を指で拭って首を横に振る。


「言森さんって思慮深い人だと思ってたけど、こんな風に早とちりするタイプだったんだ。意外だね」


 別に美織は思慮深いわけではない。力を使って相手の気持ちを感じ取るべきかどうかの最適解を考えながら立ちまわっているせいで、そんな印象になるだけだ。

 だけどもちろん言う訳にはいかないので、はぐらかすように視線をそらした美織は軒先から滴る雨粒を見つつ混ぜ返す。


「だったら納賀良くんも意外だよ。もっと静かな人だと思ってた。私の周りじゃ『お爺ちゃんと話してるみたいでホッとする』なんて言われるくらいなのに」

「お爺ちゃん!」

「うん」


 うなずいた美織は小さく唸る。


「……そうねえ……少なくとも、納賀良くんがこんなによく笑う人だなんて誰も思ってないよ……」


 再び涙を浮かべながら笑う聡一にはきっと、今の美織の呟きは届いていないだろう。

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