3.「今日」の前

「もちろんタダではとは言わない。代わりにこれをあげる」


 脱力する司の前に立ったままのユクミが着物の袂から取り出したのは何枚かの巾着だった。司が財布代わりにしているのと同じ大きさなので、これらも『約束の者』を待つ間にユクミが縫ったのだろう。


「好きなものを選んでいい」


 そう言って友介に差し出した巾着はすべて青系統の色をしていた。やしろの中で見たときは緑や桃など他の色もあったのに、どうやらユクミは青だけを選んで持ってきたらしい。


(なんで青だけ?)


 司は内心で首を傾げるが、友介は特に気にする様子もなく立ち上がり、ウエストポーチの財布から昨日と同じ額の紙幣を同じ枚数だけ抜き取って、


「使いやすそうな大きさだね。それにどれも綺麗な色だから選ぶのが難しいな」


 などと如才なく言いながら一枚の巾着と引き換えに数枚の紙幣をユクミに渡した。

 そのユクミが司を振り返り、


「ほら、司。友介が金を貸してくれたんだから礼を言え」


 と催促するものだから、司は「少々理不尽じゃないか?」と思いながらも礼を述べることになった。

 一方で小さな子に金を強請ねだられた形になった当の友介だが、彼は彼で思うところでもあったのか、ユクミに対して叱ることも説教をすることもない。


「司は電子マネー派だから現金をあまり持ち歩かないもんね。それにしてもなにがあったの? 電子マネー不可の場所で買い物でもするつもり?」


 司を見ながら言って、不思議そうに首を傾げただけだ。しかし司は友介の態度に違和感を覚える。昨日も金を借りたばかりだというのに、それに対して言及する様子がない。

 考えてみれば先ほどの発言もおかしかった。司を見た友介は「ずいぶん久しぶり」と言ったのだ。司は友介と、昨日会ったばかりだというのに。

 もしかするとこの友介は司を騙そうとしているのか。あるいは記憶が改ざんされているか。されているのだとすれば、誰にか。

 何が起きているのかは分からない。だが、何かを成したのが誰なのかは決まっている。ここは聡一と隠邪が作った異界なのだ。


 ユクミと友介の一連のやりとりで少し消えた警戒が戻ってきた。司は体に力を入れ、じり、と左足を下げる。


「友介。俺たちは昨日、会ったよな」

「昨日? 会ってないけど」

「嘘つけ。会ったろうが。今と同じくらいの時間に、婆ちゃんの家の前で。……そのときお前はかねと、モバイルバッテリーを貸してくれた」

「モバイルバッテリーって、もしかしてこれ?」


 友介はウエストポーチから薄型のモバイルバッテリーを取り出す。昨日見たものと同じだ。


「これは一つしか持ってないし……そもそも僕と司が会うのは、たぶん半年ぶりくらいだと思うよ」


 友介からは戸惑いばかりが感じられて司を騙そうとする様子はかけらもない。ならば記憶の改ざんが正解だろうか。


(……いや……待てよ)


 司とユクミの手から失われたのはすべて昨日、得たものだ。その一部が以前のとおり友介の元にあって、そして友介は司に昨日は会っていないという。

 まさか、と思いながら司は口を開いた。


「友介。今日は何月何日だ?」

「……それは何かのテスト?」


 困惑した様子ながらも、友介が告げた日付は司の予想通りあの惨劇の翌日。この異界において司が知る『』だ。


「嘘じゃないよな?」

「本当だよ。司だってスマホくらいあるでしょ? 見てみなよ」

「電池が切れたんだ」


 ぞんざいに返事をして司は唇を噛む。司の巾着やジャケットのポケット、そしてユクミの袂から金や飴が消えた理由がなんとなく分かった。

 この異界における『今日』は『昨日』の続きではない。現に今、司の知る『昨日』は現時点で存在自体が無くなっている。だからこの異界へ出た途端、友介にもらったものがすべて消えたのだ。


(そういうことか……)


 なぜ時が戻ったのかまでは分からない。だが、理由が分からないからこそ不気味で仕方がなかった。


「……悪かったな。今のは冗談だから忘れてくれ」


 そう言って司は顔を背ける。まったく冗談に見えない態度であろうことは分かっているが、演技をする気にすらなれない。


「金をありがとう。返す手段はなんとか見つけるよ、じゃあな」


 行こう、の意を籠めてユクミの背を軽く押し、勝手に歩き出すと、後ろから友介の「待って」という声が追いかけてくる。


「司の事情は、聞かない。お金だって返せるようなら返してくれていい。もしそれができなくっても、僕は一向に構わないんだ」


 そうして友介は言葉を探すかのようにわずかの間、黙る。


「……だけど、佐夜子さんに顔向けができないようなことだけは、したら駄目だよ」


 聞こえてきたのは昨日と同じ内容だった。司が思わず振り返ると、友介は「じゃあね」と軽く手を上げ、司に背を向けて走り出す。その後ろ姿に向かって司はなんとなく声をかけてみた。


「友介、隠邪に気をつけろよ」


 振り返った友介は驚いたように目を見開いている。続いて、くす、と小さく笑った。


「平気だよ。僕は悪い子じゃないから隠邪に食べられたりしない」


 親指を立てた友介は軽快な足取りで角を曲がり、司の視界から消えていった。


 世に広く知られている「隠邪」とは、既におとぎ話の中だけにしかいない存在だ。今ではせいぜい「むかしむかし、人を食べる隠邪と言うものがいた。主には大人の言うことを聞かない悪い子が食べられた」と子どもに聞かせる程度のもの。

 それが実在しているのだと祓邪師は知っていて、だからこそ世に広まらないよう隠邪を退治し、いつまでもおとぎ話の存在にさせている。もちろん実在するのだと他の人に知らしめてはならない。

 だが、友介の表情にも、声色にも、『隠しておくべき話』を公の場でした司への非難もないし、誤魔化そうとする意図もどこにも見えなかった。


(……そうだろうな)


 下を向いた司はアスファルトを蹴りつける。

 この異界の“友介”は元の世界の“友介”とは違う。いま別れたばかりの彼は、隠邪退治を生業とはしていないのだ。

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