2.友達で、味方で
自分たちが持っていたものが無くなった。
これを司は、隠邪と聡一の攻撃ではないかと考えた。
それで咄嗟に鳥居へ視線を向ける。「灰色の異界へ戻ってユクミと協議しよう」との言葉が脳裏をよぎったからだ。実際にもそう言おうとしたのだが、司が口を開くよりも早くユクミが「司」と呼ぶ。
「これは、相手からの攻撃ではないと思う」
彼女の顔の色は少々悪いままだったが、声には揺らぎがなかった。
見上げてくる黄金の瞳を見つめながら司はわずかに眉を寄せる。
「どうしてそう思うのかを聞いていいか?」
「無くなったものはこの異界で得たものばかりだ」
「だからそれが攻撃の一環なんじゃないか? この異界に来て得たものを失ったんだから、きっとこれはあいつらからの警告――」
「落ち着け」
小さな手が司の腕を軽く叩く。
「巾着に入れて、さらに服の中にしまっていたお金だけを奪うような、そんな複雑なことをする力を向けられたのだとしたら私は間違いなく気が付く。だけど少なくとも私は、私たちに向けられた力を何も感知していない。」
「……じゃあ、ユクミはこれがなんだと思ってるんだ?」
「良く分からない。ただ、この異界は昨日と少し気配が違う気がする」
ユクミは昨日からよく「気配」との言葉を口にする。この異界自体に対しても、異界にあった人に対しても。司には「気配」の違いなどさっぱり分からないが、大きな力を持つユクミに感じるものがあるのならそれを信じてみてもいいかもしれない。
そう思えるようになって司も少し落ち着いた。考えてみれば聡一たちがこのような真似をするだろうか。あちらの世界で最後に会った聡一と隠邪の行動に照らし合わせれば、司とユクミに気づいた段階で警告もせずにさっさと排除してしまう気がした。
世界の理屈が分からないからつい小さくなってしまうが、そんなことでは相手の思う壺にはまってしまう。
司は両手で頬を叩いた。痛みは感じないが以前と同様に小気味よい音が響き、なんとなく気分がすっきりした。よし、と呟いて司はその場で軽く柔軟体操をする。この体には必要ないかもしれないが、やった方が気合が入っていい。
「俺の体は疲れを感じないんだよな?」
「……うん」
「じゃあ、ユクミはどうだ? 走るとしたらどのくらいの距離まで走れる?」
ユクミは目を瞬かせ、少し首を傾げる。
「司が行く場所ならどこでも行く」
「そっか。じゃあ、少し遠いけど付き合ってくれ」
「どこまで行くんだ?」
「アヤさんのところだよ。だけど金がなくなったから電車には乗れない。走るしか手段が無いんだ。だけどまあ……正直に言うと俺は電車以外であそこに行ったことがなくてさ。かなり遠いし、道に迷うかもしれないけど、それでもいいか?」
「いい」
ユクミの顔は暗くもならないし嫌悪も浮かばない。
「あそこなら私も方向は分かる。一緒に道を探せると思う」
「本当か? それは助かるよ」
司が言うとユクミは「行こう」と言って少し前に出る。風が吹き、次の瞬間に彼女の耳と尾が消え、髪が黒く色づいた。昨日のように
足を動かした司がユクミを抜く。階段を下りて遊歩道の半ばまで進んでも足音は遅れることなくぴったりついてきた。むしろ余裕がありそうだと知って、ランニングのペースで走っていた司はもっと速度を上げた。風を切る耳の向こうで問題なくついてくる草履の音がしたのでこの速度を維持することにする。疲労はない。
(こんなに走っても全然疲れないなんて、なんだか夢の中にいるみたいだな)
心の中で呟いて司はそのまま橋を通る。左右と正面、どの道へ行くべきかを一瞬だけ迷い、昨日とは違う方向へ進んだ。
この道の先にはコンビニエンスストアがある。そこで刃物を調達しようと思ったのだ。
今日は
次の角を右へ曲がって少し行くとコンビニエンスストアがある。
犯罪行為に手を染める覚悟を決めながら角を曲がり、そこで司は足を止めた。
目的地であるコンビニの前に一人の男性の姿がある。
ウィンドブレーカーとジョガーパンツを着用した彼は、軽快な足取りでこちらへ向かって来た。昨日とは違う道だというのに、なぜまた彼に会ってしまうのか。
「友介……」
何かしらの強制的な力が働いている気がして司は思わず後ずさりする。
対して正面の彼はきょとんとした表情をしたあと、声を上げて駆け寄って来た。
「うわあ、司じゃないか! こんなところで会うなんて奇遇だね。それにずいぶん久しぶりだ!」
目の前に立った友介は昨日と同じ顔で明るく笑う。だが、司は笑うことなどできない。強張った表情で友介を見つめていると、視界の端ですいと黒い何かが動いた。それがユクミの頭だと分かったのは、彼女の声がしてからだ。
「お前は司の味方か?」
先ほどまで司の後ろにいたユクミが司と友介の間に立っていた。司に背を向け、ほんの少し両腕を広げる。その様子はまるで司を背に庇っているようだ。
「私は昨夜、司から話を聞いた。聡一や知穂たちの話だ。だけどお前のこともたくさん出て来た。以前のお前は司にとって良き友だったんだな」
「お、おい……」
突然のユクミの言葉に面くらいながら司は声をかけるが、小さな背からは漂うのは話の中断を許さない断固とした空気だった。その気迫に押されて司は口をつぐむ。
「今のお前はどうなんだ? お前は今も司の友なのか、友介?」
司からユクミの表情は見えないが、声から鑑みるに真剣な表情をしているだろうとは容易に想像がついた。
機転の利く友介のことだ。彼はきっとユクミの奇妙な問いを適当にあしらうだろう。
しかし司の意に反して友介は真面目な表情になり、ユクミに対し膝をつく。それは年下の子どもと目線を合わせるためというより、位の高い相手に対して礼を尽くしているかのようだ。
「以前も今も変わらないよ。僕は司の友達だ」
なんで馬鹿正直に答えてるんだよ、と思うが、司が茶々を入れられるような雰囲気ではなかった。
ユクミの頭が微かに動く。
「本心で言ってるな?」
「本心も本心だよ。例え司が僕を鬱陶しく思ったとしても、僕はずっと司の友達なんだ。……そうだ。これは、ここだけの話だけどね」
ここだけの話、と言いながらも友介はすぐ近くの司を憚って声を潜めるわけでもない。もしかしたら友介は司に話を聞かせたいのだろうか。
「司は、自分の一番の味方は佐夜子さんで、次は
司はドキリとする。話の内容があまりにも状況とよくマッチしすぎていて、友介は今、司と聡一がどのような状態になっているのかを知っているのではないかとすら思ってしまう。
「……なんてね」
友介は雰囲気を変え、司に対してニヤリと笑ってみせた。それは司が今までよく見てきた冗談を言う時の友介の態度だ。
しかし逆に今までよく見てきたから分かる。司は、友介のこんな瞳の強さを今までに見たことがない。
(友介……お前……)
そして友介は膝をついたまま、ユクミに向かって
「こんな答えで満足していただけましたか、お姫様?」
「私は姫ではないが、おおむね満足だ。とにかく今のお前も司の味方だと考えていいんだな? だったら頼みを聞いてほしい」
「なんなりと」
ユクミは友介に向かって手を出した。
「
――これが漫才なら、司は思いっきり「なんでやねん!」と叫ぶところだ。
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