第1章 欠け行く月の影の中

願い

 世界はどこもかしこも灰色をしていた。


 厳密にいえば他にも色はある。簡素な大きな鳥居は古びた木の風合いだし、鳥居から一直線に通る道は土の色、そして道の左右に広がる草原は緑だ。

 ただ、空を覆い尽くす曇天と、降りやまない小糠雨こぬかあめのせいで、すべてが灰色にけぶって見えるだけだった。


 そしてこの陰鬱な灰色の世界には、神が気まぐれで配置したかのようなやしろが一つ、ぽつんとある。もしかすると鳥居も、道も、草原も、すべては社のために存在しているのかもしれない。


 決して大きいとは言えない社の中にいるのは、この世界でただ一人だけ血肉を持つものだ。

 肩の下までの白い髪に黄金の瞳、狐の耳と三本の狐の尾を持つ、幼い娘。


 ほんの短い間だけ目を閉じていた彼女は、ハッとしたかのように瞼を開く。腰を浮かせて辺りを見回し、辺りに何も変化がないことを知って深く息を吐いた。


 ――どうやら眠っていたらしい。


 妖の血を引く彼女は寝食を必要としない。それでこの数百年のほぼすべてをあの鳥居を見ながら過ごしてきたのだが、眠ってしまうなどついぞなかった。妙なことだ、と彼女は胸の中で呟く。

 ただ、その夢の中で彼女は誰かと一緒にいたような気がした。ずっと待っていた誰かと。

 だからいつもと変わらないこの状況が今は殊更に寂しくて、彼女は姿勢を崩し、膝を抱える。


「早く。早く来い、『約束の者』……」


 そう願い続けてどれほどの時が過ぎたのか、彼女はもう覚えていない。

 しかしいつか必ず来るはずの相手を待って、彼女は今日も願い続ける。


「私が必ずお前を助ける。お前の願いを叶えてやる。だから、だから。早く来い」


 世界はまだ、沈黙を続けている。

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