1.月明かりの下で
ここ広い野原の真ん中だ。遠くに見える街灯は司の元まで届かないが、空に
(……まずいな。このまま距離が開くと、後ろの奴らは住宅街の方へ行くかもしれない)
司は左手を上着のポケットへ突っ込み、取り出した香袋を握りつぶした。辺りに肉が腐ったような強烈な臭いが漂う。思わず咳き込んだせいで少しばかり足ももつれたが、その甲斐あって後方の気配は音がしそうなほどに色めきたった。
(よし)
自身が食われないだけの距離を保ちながら闇の色をした異形のものたちを引き連れ、司は終着点と決めてあった野原の一角へ走りこむ。息を整えながら、体内の呪力を右手の刀印――軽く握った手から人差し指と中指を立てたものを――に集めたところで戦闘準備は完了だ。
(さあ、いつでも来い)
近くの街灯が光を失う。夜の中でも尚暗い影が辺りを覆い、光を遮ったのだ。それが合図だったかのように、街灯の下から若い男性が現れて声を張り上げる。
「
中空に広く展開していた影が動きを止め、続いて投網が絞られるようにして集められた。それを見て取った司は一歩前へ踏み込み、右手を大きく横一文字に薙ぐ。
「
司から放たれた呪力の波動が影を包む。次の瞬間に影は音もなく消え、街灯の明かりが戻ってくる。司は大きく息を吐いた。
「七、八体ってとこだったか……今回の数は多かったな」
「お疲れさま、司。お見事だったね」
枯れ草を踏む軽い音が近づき、幼馴染の
「あれだけの数を一回で消せるんだから、司の攻撃術は本当にすごいね。僕だったら三回くらい撃つ必要があるなあ」
「ありがとな。だけどそれも“留”のおかげだ。お前もずいぶん腕を上げたんじゃねぇの?」
「ん、司でも分かるんだ」
ごく自然な様子で笑う友介の言葉には皮肉も嫌味も混ざっていなかったので、司は口に出そう思っていた文句を飲み込んだ。
「今の僕なら十までは“留”られるよ。司の“留”だと、一体止めるのが限界でしょ?」
「馬鹿言え。俺だって二体くらいは何とかなる」
「……嘘だろ。本当にその程度だったんだ」
「そのぶん攻撃術の修練に励んでるんだからいーんだよ」
「言いたいことはあるけど……まあ、
司はじろりと睨みつけるが、当の友介は意に介した様子がない。澄ました顔で呪言を唱えた後にうなずき、ジャケットの胸ポケットからスマートフォンを取り出す。
「僕の感知術にも何もひっかからない。連絡アプリにも討伐完了報告ばっかりで、他の人からのヘルプ要請もなし。ひとまず、付近は安全」
「ってことは討ち漏らした奴もいなさそうだな」
「みたいだね。とりあえず僕たちも討伐完了報告を送るよ」
「頼んだ」
司が言うと、にこりと笑った友介はスマートフォンに目を落とし、操作を始める。
「だけどさ、今日の
「かもな。代わりにこのあと出なくなるってんなら構わないんだけど。……他の人たちは何か言ってるか?」
「んー……特には」
友介は何度かスマートフォンをタップし、「可愛い」と称される顔をほんの少ししかめる。
「いいや。何も。だけどいつもより隠邪の出現数は多いな。その割に中枢部からはいつもと同じ連絡しかないし、僕の父さんも何も言ってないけど……。司の方はどう? 佐夜子さんは何だって?」
「婆ちゃんは今日、討伐には遅れて来るんだよ。政府筋との会談があるんだってさ」
言いながら司は自身のスマートフォンを取り出す。
「代わりに
「そっか。じゃあ、過去の事例と照らし合わせても変なところはないってことだよね」
「だな」
そう結論付けた司は、同じく安堵した様子の友介と顔を見合わせて笑う。
何しろここにいるのは二十歳の若者が二人だ。未だ経験の少ない自分たちが奇妙に思ったとしても、本部でアプリの報告を受け取る複数の年長者たちが何も言わないのだから、そちらの方が正しいに違いない。
気を緩めた途端に寒さを実感した司が思わず身を震わせると、同じタイミングで友介も両手で自分を抱き、二の腕をさする。
「さすがに一月の夜は冷えるね」
「奇遇だな。俺も同じことを考えてたとこ。コートもう一枚欲しいよな」
「シャツの上にジャケット羽織ってコート着てるんだよ? さらに一枚コートなんて着たらモコモコすぎて動けないでしょ」
「例えだよ、例え」
司も友介も着ているものは上から下まで黒づくめだ。夜陰に紛れて動くのならば黒の方がちょうどいい。
「せめてマフラーでも持ってくりゃ良かった」
首をすくめる司の横で、友介が「そうだ」と言いながらコートのポケットをさぐる。
「あったかいものはないけど、あまいものならあるよ。いる?」
「いるいる!」
勢い込んで司が言うと友介がスティックバーを渡してくれた。受け取って礼を述べた司は袋を開けて中身に齧りつく。口の中に広がるチョコの風味が疲れた体に染み渡り、思わず声を上げた。
「いやー、うまいなあ!」
「喜んでもらえてよかったよ」
「喜んだ喜んだ! よし、俺は決めたぞ。明日の朝食はちょっと贅沢して、いつものセットに甘いもんもつける!」
――友介と並んで歩きながら拳を突き上げるこのときの司は、夜が終われば必ず朝はくるのだと。そしてそれはいつものように明るいものなのだと、信じて疑っていなかった。
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