死人は行く道を未来へと誘う ~ただ一人生き残った青年の役目は、裏切り者の作った異界を消すこと。だけど~

杵島 灯

桜は舞う

 桜が花びらを散らす。

 薄墨の空を背景に、儚い白の色がはらはらと舞い落ちる。


 緑の野の中で目印のように一本だけそびえる桜、その太い幹に背を預けていた青年・つかさは、黒いジャケットのポケットに入れていた左手を宙へ向ける。死人しびとの白いてのひらの上に、同じような色の一片がそっと乗った。

 何も言わずに花弁を見つめ続ける彼の顔を、横の幼い娘が見上げる。白い狐耳と三本の尾を持つ着物姿の娘は名をユクミといった。


「どうした、司?」

「いや。……これで本当に最後になるのかな、と思ってさ」

「ああ。司は怖気づいたんだな」

「そんなわけないだろ」

「無理はしなくていい」


 風にさらさらと揺れるユクミの白く長い髪にも、いくつもの花弁が乗っている。まるで飾りのようだ。


「しばらく一緒にいて良く分かった。司は泣き虫な上に、寂しがり屋で、怖がりだ」


 その言葉に合わせて彼女の白い尾が司のすねをくすぐる。まるで赤子をあやすかのような動きを見て司が眉を寄せた。


「誰が泣き虫で寂しがり屋の怖がりだって? それじゃまるで俺が子どもみたいじゃないか」

「十分に見合う表現だろう? この世に生を受けて二十年しか経っていないお前など、数百のよわいを重ねた私の前では赤子も同然だ」

「……はいはい。分かりましたよ、ユクミお婆ちゃん」

「分かればいい」


 司の嫌味にもユクミは泰然とした態度を崩さない。張りつめて折れそうだった彼女はもうどこにもいないようだ。しかし少し前、出会ったばかりのユクミだって、泣き虫で寂しがり屋の、怖がりだった。


 そう考えると似た者同士の出会いは必然だったのかもしれない。

 思わず「ふふ」と小さく息を漏らした司に対し、ユクミは何を考えたのだろうか、目尻を下げて司の腕を軽く叩く。その薄紅の手にも白が舞い落ちた。


 桜は花びらを散らし続ける。合わせて司も視線を下げる。

 そこにあるのは古くとも綺麗に手入れの行き届いた灰色の石。その石に二人の女性の影を見ながら、司は心の中で問いかける。


 ――俺を許してくれるだろうか?


 石の上に積もった桜の花びらが、ひらと落ちる。まるで誰かを思って涙するかのようだ。もしもこれが涙だとしたら、誰が、誰のために。

 もう動かない司の胸の奥がきゅっと痛む。そのとき、ユクミの小さな手が司の腕を握った。


「来た」


 司は顔を上げる。ユクミの言う通り、正面の細い道の先から一人の男がこちらへと歩いてきていた。


「お前の読みは当たったみたいだな、司」

「ああ。……やっぱり、一人か」


 桜の幹から身を離した司は辺りを見回す。何度確認しても他には誰もいない。


「よし。好都合だ。行こう、ユクミ」

「油断はするな。あいつがどこに隠れているか分からん」

「そうだな」


 答えながらも司は敵が一人であると確信していた。

 司が足を踏み出すと、ユクミも横に並ぶ。


「だけど『約束の者』、司。例え向こうが二人であろうとも、私は負けない。私がお前の望みを叶えてやる」

「頼むぞ」


 あたたかく柔らかな手が冷たい司の手を強く握る。

 司は正面の敵を見据えて後ろの石を意識から追い出した。


 誰が誰のために泣こうと関係ない。

 司は進むと決めた。ユクミと共に。


 ――今の二人なら絶対にやれる。





 桜が花びらを散らす。

 薄墨の空を背景に、儚い白の色が舞い落ちる。


 道を行く司の上に。

 並んで進むユクミの上に。

 桜の木の下でひっそりと立つ、磨かれた灰色の石の上に。


 はらはらと。

 はらはらと。


 まるで、涙のように。

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