第2章 灰色の帳に包まれて

昔話と童謡

【ある地方に伝わる民話】



 むかしむかし、あるところに、大きな山がありました。

 近くの村人にとっては、たくさんの恵みをもたらしてくれる大事な山でした。


 ところがあるとき、山に一体のあやかしが住み着きます。

 この妖が山に入った人間を殺してしまうので、山へは誰も近づけなくなってしまいました。


「あの妖さえいなくなればなあ」


 山あいの土地で細々と暮らす村人たちは、山を横目で見てため息をつくのでした。


 そんなある日、一人の男が言いました。


「山から妖がいなくなれば村は豊かになるんだ。オレは決めたぞ。あの妖を退治してやる」


 男の両親や他の村人は言いました。


「バカなことを考えてはいけないよ。あの妖はとても強い。お前なんて、あっという間に殺されてしまうよ」


 しかし男は頑固でした。


「いいや、オレは必ず妖を退治して戻る。約束するよ。だから待っててくれ」


 結局、男は手斧を持って山の中へ入っていきました。

 両親も、村人も、ハラハラしながら男の帰りを待ちますが、男は戻ってきません。


 年月が経つうちに、みんなが「可哀想に。あいつは死んでしまったのだ」と諦めました。

 しかしそんな中で、たった一人諦めなかった人物がいます。


 男の妻です。


「あの人は、必ず戻ると約束したんです」

「約束は果たせなかったんだよ。何しろ強い妖だから仕方がない。お前ももう、諦めたほうがいいよ」

「いいえ、あの人はきっと生きているんです。何か理由があって帰れないだけなんです」


 そう信じる妻は、ある日、たった一人で山の中へ入っていきました。


 下草に足を取られて転び、枝にあちこちを引っかかれ、崖から落ちそうになり、獣の唸り声に震えながら、何日も何日も歩くうち、妻はついに一軒の小屋を見つけました。


 そっと近寄って小さな窓から覗き込むと、中の部屋には恋しい夫が一人ぽつんと座っています。

 妻は喜んで叫びました。


「ああ、あなた! 私です、私です!」


 男は妻の方へ顔を向けました。しばらくぼんやりとした目で見つめていましたが、やがて勢いよく立ち上がり、窓へ駆け寄ってきました。


「なんと、お前か! どうして、こんなところまで!」

「あなたを探しに来たのです」


 窓は小さくて顔が半分しか見られませんが、代わりに二人は手をしっかりと握り合わせます。


「あなたが生きていると信じていました。さあ、一緒に帰りましょう」


 しかし男は首を横に振りました。


「駄目だ。帰れない。オレは山へ入り込んだ罰として術にかけられ、妖に囚われた。術はお前に会えて解けたのだが、もしもここを抜け出したら、妖は怒り狂って村人たちを皆殺しにするだろう」

「そんな。せっかく会えたのに」


 妻ははらはらと涙を流します。その姿を見て、男は決断しました。


「オレは山へ入るときに手斧を持ってきた。妖に取り上げられてしまったが、どこか近くにないだろうか」


 妻が辺りを探すと、小屋の裏手に一本の手斧が見つかりました。妻が窓からその手斧を差し出すと、男はこっそり布団の下に隠します。


「これでいい。オレは術にかかったフリを続ける。隙を見てあいつを殺してしまうから、そうしたら一緒に村へ帰ろう。さあ、縄張りの見回りへ行ってる妖が戻ってくる前に、お前はどこかへ隠れておくんだ」


 男に言われた妻は、近くにあった大きな木の、大きなうろに隠れます。

 一時いっときほどたった頃でしょうか。多くの尾を持つ大きな白い狐が現れ、小屋の前で若く美しい女に姿を変えました。よく見ると、横には小さな女の子が一緒にいました。


 女に化けた狐は小屋の扉を叩いて言いました。


「お前さん。私ですよ。ただいま戻りました」


 ゴトゴトと音がして扉が開きました。女と娘が中へ入ってしばらくすると、小屋の中で大きな音と悲鳴が聞こえます。

 妻が必死に男の無事を祈っていると、小屋からは女の子だけが転がり出てきました。


「お父さん。どうして、こんなことをするの」

「お父さんだと?」


 男は娘に向かって手斧を振りあげます。


「妖のお前が、オレの子どもなはずないだろう!」


 しかし手斧が娘に届くよりも早く、辺りに強い風が吹き抜けます。気が付いたとき、女の子の姿はもうありませんでした。


「運のいいやつだ。今回は見逃してやるが、もしも戻ってきたら母親と同じ場所へ送ってやるからな」


 再び小屋に入った男は、狐の頭を切り落として出てきました。


「妖を倒したぞ。さあ、村へ戻ろう」


 村人たちは山から戻った男と妻を見て驚き、大いに歓迎しました。

 こうして村人たちは、妖がいなくなった山へ入れるようになりました。おかげで村はたいそう豊かになったということです。



***



【同じ地方に伝わる童謡】



 子ギツネ キツネ

 はんぱな キツネ


 仲間に入れてと なく キツネ


 人と一緒にいたいなら

 人の助けになればいい


 隠邪を千匹倒してこい

 隠邪を万匹倒してこい


 子ギツネ キツネ

 はんぱの キツネ

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