7.もう戻れない
自分の置かれた状況が呑み込めて、こんな状況だというのに司は思わず吹き出してしまう。
「そっか。俺は今、隠邪によって生かされてるのか。まあ、隠邪もたまには人間の役に立ってもらわないとな。もっとも俺一人を生かしたくらいじゃ全然割に合わないけど」
冗談めかして言うと、佐夜子の様子が少し柔らかくなる。
「この後のお前が、隠邪を何とかできたなら、十分さ」
「俺が?」
「そう。祓邪師は何としても聡一を止めなくてはいけないんだ。特に、
「……分かるよ」
何とか身を起こした司は佐夜子と向かい合う形に膝をつき、違和感に気が付いた。正座をする佐夜子は
しかし何も見ないふりをして司は口を開く。
「祓邪師は隠邪を倒す使命がある。それに、隠邪と一緒にいる聡さ……聡一の姓は
「その通り。さすがは私の孫だよ、ちゃんと分かってるじゃないか」
「ちぇ。こんな時ばっかり調子いいなあ」
笑う祖母の顔はだいぶ白くなっている。出血が止まらないのだから当然だ。しかし佐夜子は背筋を伸ばしたまま司に告げる。
「いいかい、司。お前は、塚の上にあるお社へ行くんだ」
「社へ? ……だけど……」
「大丈夫だよ。聡一はもういないはずだから」
どういうことだ、と問い返そうとして司は思い出す。
塚の頂上には社がある。大き目の家庭用物置ほどで、中に一枚の鏡があるばかりな社の由来を司は今まで聞いたことがなかった。この塚は対外的には古墳ということになっているので、司はてっきり『それっぽく』するために建てられただけの飾りだと思っていたからだ。
しかし思い返してみると聡一は社の方から下りてきて、猿を伴ってまた戻って行った。だとすればあの社はただの飾りではない。きっと何か意味がある。
続く佐夜子の話は司の考えを裏付けるものだった。
「これは祓邪師の家長にだけ、口承で伝わる話なんだよ。――陰と陽を揃え、『約束の者』は世の行く道をつかさどる。互いに
「……どういうこと?」
「それは……」
そこまで言って佐夜子は右の袖で口を押え、少し咳き込む。ちらりと見えた気もする赤いものはすぐ内側に握りこまれた。
「……あのお社は異界へ通じているそうだ。強い願いを持った者が扉を開くと、道ができる。もしも異界まで到達できれば、『約束の者』が……特別な
「妖だって?」
司は思わず声を上げた。
古い時代にこの世界に居たという、自然の化身とも呼ばれる存在“妖”。
基本的に人間や隠邪とは関わらなかったそうだが、自分の領域が侵されたときには牙をむいたこともあったらしい。それがなぜあの塚の社に居て人間の願いを叶えるような真似をするのか。
深く尋ねたかったが祖母にはそんな時間が残されていない。司は湧き上がる疑問をぐっと飲みこみ、最低限の質問だけをする。
「妖ってのはどんな奴なんだ?」
「分からないんだよ。今まで異界に行こうとした者はいるけど、行けた者は誰もいないからね」
「……そこへ俺が行けるって?」
「間に合いさえすれば、今のお前は行ける。私はそう信じているよ」
何が間に合うのか。“今の”司とは何なのか。
気になることはあるがすべて飲み込んで司は大きくうなずく。
「分かった。俺は今から社へ向かう。隠邪も倒すし、聡一も止める。だから婆ちゃんはすぐに救急車を呼んでくれ」
「ああ、そうするよ」
安堵の笑みを浮かべた佐夜子は、震える右手で胸元から懐紙入れを取り出す。
「持ってお行き。役に立つかもしれない」
「ありがとう」
受け取った司は、体の感覚をうまく調整しながら立ち上がる。
「じゃあな、婆ちゃん。異界の土産話、持って帰ってくるから」
「楽しみにしているよ」
司が背を向けると、すぐに小さな「……ごめんね……」という悲痛な声が聞こえたが、司は何も言わずに足を踏み出す。
佐夜子は隠邪をしもべにしたと言ったが、司は隠邪を操る術など聞いたことがない。ならばこれは禁じられて無いものとされていたか、あるいは佐夜子が編み出した術。そして今まで積極的に使わなかったということは、隠邪を操っても良いことがなかったか、あるいはリスクの方が高すぎたということだ。すぐに離反するとか。命令の範囲が限られているとか。
――代償が必要だったとか。
佐夜子は言った。猿の隠邪と聡一を追うために司を助ける必要があったのだと。
だが遅れて佐夜子がこの場に到着したとき、数多くの隠邪が怪我をした司を食おうとしていた。“祓邪師の役目”と“梓津川の人間の責務”だけを考えるなら、司を囮にして隠邪を全滅させ、佐夜子自身が猿を追ったほうがずっと確実だったはずだ。
なのにわざわざ、隠されていた術を使ってまで死にかけの司を助けた。その意図は何だろうか?
先ほど聞いた「薄汚い隠邪に、司を食わせたりするもんか!」との声がもう一度あたりに響いた気がして、司は足を止めた。
暗い野原で一人朽ちようとしていた司を救ってくれたのは佐夜子だ。その佐夜子を置き去りにして司は去ろうとしている。本当にいいのだろうか。例えどれほど強く「行け」と言われたとしても、最後まで一緒にいるべきではないだろうか。
しかしその考えを改めさせたのは背中の隠邪だ。先ほどまで尾らしきものがふくらはぎに当たっていたのに今は膝裏までしか感覚がない。隠邪が短くなっているのだと気づいて司の背筋が冷えた。先ほど佐夜子が言った「間に合いさえすれば」の意味が分かったからだ。
この隠邪の生気を使って司は生きているのに、隠邪が消えてしまったら司は一体どうなるのだろう。もしも動けなくなってしまったら今度こそ誰も助けてくれない。そうなればすべてが、佐夜子の献身も含めた今までのことが全部無駄になってしまう。
司は再び足に「動け」と命じ、石段を上る。後ろから何かが――誰かがぬかるみに倒れるような鈍い水音が聞こえても、振り向きたくなる気持ちと、喉の奥で生まれる嗚咽とを必死に押し殺して進んだ。
(……なんで、こんなことに)
今日は十七夜月。太陽が昇れば今月の隠邪退治も終わりを迎える。塚の近くにある祓邪師所有の『会社のビル』でいつものように仮眠を取り、友介が運転する車で駅まで送ってもらう。今日の講義は午後からだ。
来月の十五夜はバレンタインの後にある。隠邪討伐で会った祖母から毎年恒例の義理チョコをもらい、友介には本命チョコがもらえなかった愚痴をこぼす。そうして隠邪を倒して、互いにねぎらいの言葉をかけあって、「また来月」と言って皆と別れて――。
――そんな日はもう永遠に訪れない。
悔しくて奥歯を噛みしめようとする。頭の命令から二秒遅れて口内が動く。拳を握る。手に意識を向けたせいで足がおろそかになって転びそうになる。この違和感が、首の奇妙な感覚が、人でないものとなった実感を抱かせる。
視界がにじむせいで足元の石段がよく見えなくなってきた。人でないものになってもまだ涙がでるという事実がおかしくて司は笑う。歪んだ頬を伝う幾筋もの流れは冬の夜風にさらされ、凍えそうなほど冷たくなりながら、石段の上へ微かな軌跡を描き続けた。
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ご覧いただきましてありがとうございます。
以上で第一章が終了となります。
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第二章からはもう一人の主人公・ユクミも出て参りますので、引き続きお楽しみくださいませ。
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