第四章 〜探偵は最後の仕事を所望する〜
最後の仕事 一 〜秘密のお茶会〜
翌日、桜は下宿に戻った。
叶麗夫妻にお土産を渡し、自室の掃除に取りかかった。
居間は叶麗夫人が掃除をしていてくれたみたいだが、寝室は彼女でも立ち入れないので、放ったらかしになっていた。
「出る前に片付けておいてよかった」
桜は、綺麗に整頓された部屋を見渡した。
家具類をよけてさっさと掃除を終わらせると、彼は紅茶を飲んでひと息ついた。
「これからまたルーチェか……」
冤罪は晴れたため、もう怪盗東雲にとって、保安局は用なしだ。
逮捕する、と桜が宣言してしまったのもあり、流澄はルーチェから帰ってこない可能性もあった。
それを防ぐために、桜はまたルーチェに戻り、流澄を逮捕しなければならない。
そうして、この共同生活に終止符を打つのだ。
「この僕が、情に流されたりなんかするわけない」
桜は両頬を叩くと立ち上がった。
ルーチェ行きの列車に、桜はミシェルと共に乗った。
都会の景色を横目に、ふたりは向かい合って座る。
「お土産は、すめらぎ堂のどら焼きと、フィノス菓子店のチーズケーキにしたわ。選ぶ時間もあまりなかったものね」
「両方とも絶対はずしませんから、安心してください」
「ふふ、じゃあ今から食べましょうよ。どうせあまるでしょうから」
「えっ、いいんですか?!」
「もちろんよ。旅の友は大事にしなきゃ」
「ありがとうございます!」
目を輝かせる桜からは、昨夜の鋭さは見られない。
ミシェルは鞄から土産の箱を取り出した。
「ねえ、あなたがわざわざルーチェに戻るのって、あいつを逮捕するためでしょう?」
「そうですよ。もう逃げてる可能性は高いですけどね」
「そうねぇ……。宿を引き払って、拠点も引っ越して、戸籍からも消えてるかも。はい」
ミシェルはどら焼きを桜に手渡した。
「ありがとうございます」
どら焼きを無言で頬ばる桜に、ミシェルはつい、こう言ってやりたくなった。
「あいつが逮捕されても、逃げおおせても、あなたたちの共同生活は終わりね。まあ、仕事だから別になんとも思わないかしら?」
「そうですね。僕も流澄さんも、お互い偽って暮らしていました。これは仕事です。仕事ですから……」
「寂しいと思う?」
桜はとたんに黙り込んだ。
流澄の同居人である寿々木桜としてか、保安局員である手弱としてか、どちらで答えたらよいのか。
桜は、頭の中でふたつの顔が向き合って、睨み合っているようだった。
ひとつは唇を噛んでおり、もう一方は無表情だ。
「寂しい、んだと思います。たぶん」
桜はようやく声をしぼり出した。その声は少し震えていた。
ミシェルのいたずら心は、この一言に粉砕された。
「そう。正直なのね」
そう一言返しただけで、ふたりは互いに黙り込んでしまった。
しばらくして、桜が切り出した。
「あの、ミシェルさんは、寂しくないんですか?」
「あたしは別に寂しくなんかないわよ、って言ったら、うそになるわね。あいつが探偵になるから首都に行く、って言った時、あたしはああそうなの、せいぜい頑張りなさいよ、って答えたわ」
ミシェルは微笑む。
「今あいつに、捕まりたくないから逃げる、って言われても、同じ返しをするわ」
穏やかな顔からは、別離を惜しむ感情は感じ取れない。
桜は少し困ったようにこう言った。
「ミシェルさんって、僕よりこの仕事向いてる気がします」
「あら、じゃあ解雇されたりしたら転職口は頼んだわ」
「はい」
考え込んだり話したりに忙しくて、ふたりの手元のどら焼きはまだ半分以上残っている。
「甘い物を食べたら、お茶が飲みたくなるわ〜」
「その気持ち分かります!」
桜が急に身を乗り出したので、ミシェルは驚いた。
桜は行李鞄をあさると、透明な瓶を二本取り出した。紅茶色の液体で、いや紅茶そのもので満ちている。
「それは……」
「魔法瓶入りの紅茶です!長旅で飲みたくなると思って用意しました!実はミシェルさんの分も用意したんです」
満面の笑みで桜が言う。
「あら、ありがとう。気が利くどころか、読まれちゃっているなんて」
ふふ、と微笑むと、ミシェルは魔法瓶を受け取った。
ふたりは紅茶を飲んでひと息つくと、今度はチーズケーキを試食し始めた。
「やっぱり美味しいです。チーズケーキはフィノス菓子店が一番ですね!」
「ええそうね。あたしこんなに美味しいチーズケーキは初めてだわ」
秘密のお茶会は道程の四分の一ほどで終わってしまったが、眠気の漂う沈黙も、居心地の悪いものではなかった。
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