ルーチェ王国の亡霊 五 〜探偵と旧知の魔法医〜
「ん……」
「流澄さん?!流澄さん!」
聞き慣れた声がする。瞼の裏に光を感じて目を開けると、視界一面の白が眩しかった。
「桜、君が口うるさく説教する前に、先に謝っておくよ」
流澄は冴えた顔をして起き上がった。至る所が真っ白な、ここは病室だった。
「あまり動かないでください。お医者さまを呼びましたから」
桜がため息混じりに言う。流澄は微笑して上体を倒した。
じきに医者が来た。
艶のある藍色の髪、長く繊細なまつ毛、深い紺色の瞳。
部屋に入ってきた魔法医は、いわゆる美人だった。
背が高くすらりとしており、ピンと伸びた背筋が堂々としている。
「君……」
「久しぶりね、ルース。びっくりした?」
目を見開く流澄に、医師は笑いかける。
ハスキーボイスが特徴的だった。
桜はふたりの様子を、口をあんぐり開けて見ていた。
「何年ぶりかしらね、あんたすっかり変わっちゃって〜」
「君が私を診た魔法医だったのか、ミシェル」
流澄は、気が抜けたようにため息をついた。
「髪切ったのね、前は今のあたしより長かったじゃない」
「ちょっと……」
ミシェルは馴れ馴れしく、流澄に顔を近づける。
藍色の髪が寝台に垂れた。
「大丈夫。体質のことは言ってないから」
ミシェルが耳元で呟く。
「えーっと」と、桜が状況をのみ込めずに言った。
「おふたりは知り合いだったんですか?」
「そうよ、ハルトちゃん」
うふふ、といじわるく笑って見せるミシェル。
ミシェルは流澄が倒れた日から、毎日彼の容態を確認しに来ていた。
そのため、桜ともすでに顔見知りなのである。
「君のあだ名のつけ方は、変わっていないみたいだね」
「だって、煌陽帝国の名前は分かりにくいんだもの」
「煌陽語はだいぶ
「煌陽語では、名前なんていくらでも創り出せるでしょ?ルーチェ語とは比べ物にならないくらい、名前が多いのよ。あたし、人の名前を憶えるのは得意じゃないの。ほら、診せなさい」
ミシェルは急に真剣な顔つきになった。
「体に、痛みや違和感は?」
「まだ全身にしびれが残っているね」
「手を動かしてみて」
「分かった」
流澄は腕をぶんぶん振り回す。桜とミシェルは呆れた顔をした。
「全く問題なさそうね。本当にしびれが残っているのかしら?」
「しびれなんて、そこまで気にならないよ。それで、私の体には何が起こったんだい?」
「魔力の流入と流出が同時に起こったから、体に影響が出たのよ。これくらいなら、時間経過で治るわ」
「私が魔力持ちなら、こうはならなかったんだけどなぁ……」
ぶつぶつと呟く流澄の横で、ミシェルは桜の顔を盗み見た。
彼からは、安堵の感情しか読み取れなかった。
「あと数日すれば、退院できるわよ。あたしはこのあと仕事があるから、これで失礼するわ。お大事にね〜」
「ああ、ありがとう」
ミシェルは軽い足どりで、部屋を出て行った。
「珍しく怒らないんだね、桜くん」
「今回は、結界内で魔法が使われるなんて、思っていませんでしたからね」
「ううむ」
どこか気の抜けた返事に、桜はハッとした。
「まさか、勘づいていたんですか?」
「い、いや、そんなことないよ。魔法陣に関しては、少しかじっただけだし」
「怪しいです!」
その時、ちょうど扉が開き、銀髪の男が入ってきた。
桜は座り直した。
「霞さん」
「寿々木殿、と静星探偵。無事で何よりだ」
「ご心配どうも。でも私、これくらいで死ぬほど貧弱じゃないから」
霞は流澄の小言を無視して、空いている椅子に座った。
「あなたが倒れた日、同じ場所で子どもがふたり、誘拐された。何があった」
「誘拐は阻止できなかったか……」
流澄はため息混じりに呟いた。
「私があそこにいた理由は、きっと桜が説明済みだろうから割愛させてもらうよ」
流澄は、子供たちと遊んでいる最中に起きたことを話した。
「しびれの原因は、魔力の流入と流出が急に起こったことらしいな。魔力の伝導が速すぎて、結界が反応しなかったんだろう。恐らく魔法陣と見て、あなたが倒れていた地面を調査しているところだ」
「流石に痕跡くらいは出るだろうね」
「今までの現場では出なかったが」
「今回は相手方にとって不測の事態だ。陣が正常に作動しなかっただろう」
「たしかに。だが、あまり期待はしないでほしい。あとは」
霞の灰色の目が、流澄を見据えた。
「あなたが被害者であると私は確信しているが、世間では怪しむ者もいるし、私の主観で判断するのは公平さを欠く。疑いが晴れるまでは、ルーチェから出ないでくれ」
霞はそう言い残して帰って行った。
桜は茶色の眉を困ったように下げて、不安げに言った。
「実は、宿も霞さんたちが泊まってる所に移ったんです。僕に関しては、魔力持ちなので、結界内にいなかったことの裏が取れているんですけど、流澄さんに関しては自作自演の可能性が疑われていて……」
「大丈夫さ。そんな証拠どこにもないんだから。
当の本人はけろりとしている。
「それよりも警察には、私のお陰でやっと証拠が見つかったこと、感謝してほしいよね」
流澄は魔法の痕跡が残っていると確信しているらしい。
桜はいつも通りの流澄の様子に、少しは安心したようだった。
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