ルーチェ王国の亡霊 ニ 〜探偵と教師、観光に乗り出す〜
二週間後。ふたりは商人の街ルーチェに来ていた。
「久しぶりだなぁ、この活気。首都とはまた違った賑わいだろう」
「そうですね。首都の、忙しくて淡白な感じとは違って、なんて言うんだろう、暖かい感じがします」
「しっかり羽を伸ばして、来年度も頑張ろう」
「誰の賞金で来たと思ってるんですか。というか流澄さん、仕事する気満々で来てますよね」
「ん?何のことだい?」
「どうせ誘拐事件の調査でもしようって
「はは、分かるかい」
「じゃないと、今どき物騒なルーチェになんて旅行しようなんて言いませんよ」
「まあ、そうかも知れないね」
流澄は恐れ知らずである。桜はそれを頼もしく感じている。
だが一方で、その過信が思わぬ事態を招くのではないか、という懸念もあった。
ふたりはまず宿に行き、宿泊手続きをした。
「なんか普段と変わらない気がするね」
「そうですね。個室ありの、広いふたり部屋。高かったですけど、まあ普段とかけ離れない方が快適に過ごせますよ」
「たしかに私たち、食事の時以外は、各々勝手に過ごしているしね」
玄関から伸びた廊下の先には居間があり、それぞれの自室が設けられている。
居間の後ろには大きなガラスの窓があり、バルコニーに出られるようになっていた。
「さ、早く荷物を置いて観光観光!」
「僕、行きたい場所があるんですけど」
ふたりは辻馬車を捕まえて、さまざまな観光名所に足を運んだ。
そのほとんどは流澄の行ったことのある場所だったが、大聖堂だけは初めてだった。
「流澄さん、お土産売ってますよ!」
「お土産か。えっと、叶麗夫妻と往生の旦那だけだね」
「交友関係狭いですね……。僕は職場の人にも買うので、ええと……」
桜は宙を見つめながら数え始めた。流澄は、入場券を買いに受付に行った。
「な、何名さま、ですか?」
「ふたりだよ。私と、ほらあそこにいるの。いくら?」
ぎこちない煌陽語に、流澄は
桜を振り返ると、まだお土産を選んでいるようだった。
係員は軽く目を見開くと、「千八百円です」とルーチェ語で答えた。
入場券を買うと、流澄は桜の肩を軽く叩いた。
「桜くん、ほら入場券。お土産は後でも見られるよ」
「そうですね。ありがとうございます」
桜は商品を棚に戻すと、流澄の後から門をくぐった。
長い石の道が伸びていて、その奥に黒塗りの建物が見えた。
「あれが大聖堂ですね」
「ああ。ルーチェでは黒は神聖な色だからね」
ふたりは周りを見ながら石の上を歩いた。両側は、色とりどりの草花が茂る、美しい庭だった。
「豊富な植物、やっぱり首都より温暖だからですかね」
「そうだね。首都が寒すぎるんだよ、たぶん」
「あ!あれって、もしかして……」
ふいに、桜が立ち止まった。流澄も立ち止まって桜の視線の先を追った。
「黒くてねじれた花弁、神の花シェリルコじゃないですか?」
「どれどれ……。お、そうだね。あれはシェリルコだ」
ふたりの視線の先にあるのは、黒い花だった。
花弁は天に向かってねじれて伸びており、その先は鳥の羽根のように繊細に分かれていた。
それは色とりどりの庭の奥で、全てを見守るかのように、おごそかに並んでいる。
「 黒き翼よ、永遠に
流澄が、滑らかにルーチェ語の詩を読み上げた。
「ルーチェ語ですか?」
「ああ。大学でルーチェ文学を研究していた人が居てね。彼から教わったんだ。神の詩だよ。シェリルコは、
「そんなにすごい花なんですか?!文化の違いって面白いなぁ」
桜は、シェリルコに笑顔を向けると歩き出した。流澄がその後に続く。
ふたりはやがて黒い建物――大聖堂の前まで来た。
「すごい迫力だね」
「……」
桜は、無言で服のえりを直している。流澄もネクタイを直し、ふたりは中に入った。
三方に伸びる広い廊下に、ふたりは圧倒された。天井も高く、至る所に金の装飾が施されている。
「初めて来たけど、これは館内で迷ってしまいそうだね」
「流澄さん、何か見つけても勝手に居なくならないでくださいよ」
「ん?」
否定はしない流澄であった。
親切な司祭と共に、ふたりは礼拝室に入った。
おごそかな空気の中、沈黙だけが重く流れていた。
広い部屋にはたくさんの長椅子が並んでいたが、その前から七列目までが、人で埋め尽くされていた。
ふたりは後ろの方に腰かけて、その雰囲気を味わった。
部屋を出る時にふと、薔薇の香りが流澄の
振り返ると、紅いドレスを着た女性の、俯く姿があった。深く帽子を被っているが、肩に金色の髪がこぼれかかっている。
両隣には、同じく紅い服の男女が共に祈っていた。
「どうしました?流澄さん」
「ああ。いや」
「あの女性ですか」
近くに居た司祭が、流澄の視線の先を辿って言った。
「しばらく前から、週に一回通うようになりましてね。いつも紅い服でいらっしゃって、ずっと黙って祈っておられます。紅い服までお召しになって、あんなに
「ふむ」
流澄は何か考えるような仕草をし、軽く首を振って大聖堂を出た。
「あ、お土産選ばないと」
「桜くん、私のも選んでくれないかい。叶麗夫妻と往生の旦那に」
「僕、往生さんの好みとか存知上げませんけど」
「私も全く知らないよ。まあ旦那本人が食べなくても、家族が食べるだろうし。適当に頼むよ」
「分かりましたよ、全く。高いやつ選んでやろうっと」
桜がお土産選びにいそしむ間、流澄はずっと店の隅で考え込んでいた。
紅い服の女性。薔薇の匂い。金色の髪。付き添う男女。
彼が美術館で争った女性と一致する。偶然か、それとも……。
ぐうううう〜
突然、流澄の腹が鳴った。
「桜くん、桜くん。これ美味しそうだね」
「えっ、ちょっと待ってください!」
桜からすばやくお菓子の箱を取り上げて、流澄は会計の前に飛び出した。
支払いを済ませると、彼は庭に駆けて行った。
「流澄さん、それ全部ひとりで食べたんですか……?」
「そうだけれど、どうかしたかい?」
桜が会計を済ませて庭に出ると、流澄はベンチに座ってお菓子を食べていた。
箱に残っているのはニ袋。
桜は彼の隣に腰を下ろすと、お土産を渡した。
「これは叶麗夫妻に。割り勘でお願いしますね。それでこっちは往生さんに。子供でも食べやすそうなものを選びました」
「ありがとう」
お土産の箱を受け取ると、流澄はまたお菓子に手を伸ばした。
「それ、僕もひとつもらっていいですか?」
「ううむ、まあいいか。お土産選んでもらったし」
桜は「ありがとうございます」と言って、お菓子を手に取った。それは流澄の好きなクッキーだった。
包装には紅茶味と書いてある。
「コーヒー派じゃないんですか?」
「お茶とお菓子は違うの!」
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