ルーチェ王国の亡霊 一 〜教師、文才を発揮する〜
彼は普段通りに目覚めると、目をこすりながら居間に出た。
「おはよ〜」
「おはようございます」
キッチンの桜が顔を上げた。彼はもう掃除を終わらせ、朝食の準備に取り掛かっていた。
「はい、水です。よく眠れましたか?」
「ありがとう。いくらロングスリーパーと言えども、いつもよりも長く寝ると調子狂うねぇ」
桜からコップを受け取って水を飲むと、流澄は洗面台に向かった。冷たい水で顔を洗うと、目も頭も冴えてくる。
流澄は昨夜のことを思い出した。
謎の金髪の女性。気位が高く、あの絵画の価値をよく知る人物。
考えられるのは、貴族や王族の類いだ。しかしそれらはいずれも、自ら盗みを実行するような勇気を持ち合わせてはいない。
彼らは人を金で動かし、自らは安全な場所で朗報を待つのだ。
護衛の魔法師まで連れ歩いていたのだから、彼女自身が出向く必要はなかったはずだ。
となるとその女性は、自ら盗む程にその絵画に執着している、ということになる。
それにはルーチェの歴史の長さに等しい価値がありますのよ!
そう叫んだ彼女は、とても動揺していた。彼女はもしや、亡ルーチェ王国の――
「流澄さーん、朝ごはんできましたよ」
「ああ、今行くよ」
前髪をかき揚げると、流澄は食卓に着いた。
「そういえば怪盗東雲、今度は亡ルーチェ王国の絵画『青の間』を盗んだそうです!」
桜が興奮気味に言った。
流澄はピーナツバターを塗ったパンにかじり付きながら、
「ふふへほふほふ?」
「なんて?」
ちゃんと飲み込んでから、流澄は再び口を開いた。口の横に、ピーナツバターが付いていた。
「ルーチェ王国って、いつ滅びたんだっけ」
「ええっと……、七年前ですかね?確か革命が起きて、城が焼かれて」
「王族は皆殺しにされた。そして煌陽帝国は、革命の激流に呑まれたルーチェに攻め入り、その領土を支配下に置くことになった」
「周辺国に遅れてまだ絶対王政を敷いていたから、民衆の反感が募っていたんですよね。煌陽帝国はその時、すでに立憲君主制になってましたし」
桜はおもむろに立ち上がると、ティッシュで流澄の口を拭いた。
「ありがとう。元ルーチェ王国民が反発しないのは、自治を許されているからだろうね。民族の自治を許す、という懐の広さは、煌陽帝国がここまで大きくなれた理由のひとつだ」
「ルーチェの街は活気に溢れているって言いますもんね」
卵焼きを口に運びながら、桜が言う。
「実は私、行ったことあるんだよ」
「へー、やっぱり活気溢れる商人の街ですか?」
「そうだね、港を行き交う商人たちは……」
流澄は長々とルーチェへの旅の話をした。ひとしきり語ると、流澄は笑った。
「いつかふたりで行ってみないかい?」
「お金貯めないとですね」
朝食後、桜は用事があり職場に出掛けて行った。流澄は居間でひとり、新聞を読んでいた。
大見出しには、『国境で子供ふたり攫われる』とあった。
「また元ルーチェ王国民か。明らかにベルメール帝国が関与していると言うのに、警察、いや政府は何をしているんだろうね」
流澄は顎に手を当てて呟いた。
ベルメール帝国は、煌陽帝国に匹敵する領土と軍事力を持つ国だ。
煌陽帝国とは、元ルーチェ王国領で接している。現在両国の関係は良好で、貿易も盛んだ。
「ベルメール帝国は出遅れて、煌陽帝国にルーチェを取られてしまった」
ベルメール帝国は、未だにルーチェを諦め切れていないのではないか。
流澄はしばらく物思いにふけっていたが、ふいに時計を見上げると「あ、床屋の予約をしていたんだった」と慌てて下宿を出た。
その日、流澄は浮気調査の依頼を終わらせた後、暇そうにしていた。
翌朝は桜の仕事が休みで、朝からゆっくりしていた。
「機嫌いいねぇ」
「そりゃそうですよ、休みですよ?」
「私は毎日仕事だけれどね」
毎日とは言っても、浮気調査を終わらせて暇をする日々である。
「毎日頑張ってるご褒美に、ケーキ屋のバイトでもしたらどうですか?」
「賄いで売れ残ったケーキ食べたいなぁ」
桜は窓を開けると、郵便受けを確認しに行った。
「えっ……?」
桜のすっとんきょうな声がして、流澄は「どうしたのかい」とソファの上で頭を動かした。
「封筒が来てます」
「誰からだい?」
「こ、煌陽出版……」
大きな封筒と新聞を抱えて、桜は早足で居間に戻って来た。流澄は、封筒をまじまじと見つめた。
「寿々木桜様。差出人は、確かに煌陽出版って書いてあるね」
「たぶん、この前応募した文芸大賞の結果だと思うんですけど……」
緊張した面持ちで、桜は封筒を開けた。流澄が興味しんしんに読み上げた。
「ええっと、寿々木桜様。この度は煌陽文芸大賞へのご応募ありがとうございました。厳正な審査の結果、あなたの作品『探偵と教師の共同生活』が大賞に選ばれましたことを――」
「た、大賞?!それって一番ってこと、ですよね」
目を丸くして桜が言う。流澄は「そうだね」と微笑んだ。
「賞金、賞金は確か……」
「百万円だ」
流澄が指で紙面を指した。
「ふたりでルーチェにでも行こう。もう年度末で、どうせ君の雇用契約は切れるんだし」
「僕の金で旅行したいだけでしょう!でもまあ確かに、雇用契約は切れますね」
桜はごくりとつばをのみ込んだ。
「分かりました、行きましょう」
「そう来なくちゃ!」
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