探偵の秘密 三 〜傲慢なご婦人〜

「防炎魔法を付与しててよかった。じゃなきゃ彼女の言う通り、今頃は火だるまだ」


 東雲は、煌陽美術館内の廊下を歩いていた。脇には大きな額を抱えている。


「まあ盗みは成功したし。それにしてもあのふたり、どこの組織かな」


 ふたりは東雲を捕まえ、警察に引き渡すつもりだったようだが、国の機関とは思えない。

 おおかた、報酬目当てで国に雇われた傭兵だろう。


「国はそんなに私を捕まえたいのか」


 ふふ、と笑うと、東雲は急に真剣な顔をして振り返った。


「そこにいるのは誰だい?」


 窓から差し込む月明かりが、絨毯に人影をくっきりと浮かび上がらせていた。


「先に名乗るのが礼儀でしょう。そなたが、噂に聞く怪盗東雲ですか」


 あかいドレスの女が、ふたりの男女に挟まれて東雲に近付いてくる。薔薇の香りがふわりと広がった。


「これは失礼、ご婦人。しかし怪盗東雲、と言うのは耳に慣れない名前ですね」


「とんだ礼儀知らずですね。まあ、そなたが誰かよりも、その脇に抱えている物が何かの方が重要です」


 ゆるい金色の巻き毛が、月光を反射して妖しく光っている。


「今すぐそれを寄こしなさい」


 女がそう言うと、そばにいた男が一歩前に出た。


「ご婦人こそ、初対面で人に物を寄こせだなんて。まるで、世界が自分を中心に回っているかのようなふる舞いでいらっしゃる」


 東雲がため息をついた途端、彼の腹を狙って、男の拳が飛んできた。

 それは、魔力をこめた拳だった。


「おっとと」


 東雲は軽やかな動きでそれをかわすと、絵画を体の正面に持ってきた。男は明らかにひるんだ。


「今攻撃すると、漏れなくこの絵画は粉砕されます」


「何を……!それにはルーチェの歴史の長さに等しい価値がありますのよ!」


「そんなの私にとっては取るに足らないことだ。それとも、この絵画に傷が付いてもいいのですか?」


 女は下唇を噛むと、男を下がらせた。


「卑怯な手を使うのですね、この悪党めが」


「悪党、悪党ですか」


 東雲は腹を抱えて笑い出した。


「どうすれば、そなたはわたくしにその絵を渡すのです?」


「ううむ、あなたが誰なのか教えてくれたら、渡すことも考えますね」


「そうですか」


 女はしばしの沈黙の後、口を開いた。


「わたくしは――」


「侵入者が居たぞ!!逃がすな!」


 人の声がして、女の横あいの扉から、警官たちが出て来た。


 東雲と女たちは、別々の方向へ逃げた。


「結局聞けずじまいだった……。教えてくれたら、本当に渡すつもりだったのに」


 東雲は残念そうだった。彼は月夜を駆け、隠れ家に戻った。

 絵画は、二階の部屋の壁に飾った。


 マントを脱ぐと、部屋の中にふわりと香水の匂いが広がった。


「薔薇の匂い……」

 美術館の女から移ったものだろう。東雲は、その匂いを落とすためにシャワーを浴びた。



「まだ夜明けまでは時間がある。桜くんは寝てるかな」


 来た時と同じ格好をし、彼は下宿に帰ってきた。

 指を鳴らして窓を開け、そこからふわりと部屋に入る。そして窓を閉めると、彼は帽子をハンガーラックに掛けた。


 それからコートを脱ぎ、ベストを脱ぎ、更に靴まで脱いで、彼はベッドに身を沈めた。


 顔を照らす月明かりも意識の外に出てしまうほどに、彼は疲れていた。

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