探偵の秘密 ニ 〜今宵、極上のスリルを〜

 静星流澄は、煌陽帝国首都に事務所を構える私立探偵だが、彼の夜の顔は――…


 怪盗だった。巷では、「東雲」と呼ばれる。


 彼は宝を愛さず、宝を盗むスリルを愛す。


 しかし彼に怪盗の自覚はない。怪盗東雲というのは、人々の口から生まれたあだ名だ。


 そして彼は、数々の派手な犯行により、警察に目を付けられている。

 それでも彼が不自由なく日常生活を送れるのは、捕まらない自信があるからである。


 その根拠は、彼自身の特異体質にある。


 日中は魔力を持たず、日が暮れると魔力を宿す。


 彼は日中魔力鑑定を受けても、鑑定結果は魔力なしとなるのだ。その特異体質が、彼を今日まで囚人とさせずにいた。


 彼は魔法で姿を隠し、人に見られることなく空に舞い上がった。あとは極上のスリルが待つ場所へ行くだけだ。


「今日の宝は、亡国の絵画!ルーチェ王国に侵攻した時に、城の焼け跡から救出された『青の間』。青い宝石、青い陶器、青いガラス……。青い物だけを集めた間。その美を描いた、亡ルーチェ王国の宝」


 ふふ、と東雲は口元をほころばせた。


「予告もしたし、今日はどれだけの人数で挑んでくるのやら。あ、見えてきた」


 東雲の視界に、大きな白い建物が映った。夜の街の中で、それはひと際明るい光を放っている。


「わっ」


 突然、彼の顔のそばを何かが掠めた。彼の黒い髪が数本切れた。

 魔法の効果が切れ、彼の姿は月明かりの元に浮かび上がっていた。


「隠れ身の魔術無効化の結界か……。いいねぇ、楽しくなってきた!」


 にやりと笑って、東雲は前方を見た。男の黒い作業服姿が、月光に濡れていた。


「すまないねぇ、夜目が利かないもんで、ね!」


 東雲は素早く、体を反らして攻撃を避けた。


「君はええっと、たぶん初対面だよね。名前は?」


「先生が名乗るなって言ってた」


「ううむ、連れないねぇ」


 東雲は笑いながら、男の攻撃を避けた。

 男が攻撃し、東雲が避ける。その繰り返しで、東雲は防御に徹していた。


「ね、私には人を傷つけないって縛りがあるんだ」


「知ってる。利用できそうな情報だから憶えておけって、先生が言ってた」


「利用できそうな情報だって?私は人を傷付けないのが得意だからね、そんなの役には立たな――」


 ヒュッと音がして、東雲が避けた弾丸が、くるりと向きを変えて男の腕を掠めた。


「あなたが避けたら、僕が代わりにこれを受ける」


「捨て身の攻撃かい?今ここで私が君を見捨てたら、君は無駄死にだ」


「それはどうでもいい。僕は先生の期待に応えるだけ」


「そうかい、だったら」


 東雲は、男に覆い被さるようにして近付いた。月光が男の顔を照らし、紫の丸い瞳が見開かれた。


 それは男というより少年だった。


 東雲はその腕を掴んで引き寄せた。


「っ何をする。離せ!!」


「駄目、大人しくして」


 彼は何か口の中で詠唱すると、少年の首元に指を当てた。

 少年の腕がふわりと浮いた。


「飛行封じ……?!」


 落下しかけた少年の体を、東雲が支えた。飛行封じとは、飛行魔法を封じる魔法だ。


「飛行封じ、君はまだ使えないんだろう?」


「離せ!!」


「わっ」


 少年は東雲の腹を蹴って、宙に身を投げ出した。


「ああもう、聞き分けの悪い子だ!」


 東雲は少年を追って宙を舞った。明かりの灯る街を背に、少年は目を閉じた。


 冷たい夜気を切り、東雲がその体を抱きとめた時だった。


 空を切る音が鋭く迫り、東雲の体は少年ごと太いツルに包まれた。

 東雲の腕をツルの先が掠め、その手の平を縛った。


「っ……!」


 ツルが肌に食い込み、手の平はぴったりとくっ付いて離れない。東雲は魔法を封じられてしまった。


「やあ、初めまして」


 女の声が頭上から降ってきた。顔を上げると、月光に濡れた細身の作業服姿があった。


「先生!」


 少年の頬が緩んだ。女は彼に向かってひらひらと手を振った。


「呆気なく引っかかっちまって、やっぱり子供相手だと油断すんの?」


「いやぁ、やっちゃったね」


 困ったように微笑んだ東雲を一瞥いちべつして、女はツルの根元を引っ張った。

 東雲と少年の間にツルが這い、やがて分離した。


「おとり作戦大成功〜。お疲れさん、からす。しばらくそこで待っといて」


「はい」


 少年はツルに包まれて大人しくしていた。女は東雲が包まれたツルを引き寄せると、彼の顔をのぞき込んだ。


「警察に引き渡すまで、大人しくしとけよ」


「その必要はないよ」


 東雲はにやりと笑うと、口から何かを吐き出した。ボッと音がして、ツル全体に炎が広がった。


「何だ?!火だるまになっちまうぞ!」


 炎はツルを辿って、上に伸びていった。女は慌ててツルを切り離した。

 ツルと共に、夜に吸い込まれるように炎も消えた。


「誰が火だるまになるだって?」


 月明かりの元に、長い帽子のシルエットが浮かび上がった。


「あんた……!」


「驚いたでしょ。私が使えるのは魔法だけだと思った?」


「まさか……」


「どうせ熟練魔術師には、魔道具は必要ないとか思ってるんでしょ」


 東雲は、手袋の先をいじりながら言った。

 女は少したじろいだように見えたが、すぐに彼に向かって、またツルを伸ばした。


「こっちは仲間を呼んである。あんたに勝ち目はないよ」


「勝つ必要はない。目的は、そこの少年のお手並み拝見だったからね」


 東雲は、女の攻撃をかわしながら詠唱すると、何もない夜空の一角を切り取った。


「この結界、君のでしょ。結構精巧な作りだけど、うっすら見えてるよ」


「待て……!」


 結界に開けた穴から、東雲は夜の街へと飛び出した。


 隠れ身の魔術を封じる効果が切れ、彼の姿は月に溶け消えた。

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