警察からの協力依頼 二 〜ご令嬢の気がかり〜
それからすぐに、白花邸の警備は厳しくなった。
使用人は、用件を確認しないと外出できなくなった。
白花はそれを申し訳なく思っているようだった。
ある日、流澄が駅に買い物に行くと、ばったり彼女に会った。
「あら、静星さん。ごきげんよう」
「おや、白花嬢に霞くん。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
霞は仏頂面だった。
「静星さん、この後お時間ありますか?」
「ええ、はい」
「ではお茶でもどうでしょう」
「喜んで」
流澄は用事が済んだ後だったため、微笑んでそう答えた。
駅を出てしばらく歩くと、洒落た外装の店に着いた。
いかにも高級そうなカフェだ。
店内を見回すと、富裕層の婦人らが歓談していた。
三人は、大きな傘の付いたテラス席に座った。
白花の肩の辺りに、艶のある赤毛が日に輝いている。霞は傘を彼女の方に傾けた。
「ここは私の行き付けのお店なのですけど、ケーキがとても美味しいのです」
「それは聞き捨てならないですね。ちょうど口寂しくなっていたところなので」
「どうぞ、満足されるまで召し上がってください。急なお誘いですから、私が払いますわ」
「ではお言葉に甘えて」
流澄はちゃっかり、二十種のケーキとコーヒーを頼んだ。
コーヒーは豆の種類まで細かく注文を付けた。
対して霞はというと、ミルクティーを一杯頼んだだけで、白花が見かねてケーキをひとつ注文した。
白花は定番の注文があるらしく、「いつものを」と給仕にひと言言い付けただけだった。
それからは他愛のない世間話などをし、また誘拐組織の件についても少しばかり話した。
流澄は運ばれてくるなり真っ先に、ショートケーキを頬張った。
口の周りにクリームを付けているが、拭き取ってくれる人がいない。
今回ばかりは自分で拭かねばと、流澄はナプキンを広げた。
霞はケーキをひと口食べると、砂糖の箱を開けた。
「か、霞くん……?」
「どうしたんだ、そんなに目を見開いて」
霞はミルクティーに、流澄が引くほどの量の砂糖を入れた。
彼は甘いものを口に含むと、心なしか機嫌よく見えた。
白花はふたりの様子に微笑みながら、ケーキを口に運んだ。
「私は見ての通り、大きな財閥のひとり娘で、幼い頃から不自由なく暮らしてきました」
流澄のフォークの進み具合が落ち着いてきた頃、白花がぽつりと零した。
「私がねだれば、父は何でもお与えくださいました。お金で揃えられるものは全て」
彼女は、自らの膝に視線を落とした。
「ただひとつだけ、私に足りないものは、既にお察しでしょうが、友でした。大学に入るまで、私は同年代の人と接したことがありませんでしたわ。今私は、家庭教師についていた頃とは比べ物にならないくらい、楽しい日々を送らせていただいています。ただ最近、気にかかることがありまして。私が犯罪組織に狙われることで、友にも危害が及ぶことがありはしないかと、心配なのです。この場所を永久に失うことになりはしないかと、怖いのです」
白花は顔を上げて、流澄の緑の瞳を真っ直ぐ見据えた。
「どうか屋敷の外の者には、このことは内緒にしていてくださいませんか」
澄んだ黄色い瞳に、彼は微笑で答えた。
「もちろんです。情報の拡散はいらぬ混乱を招くこともありますからね。それは警察も分かっていますよ。ね、霞くん」
「ええ」
霞は、流澄と顔を見合わせて頷いた。
「ありがとうございます。いつも周りに迷惑をかけてばかりで、情けないですわ」
「あなたが今、周りに迷惑をかけたくないと思っておられるのなら、まずはどうか、ご自分の身の安全に気を使ってください」
「そう、ですわね。周りのことを心配している場合ではありませんでしたわ。組織の一番の狙いは私ですもの」
白花は顔を赤くして言った。その時だった。
「あっ」
流澄の顎を、茶色の液体が伝った。コーヒーだ。
「まあ」
「失礼、拭くものを頼む」
霞が給仕を呼んだ。
白花は、ポケットからハンカチを取り出しながら立ち上がると、左手を伸ばして彼の顎を拭いた。
「失礼いたしました。汚してしまったハンカチは後日新しいのをお渡しします」
「それはどうかお気になさらず。それよりもあなたのシャツの方が気になりますわ。茶色いシミが……」
「新しいのを買えばいいので大丈夫ですよ」
給仕の持ってきた布で首から襟を拭いたが、シャツに茶色いシミができてしまった。
流澄は桜に怒られる、と思った。
「今日はありがとうございました。美味しかったです」
「いえ、こちらこそ。今度は寿々木さんもご一緒しましょう」
やがて三人は解散した。もちろん会計は全て白花持ちだ。
あんなに無作法な様子を見ても、彼女は呆れている素振りを見せなかった。
財閥の令嬢として、まさに完璧な態度。
流澄でさえ、彼女の内心を測ることができずにいたほどだ。
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