依頼人はご令嬢 二 〜かたくなな用心棒〜

 二日後、流澄はふらふらとどこかへ出かけて行った。

 前日の、依頼のことを忘れたような過ごし方とは、打って変わってだ。


 どこへ行くとも告げずに、流澄は機嫌良さそうに家を出た。


 カランカラン


 呼び鈴の音と共に、流澄の黒髪が軽く揺れた。

 彼は店内を見渡すと、奥の方に銀髪を見つけて近付いた。


 ここは、流澄の下宿から歩いて五分のところにあるカフェだ。

 若い層に人気があり、店内は騒がしくしている。


「やあ、二日ぶりだね」


「……」


 銀髪の男、霞は不機嫌そうな顔をしていた。

 流澄は、名刺の裏のメモで彼を呼び出したのだ。


 流澄は彼の前に腰かけ、呼び鈴を鳴らした。


「コーヒーを一杯」


「……紅茶を一杯」


 店員は、「かしこまりました」と言って店の奥に戻って行った。


 流澄は、しばらく霞の顔を無言で見つめていた。


「君は、ストーカーの件で用心棒として雇われたんだよね」


「ああ」


 霞は、感情の籠らない低い声で答えた。


「それでは心底困っているだろうね。私が事件を解決してしまったら、君は解雇されるかもしれない」


「何が言いたい」


 霞の灰色の瞳が、流澄の顔を鋭く捉えた。

 その時、横合いから手が伸びてきて、コーヒーと紅茶のカップが置かれた。


 流澄はコーヒーをすすった。


「取引をしよう。私の指示通りに動き、君が事件を解決する。こちらはお嬢様のお小遣いで十分なのでね。財閥からの謝礼は君が受け取るといい」


 霞は目を見開き、カップを取ろうとしていた手を止めた。


「私があなたの推理を利用して事件を解決する?あなたに利点があるとは思えない」


「利点はないが、欠点を補える。白花嬢は、探偵を頼ったことをお父上に知られたくないと言っていた。私が表立って事件解決に乗り出せば、自ずと彼の耳に入るだろう。それでは彼女の提示した、父には知られずに調査する、という条件が達成できない。それでは契約をこちらが破ったことになる。つまり私は報酬をもらうことができない」


「しかし、財閥から謝礼が」


「財閥からの謝礼は、確かにお嬢様のお小遣いより何倍も大きいだろう。しかし依頼人との契約を破るのは、私の主義に反する」


 流澄は顔をしかめてため息をついた。

 依頼人との契約を遵守じゅんしゅするのは、信頼を得るのに最も単純かつ有効な手段だ。


「なるほど。あなたにとっては、名声よりも主義が大事か」


「この事業を続けるには、評判が大事だもの」


 流澄は、緑の目を細めて軽く笑った。


「あと三日あれば解決できる。どうだい?」


 霞は真剣な顔で、少しの間思案していた。


「残念だが、断る」


「……なぜ」


 流澄は目を見開いた。


「私はあなたの言葉を、完全に信じてはいない。少しでも偽りの可能性があるのなら、リスクを冒すことはしたくない」


 霞の灰色のそれは、真っ直ぐに流澄の瞳を見据えた。


 流澄は、ふっとため息をついて肩をすくめた。


「仕方ないね。君の言うことにも一理ある。私は君に、信用に足る人物だということを証明できていない。取引不成立、ということだね。じゃあこれ」


 流澄は、金属製のボタンを霞に渡した。


「これは……。位置特定魔道具の発信機」


「そう。その発信機の位置を見ながら、私が被害者及び加害者を尾行する。これくらいの協力はしてもらわないと」


「分かった。常に携帯しておこう」


 位置特定魔道具。

 警察なども使う、発信機と受信機が対になっている魔道具だ。


 発信機はボタン型で、携帯しやすい。

 受信機は指輪型で、発信機からの距離によって、三色に光る仕組みになっている。


「白花嬢は、今日は午前は授業、午後は守護通りで買い物だ。では、私はこの後仕事があるので」


 霞は、銀髪をかき上げて立ち上がると、店を出て行った。

 流澄は、自らストーカー事件を解決しないといけなくなった。


「惜しかったなぁ……」


 流澄はコーヒーをもう一杯飲んでから帰った。


 流澄が下宿に戻ると、桜は居間にはいなかった。

 午後の授業の準備をしているのだろう。


「つまらないなぁ。探偵のいろはを教えて上げようと思ったのに」


 彼はそう呟くと、黒髪を乱暴にかき上げてソファに身を沈めた。

 少しすると、階下から優しい匂いが漂ってきた。


「叶麗夫人が昼食を作り始めたみたいだ」


 ふいに、ぐうう、と彼の腹が鳴った。


 しばらくして、階下から、叶麗夫人の声がした。


「静星さん、寿々木さん。そろそろお昼休憩にしてはどうですか?昼食の方はできましたよ」


 流澄は桜を部屋に呼びに行った。


 食卓には、シチューとサラダが並んでいた。


 シチューは白くて滑らかで、優しい匂いがした。

 緑のサラダは、トマトで朱が添えられていた。


「これぞまさに、家庭料理のホテルランチ級!午後も頑張れそうです」


「私も、午後は仕事があるんだよね」


「あら、それなら、おふたりとも腹ごしらえは大事ですわね」


 夫人は終始にこにこしていた。

 彼女はいつも、柔和な雰囲気を醸し出している。


「もう少しだったんだよ、ほんとに。霞くんがあんなに疑り深くなければ、すぐに落とせたのに!」


「それは災難でしたね」


 肉を口に入れて、流澄がわめく。

 桜はじゃがいもを掬いながら答えた。

 叶麗夫人は、仕事のことと勘付いて奥に下がった。


「別にひとりでできない訳じゃないけどさ。白花財閥の会長ひとりの目を欺くことなんて朝飯前だけど、こっちはあえて取引してあげようとしてるの!なのに、一旦肯定してからやっぱり断るだなんて、ひどい思わせぶりだよ」


 流澄はぶつぶつと文句を垂れる。

 桜ははいはい、と聞き流しつつ、ちらりと流澄の口元を見やった。


「また口についてますよ」


「ん?ああ、すまない」


 シチューのルーが、口の端についていた。

 それを拭い取ると、桜は尋ねた。


「それで、あてにしていた取引は不成立でしたけど、ひとりでやるとしてどうするんですか?ほんとにあと四日で足りるんですか?」


「なんだい、私を疑ってるのかい?私は嘘はつかないよ。絶対にあと四日では解決するさ」


「信じてますよ、名探偵」

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