コーヒー派の探偵 紅茶派の教師
「流澄さん食べるの早いですよね」
「悪いかい?だって美味しいんだもの」
「よく噛んで食べないと、いつか喉に詰めますよ」
「この私が喉に詰めるなんてありえないよ」
「……」
しばらくは無言の時が続いた。
流澄は、湯沸かし器に水をいれると、スイッチを押した。
水は一瞬でお湯に変わった。
流澄は戸棚からカップを取り出すと、上機嫌に鼻歌を歌い出した。
しばらくすると、コーヒーの香ばしい匂いが漂い始めた。
この頃には、桜は食器を洗っていた。
「君はコーヒーは飲まないのかい?」
「僕は紅茶派です」
「なんだ、つまらない。それにしても、この美味しさが分からないなんて可哀想だなぁ」
「さっき、どっかの誰かさんが押し付けはよくないとか言ってましたけどね」
「はて、誰だろうね。これもお願いするよ」
流澄が差し出したのは、ドリッパー。
「はいはい」
「いつもすまないねぇ」
コーヒーを飲みながら、流澄はソファに座って本を読み始めた。
桜はその手元をしばらく眺めてから、口を開いた。
「何の本読んでるんですか?」
「魔法について」
「えっ、流澄さん魔法使えましたっけ?」
「めっぽうだめだよ。魔力が全くないんだもの」
「じゃあなんで……」
「もし相手が魔術師だったら、と考えたことはあるかい?魔法のありふれたこの世界では、魔法を犯罪に使う例もよく見られる。魔道具を操る一般人ならまだしも、本物の魔術師だった場合にはどうなる?」
この世界では、一部の人間は生まれつき魔力を持ち、魔法を使うことができる。
また、魔力を持たなくても、魔力を動力源とする魔道具を使うことはできる。
湯沸かし器も、その類いのものだ。
「私たちは仕事柄、犯罪者と関わることが多い。相手が魔術師だった場合に、魔法というものを知っているのと知らないのとでは、こちらの立場に大きな差が出るだろう」
流澄は鋭い表情をしていた。
彼の職業、それは探偵だ。
一般市民からの依頼を受けて調査に乗り出す、私立探偵。
彼は、この首都では、少し名の知れた探偵だった。
「たしかに……。流澄さん、そんなに考えてるんですね」
「これは命に関わる問題でもあるからね」
「今度僕にも貸してください、その本」
「いいけど……。ちょっと来て、見てごらん」
流澄に手招きされて、桜は皿を拭きながらソファの前まで来た。
流澄が本を開いて見せて、それを桜が黙読する。
「ええっと、これは姿を隠す呪文。な、長い……」
「どうだい?読めそうなら貸すけれど」
「や、やっぱりいいです!僕には難しいみたいなので!!」
「ううむ、やっぱりね」
「これでも僕、火起こしくらいはできますからね?コンロの火だって、それで付けてますし」
「君の魔法は家事に向いているみたいだね」
「これくらいがちょうどいいんですよ!魔法が使える教師なんてろくなことにならないんですから」
桜は声を高めた。
「故意に事故を起こしただの、不正に生徒のテストの解答を書き換えただの、すぐに疑われるんです。魔術師専門の班が検証したら、冤罪だって分かることですけど、色々面倒なんですよ」
「それは大変だね」
「ほんとにもう。僕、学校ではあんまり魔法は使わないようにしてるんですよ。火起こしなんてして見せたら、火事が起きた時にすぐに疑われますからね」
桜がやれやれ、と手を振った。
彼の職業は教師だ。
普通校で教鞭を振るう――とは言ってもまだ非常勤だが――彼は、優秀で真面目な青年だ。
そして微量ながら魔力を持つ。
探偵と教師。ふたりは訳あって一緒に暮らし始めた。
大学を卒業した後、流澄は就職するでもなく、ふらふらと国内を放浪し、旅の記事を寄稿して生活していた。
同じく、大学を卒業し教師免許を取った桜は、非常勤での契約が決まり、住む場所を探していた。
しかし、どこの下宿も家賃が高く、とても借りられそうにない。
そう悩んでいた時、彼は下宿の主叶麗夫妻の紹介で、流澄と出会ったのだ。
こうしてふたりの共同生活は始まった。
キッチンの片付けを終わらせて、桜は新聞を持って椅子に座った。
彼は、目次に目を通してあっと声を上げた。
「怪盗東雲!また出たみたいです」
「へえ」
「あの大富豪富田氏の家から宝石の付いた砂時計を盗んだ、と。ほんとに懲りませんねえ。いつもなら見出しになりそうですけど、今日の見出しは誘拐事件についてですね」
「国境付近で子供が次々と攫われている、例の事件か。確か国境の辺りは、元ルーチェ王国の領土だったよね。あの辺りはベルメール帝国と接しているから、行方を探すのも並の苦労じゃない」
「他国の領土を勝手に捜査することはできませんからね。怖いですね……」
そして桜は、じっと流澄の顔を窺った。
「流澄さんは、自分で仕事を取りに行く気はないんですか?」
「ううむ、それは気が乗らないね。探偵が仕事を取りに行くところなんて、警察くらいだろう?あれは傲慢だから、私が真摯に頼み込んだとして、沢山の制約を付けてあーだこーだとうるさいの何の。こんなに楽しくない仕事はないよ、きっと」
流澄は緑の瞳を細めた。
「まあ、彼らが私のところに来るのも時間の問題だけどね。あ、もうこんな時間。私は床屋に行かねば」
流澄はパッと立ち上がると、上着を羽織って出て行った。
「凄い自信だ」
桜は新聞を片付けると、部屋の掃除を始めた。
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