第37話
部屋に向かっている大勢というのはマフィアだろう。忘れていたが、ボスを倒しても復活してしまうのだった。新しい素体に意識をダウンロードしたあと、手下を引き連れて戻ってきたに違いない。
「早く逃げないと」
「おい、こっちだ」
部屋の何処かから声がした。
「こっちだ、こっち」
声が聞こえたあたりを探すと、部屋の隅の方の床板が外れていた。そこから見えた顔に、私は心底驚いた。
「オーナー?」
クラブのオーナーだった。彼は失踪したはず。
「どうしてここに?」
「そんなことはあとでいくらでも説明してやる。早くしろ」
急かされるように穴に入ると、嗅ぎ慣れた悪臭がした。
「本物のオーナーだ」
私はなぜかとても心を揺り動かされた。感動したというやつだ。思わずオーナーに抱きつくと、オーナーは嫌そうに私を引き剥がした。
「ふざけてる場合じゃないだろ」
ふざけているわけではないのだが。
我々が全員床下に入って床板を戻すと同時に、足音が部屋の中へ入ってきた。
「お前たちボロボロだな。ほら、エナジーボトルをやるよ」
オーナーから渡されたエナジーボトルは、名前の通り我々アンドロイドのエネルギーを回復させる。しかし、一般アンドロイドである私は回復したが、戦闘アンドロイドであるルーカスとルートヴィヒには足りない様子だった。ルートヴィヒは露骨に腹をすかした犬のような顔をした。
「贅沢言うな。逃げるだけのエネルギーがあれば充分だろう」
床下はちょっとした配管を通すためのスペースのようだ。幸い、今のところ追加の配管が通っている様子はない。暗くて先が見えないが、随分先まで空間は続いているようだ。オーナーが通ってやってきたのだから、どこからか続いている場所があるのだろう。立ち上がって歩けるほどの広さはないが、なにせ足がなかったり下半身がないメンバーが居るのだ。這ってゆくくらいが丁度よい。
この空間はどれだけ広がっているのだろう。少し進むと、妙に熱くなってきた。どうも排水配管がすぐ横を通っているらしい。触らなくても、かなりの熱を持っていることがわかる。我々にとってはありがたかった。熱センサーで探索されても、よほど注意してみないと我々が潜んでいることはバレないだろう。
慌ただしい足音は聞こえなくなった。我々がかなり深いところまで来たのか、それともマフィアたちが諦めたのだろうか。
少し広い空間に出た。排水配管はどこかへ消えた。もっと深いところへ潜ったのだろう。排水の配管は傾斜が必要だから、真っ直ぐ進む我々とは並走できない。
「休憩しないか」
オーナーが言った。彼に訊きたいことは山ほどある。
オーナーがタバコに火をつける。
「ちょっと、見つかっちゃうじゃないの」
「大丈夫だろ、これくらい」
「俺にもくれ」
それまで黙っていたルーカスがオーナーに手を差し出した。オーナーはタバコを一本差し出した。
「ルーカスまで……」
ミシェルは頭を抱えた。
レオナは子供をギュッと抱えて放しそうもない。子供になにか危害が加えられないか気が気じゃない。とはいえ、元は彼女が子供を助けてくれたということは、レオナも私に対して同じことを思っているのかもしれない。
「オーナー。彼女は一体何者なんです?」
私は目だけでレオナを見る。オーナーはまるでいつも通り、世間話でもしているみたいな様子で言った。
「こいつはシャープシューターのレオナ」
「それはさっき聞きましたよ」
「それだけだ」
「それだけって……」
「いや、俺も驚いてるんだよ。まさか、お前がマフィアの本拠地に乗り込んでいってボスまでやっつけちまうなんてな」
タバコを咥えたまま喋るものだから、灰がそこら中に舞っている。
「オーナーはボスにビビって逃げましたもんね」
私が言うと、オーナーは「面目ねえ」と後頭部を撫でた。
「でも、メッセージをお前に残しただろ?」
「メッセージ?」
記憶を辿ってみたが、全く身に覚えがなかった。
「おい、まさかタバコ見てねえのか?」
「タバコ?」
タバコと言えば、オーナーが一本だけ私に押し付けたものがあった。あれはどうしたかーーそうだ、アパートの屋上で喫(の)んで、それから落としたんだった。
「あれがどうかしたんですか?」
オーナーは両手で目を覆った。
「あれにな、マフィアには関わるなって残しておいたんだ。それに俺のことやレオナのことも記録しておいたんだぞ」
そんな重要な情報が入っていたなんて。そういえば、なにかパッケージから見えたような気がしたが無視してしまったのだ。
「お前なあ……」
オーナーが呆れた顔で私を見た。
「まあ、いいじゃないですか。こうやってマフィアをやっつけられたわけだし。やっつけたのは私じゃなくて、ルーカスですけどね」
ルーカスを見る。あれだけの大立ち回りをしていたのに、テンガロンハットだけは一度も落とさなかったのは驚きだ。当のルーカスは先程からおとなしい。武蔵との戦いで随分消耗したのだろう。
「最強のアンドロイド、ルーカスか」
オーナーもルーカスを見た。
「運が良かっただけさ。戦場では運のないやつから死んでいく」
ルーカスがテンガロンハットをクイッと持ち上げた。彼の決めポーズだ。
「手足は大丈夫か?」
「なあに、戦場じゃあ手足が揃っていることのほうが稀ってもんさ。慣れっこさ」
戦っているときのルーカスと、普段格好つけているときのルーカスには落差があって慣れない。
「あんたが仲間になってくれたのは奇跡みたいなもんだな」
オーナーがルーカスの肩を叩く。
「ライラちゃんの魅力が俺を狂わせたのさ」
「ライラちゃん?」
オーナーが訝しげに私を見る。
「ミシェルのことですよ」
よくわかっていなかったようだが、オーナーは上半身だけになったミシェルを見て楽しそうに笑った。普段の彼らは犬猿の仲だからだ。
「酷いざまだな」
「今言う事?」
ミシェルが不機嫌そうに眉をしかめる。
「いや、あまりに無様なんで誰かと思ってたわ」
オーナーは笑うのをやめない。やけにずっと笑っているなと思ったら、困ったような顔でこちらを見た。
「笑いを止められない」
苦しそうに笑いながら言うオーナーを見て、ミシェルはニヤリと笑った。
「一生笑ってればいいじゃない」
ミシェルがなにかしたんだな、とこの場にいた誰もが思った。
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