第31話

「これが欲しいんだろ?」


 ボスは子供の頭を掴むと、ボールでも投げるみたいにこちらへ投げて寄越した。私は慌てて捕まえた。


 私の腕の中に戻ってきた。ひと目見ただけでわかる。私の子供だ。私の、世界に一人だけの少女だ。


「一つお前たちにチャンスをやろう。子供を連れて俺たちから逃げ仰せてみろ。お前たちの信念を見せてみろ」


 ボスの声に続いて、ひときわ大きな爆発音がした。地面が揺れた。部屋の壁が崩れて爆風とともにルーカスが吹き飛んできた。


「よお、ボーイズアンドガールズ。元気か?」


 先程から続いていた音は彼が戦っている音だったのか。


「生きてたんだ」


 ミシェルが呟く。


 ルーカスはテンガロンハットをクイと持ち上げると「アンドロイドは誰でも死ぬ。早いか、遅いかだ」とのたまう。格好つけているつもりだろうか。だが、せっかく格好つけていたのに、ルーカスは我慢できなくなったのか「ライラちゃん。やっと会えたね」と駆け寄ってきた。


「うう、うう」


 ルーカスの後を追ってルートヴィヒも部屋に入ってくる。ルートヴィヒが鳴き声のようなうめき声を上げた。


「こっちは死んでないじゃない」


 ミシェルが身構える。


「もう疲れた。どうしてだよぉ。僕のほうが強いはずなのに」


 ルートヴィヒが声を上げて泣き始めた。


「ヘイ、ボーイ。顔を上げな。お前は弱くなんてなかったぜ。ただ、俺が強すぎるだけさ」


 彼らはずっと戦い続けていたのか。


「いい加減逃げるのはやめろよ。それでも最強のアンドロイドか?」


 ルートヴィヒは目に涙をためたまま、イライラしたように叫んだ。彼はそこにボスが居るのもお構いなしに部屋を包み込まんばかりの炎を放出した。


「バカ、始まりの人間まで殺すつもりか」


 ボスの慌てた声に振り返ると、水槽ごとボスが床の下へスライドしていくところだった。水槽があったところに大きな穴が開いている。穴にはレールとベルトが設置されており、階下へ移動しているのだとわかった。ボスはサングラスを外してウインクした。我々もそこから逃げようと思ったが、穴はすぐに塞がれてしまった。


「さあ、鬼ごっこの始まりだ」


 部屋のスピーカーからボスの声が聞こえた。


「鬼ごっこってなんだ」


 ルーカスが尋ねる。


「ここから逃げられたらあたし達の勝ちってことよ。期待してるわよ、ルーカス」


 ミシェルがウインクする。


「まかせとけ」


 ルーカスは腰に下げていたショットガンを構えた。




 夏の暑い日のことを考える。


 急な雨に降られて、カフェで過ごす時間が好きだった。


 日中は暑いのに、雨が降って夜になるとグッと寒くなる。そうすると皮膚のシリコンゴムが少し縮むのを感じる。


 赤道の近くの国や東アジアの国は、40度近くなると聞くが、どうやって生活しているのだろうか。ドイツの夏は30度を超えることすらない。アジアに行ったら皮膚が溶けてしまうのではないかと思う。


 逃げながら、そんなどうでも良いことを考えて現実逃避した。背後からはマフィアやらルートヴィヒが追いかけてきている。ここまでやってくるのも骨が折れたが、敵から逃げながら地上を目指すのは難しそうだ。


「戦闘アンドロイドってのは、みんな君たちみたいに戦いが好きなのか?」


 今の状況を、まるでルーカスのせいみたいに文句を言ってしまった。ルーカスは全く気にせずに答える。


「俺たち傭兵はみんな違う道を生きている。これからもそうだ。互いに相容れないのさ」


「さっきの彼も?」


 ルートヴィヒのことだ。彼は見た目は子供のように見えるが、アンドロイドの見た目と年齢が一致しないことなどわかっている。それでも、子供型アンドロイドがあんなふうに戦闘用に改造されているのを見ると憐れまずにいられない。


「あいつは殺しの技術にかけては一級品だ。だが、戦場ではみんな死んじまう。あいつはまだ死んじゃいないってだけさ。10秒後に死ぬかもしれないし、100年経っても生きているかもしれない。俺だって……」


 言いかけてやめたルーカスの、サングラス越しの寂しげな眼差しが印象的だった。あまりにも戦いが苛烈なので、彼に八つ当たりをしてしまった。申し訳ない気持ちになった。


「でも、傭兵がいてくれるから私達は安全に暮らせるんだ。ありがとう」


 ルーカスは驚いたような顔をした。


「欲しいのは金だけだ。感謝はいらない」


「それは同意見」


 ミシェルが笑った。




「こいつらも侵入者か? 大将、どうする?」


 ルーカスが弾を込め直す合間に私に尋ねた。大将というのは私のことらしい。先程まで付き人扱いしていたくせに。


「どうやって地上へ向かうのが良いだろう」


 ミシェルに尋ねる。彼女は情報を集めて地下のマップを作っていた。もちろん完全ではないが、彼女が最も効率的なルートを計算している。


「どこもだめね」


 背中にしがみついている彼女が諦めたように言った。


「そんな」


 背中にはミシェル、腕には子供を抱えて走っていた。私の肉体は強靭ではない。関節のアクチュエータが壊れないと良いが。


 敵の攻撃を避けるだけで精一杯だった。


「この施設ごと壊して良いならなあ」


 ルーカスがぼやく。


「ここは地下よ。生き埋めになりたいの?」


 ミシェルがイライラした様子で言った。




 私達はマフィアの銃撃から逃れるように大きな部屋に入った。


「おおっと」


 私達とルートヴィヒが部屋に入ると、扉が閉まる。どうも誘い込まれたようだった。


 部屋の中央にはアンドロイドが立っていた。


「強敵出現ってとこか」


 ルーカスが口笛を吹く。


 アンドロイドはアジアの武将が着ていたような赤い甲冑を着て、腰に二振りの刀を差していた。この手のマニアは何人も見てきたが、彼はタダのマニアではなさそうだった。甲冑の汚れは、多くのアンドロイドを切ってきたのか汚れていた。


「げえ、武蔵(むさし)……」


 ルートヴィヒが舌を出した。どうやら、甲冑アンドロイドの名前のようだ。


 ルートヴィヒは急に覚めたような顔をして、私達から距離を取った。


「あんたら、終わったな。そいつの名前はグレート武蔵ってんだ。四天王のリーダーだよ」


 先程まで我を忘れて血眼になっていたはずの彼が冷静になるとは、武蔵はよほど畏怖される存在なのだろう。


 当の武蔵はといえば、部屋の中央で腕を組みピクリとも動かない。


「寝てんのか?」


 ルーカスが武蔵に向かって発砲した。その瞬間、武蔵は目で追いきれないほどの速さで刀を抜いた。


「今、何をした?」


「刀で銃弾を切ったんだよ」


 馬鹿げている。あの速度で飛んでくる小さい弾丸を、刀なんかで切れるものか。


「そんなこと可能なのか?」


「そう言ったって、実際に見たろ? 可能なんだろうぜ」


 ルーカスの顔から笑みが消えた。


 今度は武蔵が刀を振った。そう思った瞬間、ルーカスが私を蹴り飛ばしていた。私はミシェルと子供ごと地面を転がった。ミシェルよりも子供を守らなくては、と思った結果、ミシェルが転がって行ってしまった。ミシェルに睨まれることになったが、子供は傷ひとつなくてよかった。


「なにするんだ」


 立ち上がろうとして、今の今までいた場所を見ると、地面がえぐれていた。


「衝撃波だ」


 こちらを見ずにルーカスが言う。刀を振っただけでこんなことになるのか。

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