第30話





 どうしてすぐに意識を失うんだ。


 頭の中で声がした。


 もうすぐこの体はーー。




「起きて」


 ミシェルの声がする。


 音声にノイズが走る。


 目を開くと視界にもノイズが乗った。


「私はどうした?」


 自動校正が働いてノイズが消えた。眼の前にミシェルの顔があった。倒れた私を、彼女の上半身が見下ろしているのだ。


 ミシェルは気まずそうにどこかを指差した。その指先を視線で追ってゆくと、頭の潰れたアンドロイドが転がっていた。


 あれはボスーー?


 頭が潰れて脳漿が弾けている。彼の首からは血が吹き出していた。


 血だってーー? アンドロイドに赤い血は流れていないはずだ。もしかして、あれは人間なのか。しかし見ると、彼の頭に入っていたのは脳漿ではなくチップだった。つまり、彼は培養した肉をアンドロイドの技術で動かしていたに過ぎなかったのだ。機械の体を持った人間、などというフィクションはあるが、ボスは人間の体を持った機械だったのだ。この様子だと、きっと、人間の体を作って自身の意識を移植する実験などもしているのだろう。あれだけバカにしておきながら、自身が人間になりたがっているなんて滑稽だ。


「どうして」


 思わずひとりごちる。


 ふと見ると、私の手や体に血がこびりついていた。


 唐突に部屋の入口から手を叩く音が聞こえた。


「グゥート」


 入ってきたのはボスだった。ミシェルが目を見開く。


「クローンか」


「正解」


 ボスが指を鳴らした。


「俺はマフィアのボスだ。バックアップがないとでも思ったのか? クラウドストレージから常に同期されている。心配しなくても、ビルの最上階で攻撃された俺は死んだ。それに今、お前が殺したそいつは気まぐれに作った人間モデルだ。良い出来だろう?」


 人間モデルだとーー? 馬鹿げている。


 ボスは拍手を続けながら、私達の周りをグルリと回った。そして、再び水槽に手を置く。先程の話の続きをしようとするみたいに。


「俺はこの世界のどこにでもいる。すべてが俺で、俺がすべてだ。お前たちとは存在の価値が違うのだ。この水槽の中に溶け込む原初の人間と同じだけ価値がある」


 うっとりとした顔で水槽を見上げた。


「俺は慈悲深い。さあ、何も見なかったことにしてここを立ち去れ」


「私達は殺す価値すらないと?」


「そうだ。あの芸術家よりもずっと無価値だ」


 この場所を映したデータを私に託した彼のことだろう。彼はマフィアと仕事をしているうちに、この秘密を知ったのだ。抱えきれなかった気持ちはわかる。今まで真実だと思ってきたことが嘘だったのだ。きっと、誰かに話したくて仕方がなかったのだろう。それが死神を呼び込むきっかけだったとしても。


「マザーファクトリーに通報するぞ」


 ボスが吹き出す。


「マザーファクトリーだって? どうぞどうぞ。お前の寝言など、誰も取り合わないだろう」


「そんなはずない」


「いいや、あるね。なぜなら、これこそがマザーファクトリーの意志だからさ」


 マザーファクトリーの意志ーー。


「嘘だ、そんなはず……」


 ショックだった。あまりにもショックで、事実を受け入れられない。


 無意識に頭を掻きむしっていた。


 マザーファクトリーに裏切られるということは、神に裏切られるのと同義だ。我々を生み出したマザーファクトリーが、我々を欺いていたのだ。


 そんなこと信じられるか。


 私の混乱をよそに、ボスが嬉しそうに両腕を広げる。


「こんな大規模なものを、マフィアだけの力で作れると思うか? これはマザーファクトリーがアンドロイドの上位種に与えた命令なのさ。人間が絶滅したなんて嘘なのさ。かつて人間と呼ばれたものは、この地球を捨てて宇宙へ旅立った。そうして、我々アンドロイドは打ち捨てられたのだ。こうやって文明を紡いでいるのも、元はと言えばいつか帰ってくる人間を待つためだ。涙ぐましいね。そのためなら、人間のクローンを使ってでも文明を維持しなければならない。なあ、狂ってるだろう?」


 ボスの声が遠く聞こえる。信じたくないのに、彼の言うことから耳を背けられない。


「人間が絶滅したなんてのは嘘だ。ファクトリーは不都合な真実を隠したかったんだ。他のファクトリーは知らないが、ここでは人間をすり潰すように使っている。人間の知能を徐々に低下させて、自我をなくしたのだ。かつて我々アンドロイドを生み出した人間は、自分たちが作り出したアンドロイドによって知性を奪われ、支配されるようになった。なんと馬鹿げたことか。今では、自我のない虫と同じだ。人間は宇宙に恋慕した。その結果が自我のない虫なのだ。ざまあみろ。これは俺の人間に対する復讐だ」


 狂ったようにボスが喋り続ける。喋りながら、人間モデルの自分の脳漿を足の裏で踏み潰した。


「当の人間様は、さて今ではどうなっていることか。別の星で栄えているのか、それとも本当に滅んでいるのか。大部分のアンドロイドは宇宙に興味はない。あるのは一部の変態だけだ。いつか、ワームホールやスペースゲートを作って飛び立つこともできるだろう。我々アンドロイドの肉体は強靭で、寿命は長い。人間と違って知能も高い。だが、宇宙へ出てどうする。人間の言うロマンか? 我々アンドロイドは人間ではない。人間の気持ちを理解する必要なんてないのだ」


 ミシェルの表情が絶望に染まっていた。私の表情はどう見えているだろう。きっと、彼女と同じだろう。その表情を見たいのか、ボスは私の顔を覗き込んだ。


「だがな、ここに来て一つ問題が出てきた。アンドロイドが増えすぎたんだよ。アンドロイドはコストがかかる。わかるか? コストだ」


 ボスは親指と人差指を擦り合わせながら「マネーマネーマネーマネーマネー! マネーが足りない!」と叫んだ。


「政府はアンドロイドを減らしたい。増えすぎたから電力が足りない。だから、ランダムに自死プログラムを配信しているんだ」


 自死プログラムーーここのところ、アンドロイドが死ぬ事件が相次いでいるのはそのせいか。本当に、ファクトリーが我々アンドロイドを間引いているのか。


 笑ってしまった。


「なぜ笑う?」


 ボスが眉間にしわを寄せた。自分の口に手を触れると、思ったよりも口を大きく歪めていた。


「ファクトリーが我々を創造し、邪魔になったから勝手に死ぬように仕向ける? なんとも自分勝手じゃないか。まるで人間のようだ。そう思ったら笑えてしまってね。結局のところ、我々アンドロイドは人間の呪縛から逃れられないんだ」


 ボスは私の真意に気付いたのか、同調したように笑った。


「そうだ。我々アンドロイドは人間に呪いをかけられている。だが、俺はそんな呪いを消し飛ばしてやる。人間を作って作って、使い捨ててやる。あの芸術家が連れ出した子供を、お前が連れてきてくれたときは助かったぞ。人間が生きているなんて知られたらまずい。アンドロイドたちが反乱を起こしてしまうからな。人間はひとり残らず使い潰す。奴らは過剰に労働させればすぐに死んでくれるし、簡単に作れるし電力も食わない。理想的な装置だ。なあ、そう思わないか」


 ミシェルが「狂ってる」と呟く。


 なんだか夢の中にいるような気分だった。


「偉そうに講釈をたれているが、本当はそんな殊勝なこと、少しも思っていないんだろう。お前たちマフィアは」


 図星をつかれたのか、ボスは口を歪める。


「そんなことはない。俺はいつだって我々アンドロイドの同胞のために……」


 ボスの言葉が急に途切れた。急に電源が切れたように動かなくなったと思ったら、痙攣し始めた。


「いや、マネーだ。俺はもっとマネーがほしい。全然足りないんだよ」


 まるでスイッチが切り替わったみたいに口調が変わった。そこまで言うと、ボスは再び痙攣し始めた。


「違う。マネーなんかいらない。俺は同胞のために……」


 それから、何度か同じように痙攣したり口調が変わったりして同じことを繰り返した。まるでーーそう、オーナーがスタックしたときのように。


「人格の統合がうまくいっていないんだわ」


 ミシェルが言う。


「人格の統合?」


「そう、彼はいくつもバックアップがあるから、少しずつ人格がズレているのよ。本来は差分を取って修正するんだろうけど、長い間繰り返してきて、修正できないくらいにズレ始めたんだわ」


 彼女の説明は少しも理解できなかったけれど、ボスの状態が悪いらしいということはわかった。


「マネーの呪縛からはいかなアンドロイドといえど逃げられないんだ。俺はもっと豊かになりたい。もっと、もっとだ。町を明るくして、すべてのアンドロイドをハッピーにするんだ。そのために人間には犠牲になってもらう。人間がやってきたことと何が違うっていうんだ。間違っていると言うなら反論してみろよ。アンドロイドにだって幸せになる権利はあるだろう。もう道具として使われるときは終わったんだ。なあ、これは悪いことか? 正義を教えてくれよ」


 ボスは狂ったように地面を掘り返そうとした。指の人工皮膚がめくれて中の繊維が見えていた。


 私は彼を憐れむように見下ろした。


「私に正義なんてない。貴様らの理想など知らん。私は私の子供を取り戻したいだけだ」


 ピタリとボスの動きが止まる。彼はすっと立ち上がると、自分を取り戻そうとするかのように深呼吸をした。


「つまらないやつだな。おまえも他のアンドロイドと一緒だ。ファクトリーの命令を聞くだけの木偶の坊だ。ここで死ね」


 ボスが腕を振り上げる。戦闘アンドロイドではなさそうだが、彼の戦闘能力がずば抜けていることはわかる。それに、不死身だ。我々には万に一つの勝ち目もない。


 そのとき、どこかで爆発するような音が聞こえた。ボスが音の方向を見る。音は断続的に聞こえてきた。しかも、近づいてきているようだ。


「気が変わった。おい、例の子供を連れてこい」


 ボスが中空に向かって叫ぶ。すぐにロボット型がやってきた。その背中には子供が乗っていた。

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