第29話





「あの子」


 扉を開いた先に、子供が立っていた。キョトンとした顔で私達を見ている。あの日、アパートメントビルディングの屋上で見たときと同じように、白いボロキレのようなワンピースに裸足という格好だった。


「よかった、ここにいたのか」


 私は駆け寄って行って、彼女を抱きしめようとしたが、システムダウンしたままのミシェルを抱えていてできなかった。かわりにミシェルが子供を抱きしめた。


 子供は手をだらりと下げたまま、キョトンとした顔をしている。


「どうした? 助けに来たんだよ」


 私とミシェルは顔を見合わせた。私はともかく、ミシェルには懐いていたはずだ。


 ミシェルが子供を放すと、子供は裸足のまま部屋の奥へ走っていった。


「ねえ、見て……」


 ミシェルに言われて顔をあげると、私は驚愕した。


 同じ顔の子供たちが、何人もそこにいたからである。彼女たちはそれぞれ、通路の両側に対称に並ぶ円柱型水槽の前でなにか作業をしている。水槽の中には緑色の水が満たされており、上から太いケーブルが何本も接続されている。全面にはコントロールパネルのようなものが備え付けられており、水槽の環境を操作するのだろう。水槽の中にはまた、同じ顔の子供が浮かんでいる。奇妙なのは、彼女らは一切喋らずにコミュニケーションを取らないことだ。何人もいるのに、お互いのことが眼中に入っていないようだ。


 子供が一人ころんだ。慌てて助け起こすと、彼女は戸惑ったような顔を私に向け、再び元の持ち場に戻っていった。他の子供たちは倒れた子を一瞥すらしなかった。なんだか気味が悪い。ふと、子供が初めて私の目の前に現れたときのことを思い出した。彼女も、私という他人相手にどうしていいかわからない様子だった。


「どういうこと? あの子は人間のはずよね。人間は遺伝子が近くてもここまで同じ見た目にはならないはずだけど」


「クローンだよ」


 背後から聞こえてきた声に驚いて、私は振り返った。


「ボス……生きてたのね」


 ミシェルが呟いた。その見た目は、夢で見た通り、あの日クラブに来た男だった。今日も裸だが、股間にデータプラグは見当たらなかった。


 正夢、という言葉が頭に浮かんだ。あの夢はやはり、誰か別人のデータが再生されたものだったのだろうか。


「彼女たちは人間のクローンだ。もっとも、ここ以外のプランテーションでは自然交配もさせているみたいだがね。非効率的なやり方だが、クローンよりも丈夫なサンプルが誕生するらしい」


 まるでジョークでも言うみたいな口調だった。


 私はゆっくり立ち上がり、あとずさった。


「どうして、こんなことを?」


 私が後ずさる速度に合わせて、ボスもゆっくり前進してくる。


「どうして? 簡単な話さ。でも話すと長くなる。そういうことってあるだろう? 動物に芸を教えるように、単純なことでも説明して理解させるのは大変なんだ」


 何かにぶつかった。振り返ると、子供と同じ顔をした子供が倒れている。


「すまない」


 引き起こすと、やはり子供は戸惑ったような表情を浮かべ、足早に元の持ち場へ戻ってゆく。


「無駄だよ。彼女たちには知性がない。そういう風に作ったんだ」


「どういうこと?」


 ミシェルの眉間に深いシワが刻まれる。彼女はよくその表情をするが、そのたびに人工皮膚にシワが寄るから嫌だと言っていた。


「邪魔だろう? 知性なんて。人間は低コストな単純労働装置なんだから」


「単純労働装置だって? 人間は知性的な動物だ。我々アンドロイドの創造主だ」


 ボスが吹き出した。


「人間が知性的だって? 我々アンドロイドの創造主? 笑わせる。それなら、なぜ創造主は我々アンドロイドに劣っている? 身体機能、寿命、知能……。何一つ取ってみても我々アンドロイドが彼らに劣後していることなどない。なぜ劣等種に従わねばならない」


 反人間派のアンドロイドの言い分と同じだ。彼らは皆一様に同じ考えである。我々アンドロイドが優れた存在であると驕っている。


 ボスは私が後ずさる速度より早く近づいてきた。触れるほど近づいたとき、私はなにかされると思って無意識に体をかばった。しかし、彼は私達を通り過ぎて通路を奥へ進んだ。私とミシェルは顔を見合わせ、彼のあとに付いていった。


 通路は先程の部屋とは違い、部屋と部屋とをつなぐタダの狭い通路だった。何の装飾もなく、扉もない。思ったより長く、永遠に続いているのかと思った。そのうち、天井の高い開けた部屋に到着した。その部屋には液の満たされたひときわ大きい水槽が一つだけ置かれていた。中には液以外の何も入っていないように見えた。


「これは原初の人間だ」


 ボスが水槽を優しく撫でる。


「原初の?」


「宗教的な意味じゃあない。言葉通り、あれらの元になった人間が入っている」


 ボスは今通ってきた通路を指さした。子供たちのことを示しているのだろう。


 私は水槽の中に目を凝らすが、やはりなにか入っているようには見えない。


「ミサイルと爆発でおかしくなったのかしら。それにしても無傷だなんて信じられない」


 ミシェルがボソリと呟く。


 そういえば彼女が言っていた。そもそも、ミシェルがこんな体になったのも、自爆覚悟のミサイル攻撃をしたからだ。私も外から見ていた。カーテンウォールをミサイルでぶち破り、ドローンのカミカゼアタックがあった。それを察知して逃げたはずのミシェルですら下半身をなくすほどのダメージを受けたのに、どうしてボスは傷ひとつないのだ。肌に焦げ跡一つない。


 私がジッと見つめていると、勘違いしたのだろう。ボスは照れたような笑みを浮かべ、水槽にキスをした。そして、私に向かって手招きをする。


「気をつけて。なにか企んでいるに違いないわ」


 ミシェルが私の手をぎゅっと握る。緊張しているのだろう。彼女にしては珍しい。しかし、ボスと対峙して死の淵を味わったのだ。彼女でなくても正気ではいられないだろう。


「ヘイ、スウィートガール。俺は別にお前たちに対して何もしないさ。もうお前たちにはそれほどの価値もない。人間は返してもらったしな」


 ボスは余裕たっぷりに私達に手を伸ばす。


「じゃあ、どうして私達に構う?」


「うーん」


 ボスは大げさに悩むようなポーズをした。彼にとって、本当に私達は取るに足らない存在なのだろう。護衛もつけず、武器すら持っていない。確かに我々には戦闘能力はない。ちょっとくらい電子ドラッグで身体強化したところでどうにもならないことは、嫌というほどわかった。おそらく、ボスも戦闘用に強化されているのだろう。それならば、武器なんてなくても素手で私のことを破壊できる。


「なにこれ……」


 ミシェルが呟く。


「どうした?」


 ミシェルに接続して会話する。


「ボスのシステムに侵入しようとしたけど、彼、ネットワーク上に存在しないの」


「ステルスになっているからだろう?」


「そうじゃないの。多分彼……生身よ」


「生身?」


 言葉の意味が分からなかった。


「つまり、彼の体、人間と同じなの」


「そんな馬鹿な」


 思わず声を出してしまった。幸い、ボスは私の声なんて気にせずにまだ悩んでいるポーズのままだ。


「彼がクラブでアンドロイドとセックスしているのを見た。それにほら、彼には人間の性器がないじゃないか」


 裸でやってきた彼の股間はぺったんこだ。男性型ならそこに突起物がついているはずだ。


「そうよね、何かの間違いよね」


 ミシェルがチラとボスを見る。


「わかったぞ」


 ボスが手を叩いた。


「お前たちが面白いからだ」


「面白いだって?」


「そうだ。実に人間らしい。人間の真似事をしている奴らよりよほどね」


 ボスはスッキリした顔で頷いている。


 水槽の液の中で水泡が上がってゆく。そのとき、水泡以外の何かが動いたような気がしたが、それがなにかわからないうちにまた見えなくなった。


「だから困るんだ。君たちにはアンドロイドらしくしてもらわないと」


 そう言うと、ボスは通路に向かって「おいで」と叫んだ。


 通路の向こうから子供が一人走ってくる。その姿は、家に帰ってきたときに何度も見たあの子供の姿と同じで、胸が苦しくなった。


 子供はボスの前に立った。ボスは彼女をクルリと回転させてこちらを向かせた。


「よーく見ているんだよ」


 言うなり、ボスは子供の首を折った。私は体の力が一瞬にして抜けて、ミシェルを取り落としてしまった。彼女はそんなことお構いなしに、子供の方へ這ってゆこうとした。だが、私もミシェルも気づいていた。すでに子供が死んでいることに。


 私達は子供が地面に崩れ落ちるのと同時に慟哭した。


 胸のジェネレータが熱い。この感覚は以前も経験したことがある。


 体が勝手に動く。私はボスへ走り寄り、めちゃくちゃに殴った。ボスは殴られるがままだった。


 曖昧な記憶の中で、私の意志に関係なく、右腕でボスを殴ると左腕がボスを殴った。それをひたすら繰り返した。


 私は意識を失った。

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