第28話
しばらくすると、音がやんだ。炎の柱も勢いをなくして消えた。高温で空気が揺らいでよく見えなかったが、最後まで闘技場で立っていたのはルートヴィヒだった。
「まさか」
ルートヴィヒの後ろでルーカスが倒れていた。
ルーカスは死んだのか? あのルーカスが?
確かに、先ほど動けなくなるほどの死闘を繰り広げたばかりだ。しかし、あのルーカスがやられるとは思えなかった。やはり、謎のプログラムに侵されているのだろうか。
「ひゃっはははは。やったぞ。僕はあのルーカスに勝ったんだ」
ルートヴィヒが掌をこちらに向けた。熱で掌の周りの空気が揺らいでいた。
絶望が私とミシェルの間を狂喜乱舞している。
「じゃあ、お前らも死ね」
「死ぬのはお前だ」
聞こえるか聞こえないか程度の小さい声だった。その声が聞こえた瞬間、地面が揺れた。
「なんだ?」
ルートヴィヒの後ろで、ルーカスが地面を壊すのが見えた。
私たちは階下へ落ちていった。
「行け、振り返るな」
崩れ行く地面の音とともに、ルーカスの声が響いた。
階下に落とされた私は、仲間とはぐれてしまったようだった。瓦礫から体を救出すると、上を見上げた。故意に作られた縦穴には見えなかった。曲がりくねった洞窟のような穴は、私達が落ちてきたフロアを見ることはできない。
随分落ちてきたらしい。上って戻ることはできなそうだ。もっとも、戻ったところでルートヴィヒに敵いはしないのだが。そのぶん、ルートヴィヒが追ってこられなそうなのは幸いだ。
「ミシェル?」
背負っていたはずのミシェルの姿が見当たらない。落ちる間に離れてしまったのだろう。しかし、そんなに離れていないはずだ。
私は瓦礫をどかしながら彼女を探したがミシェルを見つけることはできなかった。
瓦礫をどかしていると、この部屋がどんなところなのかわかってきた。部屋自体は丸くて広い。元々はなにかの部屋だったのかもしれないが、随分昔に打ち捨てられた場所のようだ。特に何も置いてあるわけではなくて、一本の廊下が部屋から続いている。部屋というよりも洞窟に近い。どうして、繁華街の中心に建っているビルの地下がこんなふうになっているのだろうか。
壁には松明のような照明がついている。もちろんフェイクだ。触れてみたが熱くはなかった。
廊下を進むと、道が左に直角に曲がった。その先から光が漏れているのが見える。私は吸い寄せられるようにその角を曲がった。
「エヴァン」
道の先は眩しいばかりの光にあふれていた。光の中にミシェルが立っていた。
「ミシェル。無事だったのか。下半身もどこかで調達できたんだな」
「ええ、ボスが直してくれたのよ」
「ボス?」
見ると、ミシェルの先にあの裸の男が立っていた。彼はマフィアのボスだったのか。道理で貫禄がある。
「あたしたち、彼を誤解していたの」
「そうさ。お前も仲間になれよ」
ボスがこちらに手を伸ばす。考えあぐねていると、ミシェルが私の手を取ってボスと握手させた。
「シェイクハンズ!」
ボスは大口を開けて笑う。金色の歯が眩しい。
「子供は? ルーカスは?」
「子供も無事よ」
光の中から子供が走り寄ってきた。
「よかった……」
「今度こそ、この子にちゃんと名前をつけてよね」
「わかった……約束する」
「お前たちのことを守ってやったんだ。報酬は色を付けてくれよ」
さらに光の中からルーカスがやってくる。
「無事だったのか」
「勝手に殺すんじゃねえよ」
ルーカスがミシェルの尻を揉んで手をつねられた。
子供を抱き上げると、ボスが拍手した。ミシェルも、ルーカスもだ。
ああ、なんて素晴らしい結末だ。
気がつくと、私は瓦礫の中に倒れていた。
何だいまのは。まるで夢みたいなーー夢? 人間みたいなことを言う。こんな記録データは存在しない。ただの願望だ。電子ドラッグでも食らったか?
体を起こすと、体の上にあったコンクリートの塊が床に落ちた。
「エヴァン?」
近くからミシェルの声がする。
「ミシェルか?」
声のした辺りの瓦礫をどかすとミシェルの上半身が現れた。やはり下半身は失ったままだ。
「今、なにか変なデータを見ていたような」
「私も……なんだか、幸せな……電子ドラッグで見る夢のような」
「そう。あたしも同じ。これって、何か変よ」
ミシェルが頭を抑えて首をふる。髪の毛がふわりと浮いた。ミシェルの香りがする。これはきっと現実だ。
「とりあえず、ルーカスを探そう」
「そうね。あたし達だけじゃここから逃げ出すこともできないわ」
ミシェルを抱えると、立ち上がった。
辺りは静かで明るかった。先程の夢で見たような洞窟ではなく、なにかの機械室のような部屋だった。大型の外調機のようなものが音を立てている。
部屋から出ると、やけに綺麗で広い廊下があり、床にはレーンがいくつも敷かれていた。ロボット型がそのレーンの上を滑るように移動していてにぎやかだった。単純命令型ロボットなのだろう、彼らは私達のことなど眼中にないようで、行く先を邪魔しなければこちらの邪魔もしないようだった。
ロボット型の邪魔をしないように廊下を進むと、他の部屋とは明らかに様子が違う、大きな扉があった。
「怪しいわね」
入室するには入り口の端末でセキュリティを突破しなければならないようだった。ミシェルが解析を始めてすぐ、私の顔を見上げた。
「どうしたんだ?」
「これはお手上げね」
「どういうこと?」
「セキュリティの硬さがハンパじゃないってこと」
「君をもってしても?」
「あたしをもってしても」
ミシェルがため息をつく。
「時間さえかければできないこともないだろうけど、その間にあたしたちは捕まるわね」
「他の部屋も?」
ミシェルはうなずく。
「見てないけど、たぶんどの部屋もそうでしょうね。こんな大掛かりなものを地下に作っているんだもの。きっとどの部屋も超特級の機密事項なんでしょうよ」
ミシェルが上半身を伸ばす。
「せめて体が完全だったらな」
「下半身があってもチップのサイズは変わらないだろう?」
「ストレスを発散できるってことよ」
ミシェルが私を殴る。
「あたしがもう一人いれば、簡単なんだけど」
「君がもう一人いれば良い?」
「そうね。あたしがもうひとりいたら、この世のどんなセキュリティだって突破できる自信があるわ」
「支援AIは?」
「支援AI込みでね。ここからだとクラウドも使えないし、ローカルの支援AIしか考慮に入れてないけど」
「わかった。君が二人いれば良いんだな」
「は? 何言ってるの?」
ミシェルが怪訝な顔で私を見上げる。それを無視して支援AIを呼び出した。できれば彼女に知られたくなかったが、背に腹は代えられない。
「支援AI。ミシェルを手伝って」
私はミシェルに有線接続して支援AIの使用権限をミシェルに与えた。
「待って、これ、あたし? あんた、いつの間にこんな……この変態」
支援AIを見て、ミシェルが口元を歪ませた。
「覚えときなさいよ、この変態。でも今回に限って言えばよくやったわ」
ミシェルは早速セキュリティの解析を始めた。
「終わったわ」
ほんの数秒だった。
「早いね」
「そりゃあ、あたしがふたりいるようなもんだからね。本物には遠く及ばないけど、この子もよくやったわ」
圧縮空気の流れる音がして、扉が振動する。
「まあ、あたしがいればなんだって……ああっ」
胸を張っていたミシェルが、突然悲鳴を上げた。
「どうした?」
ミシェルが痙攣する。彼女を抱えている私も震えるほどだ。
「やられた。トラップ……」
絞り出すような声のあと、ミシェルのシステムがダウンした。
「おい、ミシェル」
慌ててミシェルに接続しようとしたが、直前で手を止めた。もしウイルスなら接続した瞬間に共倒れになってしまう。
戸惑っていると、どこからか声が聞こえた。
「大丈夫。ダメージは最低限」
ミシェルの声だ。しかし、ミシェルが再起動した形跡はない。どこから聞こえているのだろう。
「ちょっと、あたしの体にあんまりベタベタ触らないでよ」
頭に響く声は確かにミシェルだ。
通知音と共に、手のひらから中空に画面が浮かぶ。支援AIミシェルモデルだった。
「あんたの支援AIがあって助かったわ。システムダウンする前に、意識データを引き継いだ。時間がなかったから最低限だけど、元々あたしのモデルだったから助かったわ。だから今回だけは許す」
ホッとした。今、ミシェルを失うのは問題だ。
「体は遠隔で操作できる?」
ミシェルの体が操り人形のように起き上がる。
「行けそうね。ただ体が動くだけで、システムは動かない。つまり、支援AI以上の能力は発揮できないというわけね。だから、あたしにはもう期待しないで。ただの役立たずだから」
投げやりな声だ。
「そんなこと……」
「正規の手順を経ないで開けると発動するトラップとはね。原始的だけど、効果的ね」
私の声を遮って、ミシェルがうんざりした様子で言った。ミシェルの感心した声と同時に扉が開き始めた。
その先に待っていたのは想像もしていない光景だった。
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