第27話



「さっき、やっぱりロシア語使ったよね? ブリャーチって」


 道中、私はルーカスに尋ねた。


「知らねえなあ」


 ルーカスは鬱陶しそうにテンガロンハットを深く被り直した。


 私達はもと来た道に戻り始めた。道中にマフィアの姿はなかった。おそらく、ルーカスが裏切ったことが伝わったのだろう。彼が敵になるということは、一般のアンドロイドでは太刀打ちできないということだ。おそらく、先程の能面アンドロイドのような戦闘用に改造されたアンドロイドでなければ、無駄死にだ。つまり、ここから先は強敵しか現れないということを意味する。


 アンドロイドの時代は、人間の時代のような大規模な戦争は起こっていない。なぜなら、戦争が発生するような歪な知能格差がないからだ。アンドロイドの知能は、人間ほど標準偏差のゆらぎがない。誰もが合理的判断を行うことができる。戦争などというものは、知能の低いものが起こすのだ。


 加えて、ファクトリーという絶対的な創造主がいる。我々アンドロイドは彼らには逆らうことはできない。至上の命令に次ぐ強力な命令を発することができるのだ。


 マフィアは治安を維持するために存在しているらしいが、私はそれがどういうことなのかわかっていない。確かに、彼らに抑圧されている限り、悪事を働くものは少ない。何らかのバグにより暴走したとしても、すぐに鎮圧される。マフィアには圧倒的暴力と、それに伴う実質的権利が与えられているのに対し、警察はもっぱらサイバーパトロールがネットワーク上の治安を守っている。彼らは持ちつ持たれつなのだ。


 それでもたまに武力衝突が起こる。それは大抵の場合プログラムのバグが引き起こす攻撃性によるものであったり、何らかの手段によってリミッターを外した極端な能力者によるものだ。極端な能力者というのは、戦闘用改造アンドロイドやそれを造る者たちのことで、彼らはアイデンティティを戦いの中に見出す者たちである。そういう者たちに抗うために、公式に認められた戦闘アンドロイドは存在する。彼らは傭兵と呼ばれ、ルーカスのような賞金稼ぎも傭兵に属するらしい。


 戦地ならまだしも、こんな歓楽街のど真ん中に戦闘アンドロイドがやってくることは殆どなかったので、彼らの戦いを見たのは初めてだった。


 私の生活圏の中で戦闘が行われるなんて考えもしなかった。周りはジャンキーか乞食ばかりだったし、暴れる客がいてもセキュリティが助けてくれた。それに、困ったらミシェルに頼めば大概のことは解決すると思っていた。しかし、考えを改めねばならない。私はただ電子ドラッグを作れるだけの役立たずだし、ミシェルの能力も一般アンドロイドに限って無敵なのだ。私のような一般アンドロイドが身体能力を向上させたところで、彼らの足元にも及ばない。それほど、彼ら戦闘アンドロイドと一般アンドロイドの差は大きい。


 撤退もやむなしではないかーーその考えが頭の端に浮かんだ。すぐに頭を振る。だめだ、子供を助けるまでここから逃げ出すわけにはゆかない。


「ねえ」


 ミシェルが私を睨んでいた。


「逃げようなんて考えてるんじゃないでしょうね」


 考えが読まれているみたいだった。


「まさか。どうやったら子供を助けられるか考えていたところさ」


 とっさに嘘をついてしまった。彼女と一緒にいると、嘘がうまくなる。


 ルーカスは無口だった。ただ静かにタバコを喫(の)み続けている。




 不気味なほど静かだった。我々は何の障害もなく一番最初の部屋まで戻ってきた。


「なにか……違和感がある」


 私の嗅覚センサーが臭いの中のアルデヒド基を検出する。つまり何かが焦げている。


「あれ……」


 私達が降りてきた穴の近くに、炭になったなにかが転がっていた。たしか、あれは足をキャタピラに改造されたアンドロイドだったはずだ。元の形を想像することも難しいほど崩れている。


「侵入者の仲間だな」


 ルーカスが銃でテンガロンハットの鍔を持ち上げる。サングラスを下にずらし、上目遣いにフロア全体を見る。彼の眼球が光る。


「向こうだ」


 このノイズだらけの中で、彼の目の機能は少しも損なわれていないようだった。


 ルーカスの示す方向へ歩みを進めると、臭いは強くなっていった。


「やあやあ、侵入者の二人と裏切り者のルーカスだね」


 声のした方を見ると、ちょうど何かが燃えるところだった。


 私はハッと息を呑んだ。私達に殺してくれと懇願していた打ち捨てられたアンドロイドたちだ。


 炎を反射して、彼の顔がよく見える。アイドルのようにウエーブをかけた黒髪の、綺麗な顔立ちをした少年型アンドロイドだった。身長はそれほど大きくなく、まさに少年といった風体だ。白いシャツに黒い半ズボンという子供らしい格好だ。そういう趣味の人達には受けそうだ。一つだけ普通と異なる点があるとしたら、彼の両手のひらに穴が空いていることだった。その穴から炎が現れたり消えたりしている。


「ここに来たってことは、あいつ死んだんだ。使えないやつ」


 少年が嘲笑う。


「てめえも侵入者の仲間か」


 ルーカスが銃を少年に向けた。


「侵入者? やっぱりルーカスって噂通り馬鹿なんだね。いいさ、一度全力で戦ってみたかったんだよね」


 言い終わる前に、ルーカスは引き金を引いた。


「バカにすんじゃねえぞ、ガキが」


 銃弾がどこかに当たったようには見えなかった。ルーカスが外すとも思えない。


「やっぱり馬鹿だ。こんなレトロな銃で僕に敵うと思う?」


 少年が両手から特大の炎を取り出した。


「お前のこと知ってるぜ。炎使いのクソガキ」


 ルーカスがミシェルを私に投げて寄越した。


「ちょっと、もっと丁寧に扱いなさいよ」


 ミシェルが抗議するが、ルーカスは聞いていないようだった。


「ルートヴィヒ」


「あ?」


「僕の名前さ。クソガキって呼ばれるのは好きじゃない」


「うるせえぞ、クソガキ」


 ルートヴィヒの炎がルーカスを襲った。


 私は慌てて彼らから距離を取った。アンドロイドの皮膚は人工皮膚だ。私達一般アンドロイドはシリコンゴムやコラーゲンシートを材料としている。炎に巻かれたらすぐに溶けてしまう。ルーカスは彼の正体に気づいて、ミシェルを私に託したのだろう。


「君たちも逃げられると思わないでよ」


 ルートヴィヒが私達の背後に炎の柱を作った。さながら炎の格闘場だ。人間時代のプロレスで見たことがある。


 暑い。この熱にさらされていたら、皮膚が溶けてしまいそうだ。それなのに、どうしてルートヴィヒもルーカスも無事なのだろう。


「皮膚にハイドロゲルを使ってるんでしょ」


 私の心を読んだみたいにミシェルが言った。


「でもハイドロゲルは水だろう? むしろ炎に弱いんじゃないか?」


「ハイドロゲルをエラストマーでコーティングしているんでしょ。バカね、ちょっとは自分の頭で考えなさいよ」


 ミシェルが目を細める。


「それにしても暑いわね」


 突然、ドン、という低い音がした。見ると私の横の炎の柱が消えた。


「逃げろ。足手まといだ」


 ルーカスの腕がまた何か見たことのない武器になっていた。その武器で炎を消し飛ばしたのだろう。


「逃がすかよ」


 ルートヴィヒが私達の方へ飛んできた。跳躍力が異常に強いのだろう。まさに飛ぶような速さだ。しかし、私には見えなくても同じ戦闘アンドロイドのルーカスの目は容易にそれを捉えていた。


「俺に背中を見せるなんて馬鹿なガキだ」


 ルーカスがルートヴィヒの背中に向かって銃弾を何発も打ち込む。何を何発打ち込んだのか見えなかった。速さはルートヴィヒだけの専売特許ではない。


 ルートヴィヒが振り返って手を広げる。両手の間の空間を通過した弾丸はすべて溶けて消えた。先程彼に弾が当たらなかったのはそのせいだったのか。


「うっ」


 ルートヴィヒが姿勢を崩して倒れた。地面を滑る。彼の足に一発弾が当たったらしい。さすがルーカスだ。


「アンドロイドには2種類いる。俺の弾から逃げられるやつと、逃げられないやつだ。お前は逃げられないやつだったな。まあ、俺の弾から逃げられるやつはいないが」


 ルーカスが大口を開けて笑う。その直後、一瞬スタックしたみたいに停止してよろけた。まさか、彼も私のように謎のプログラムに侵されているのだろうか。運が良かったのは、ルートヴィヒがルーカスに隙ができたことを見逃したことだ。


 ルートヴィヒはその美しい顔からは考えられないほど、怒りで顔を歪ませた。これはやばいと思って、私はそっと炎の外へ逃げ出した。ルートヴィヒはもはや私のことなんて眼中になかった。


「何してるのよ。あたしたちもルーカスに加勢しなくちゃ」


 ミシェルが私の頭をポカポカと叩いた。


「冗談じゃない。私では足手まといにしかならないよ」


 炎の闘技場の中で、銃声や声が聞こえた。あの中にもう一度戻ってゆくことなど、私にはできない。

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