第13話
「可愛い〜。名前はなんていうの?」
「名前なんてないさ」
「じゃあ、なんて呼んでるのよ」
ミシェルが眉間にしわを寄せる。
「子供」
「はあ? 子供を子供って呼んでるの? 馬鹿じゃないの。あんたのそういうところよくないと思うわ」
「そういうところっていうのは、どこのことなんだい」
子供に名前をつけていないのは、名前をつけてしまったら愛着が湧いてしまうかもしれないからだ。子供といつまで一緒にいるのか、まだ決めていない。
「こんなやつのところに来ちゃうなんて、不幸ね〜」
ミシェルが手近にあった食べ物を子供の口に運んだ。まるで、ペットに餌をやるみたいに。子供もペットみたいにそれをついばむ。
「この子、例の子でしょ。やっぱりあんたが係ってたんじゃないの」
ミシェルが私を睨む。
「いや、なんと説明すれば良いか……」
今度は私がたじろぐ番だった。思考の処理能力が追いついていない。
「偶然なんだ。彼女が私についてきてしまって」
「言い訳はいいのよ。この子、人間でしょ? どうする気?」
やはり、彼女が人間であるとすぐにわかったらしい。彼女にもどういうわけかわかっていなかったが、確かにこの子供が人間であるということは、我々アンドロイドにはすぐわかるようになっているみたいだった。それは、人間が我々アンドロイドを作った時に仕込んだプログラムなのだろう。ブラックボックスの中に書き込まれている至上の命令に違いない。
我々アンドロイドは、この『至上の命令』というものに抗えない。それは、ロボット三原則のようなもので、絶対不可侵の規定である。
「それは……そうだな。まだ決めてない」
「あんた、わかってんの? 命かかってるんだよ」
子供は何故かミシェルには従順だった。先ほどまであんなに暴れていたのに、今は彼女が差し出すスプーンに夢中になってしゃぶりついている。
「それに……あ、そうそう、チップの解析は終わったから」
ミシェルが思い出したようにリビングを指差す。リビングでは、ディスクリート回路が冷却が追いつかずに焦げ付いていた。臭いの原因はこれだったらしい。おかげでコンプレッサの轟音が止んでいた。私がそれを悲しげに見ていることに気付き、彼女は私の肩をポンポンと叩いた。
「中身はなんだった?」
壊れる前に解析できてよかった。尋ねると、彼女は一瞬、足元にまとわりついている子供に視線を向けた。
「うん……そうね」
彼女らしくない、歯切れの悪い答え方だった。
ミシェルは子供に食べ物を全て食べさせ終えると、寝室に連れて行った。私は気づいていなかったが、食べている最中からすでに眠そうだったらしい。そう言った細かいことに気づけるのは、さすが彼女が女性型アンドロイドだからだろうか。もしかしたら、ミシェルは乳母の役割を与えられたアンドロイドだったのかもしれない。彼女がどういう指令をファクトリーから受けていたのか、聞いたことがなかった。
「解析の途中でディスクリートが熱暴走しちゃったから完全ではないんだけど……ちょっと、ケーブルを出して」
「おいおい、ここでセックスするのかい?」
我々アンドロイドのセックスは、男性型アンドロイドの股間にあるケーブルを女性型の股間に接続するのが通常である。もちろん、無線でも可能だが、有線接続の方が風情があるという風潮である。
「あんた本物のバカね。盗聴されないように、有線接続で会話した方が良いって言ってるの」
呆れたように彼女は私の頭を叩いた。
私は恥ずかしくなって、指先からケーブルを出した。彼女がそれを自身の指先に接続する。
「チップの内容だけど、あの子のことと多分関係があるわ」
直ちに、彼女の思考がテキスト化されたものが送られてきた。厳重なセキュリティプロトコルを利用しているので、ほんの少しの言葉でも処理にパワーが必要だった。
「彼女って……子供のこと? 一体どういうことだ」
彼女の瞳が光る。通信状態を表しているのだ。光のパターンは彼女が思考しているものだった。その光のパターンを見ると美しいと思えた。彼女の素体は特別だ。ノーマルタイプアンドロイドの素体を改造したもので、彼女の瞳のパターンも洒落ている。
「よくわからないんだけど、人間がたくさんいた」
「人間が? 何かの間違いじゃないか? 人間はもう滅んだはずだろう?」
ミシェルは腕を組み、肯定とも否定とも言えない微妙な表情で首を傾げた。
「タイムスタンプは最近だったわ」
「じゃあ、何かの間違いか電子生成物だろう。リアリスティックムービーさ。そんなことのために、盗聴を気にしたのか」
リアリスティックムービーというのは、アンドロイド向けのフィクションコンテンツである。人間の時代ではドラマとか映画とかよばれているものだ。人間かぶれのアンドロイドたちが作った、人間をモチーフにしたコンテンツは人気があった。
彼女は考え込むような表情をした。彼女は表情が豊かである。そこが彼女の魅力でもあった。
「あたしもそう思ったんだけど、加工したような形跡が見当たらないの。本物の映像だと思うわ」
「待った」
私は彼女に向かって手のひらを向けた。疑うような表情の私を、ミシェルは睨みつける。子供を相手にしているときと随分違うじゃないか、と軽口を言いたくなる。
「それが本物だとして、一体どこにそんなにたくさんの人間がいるっていうんだい。私は一度だって人間を見たことがないよ」
馬鹿げている。前提条件が間違っているんだ。この世界に人間がたくさんいる場所なんて存在するはずがない。そんなことは、アンドロイドの常識だ。
「どこかの施設の地下のようなところだったわ」
「何をしていた?」
私は挑戦的な目で彼女を見る。
「労働させられていた」
「労働だって?」
とうとう私は吹き出してしまった。冗談にしても突飛すぎる。
我々アンドロイドにとって、労働とはマシンパワーを使った頭脳労働をさす。人間にアンドロイドを超える労働ができるとは思えない。人間の時代には、肉体労働というものがあったようだが、今は全て機械が担っている。人間の体力は消耗するが、機械は電力さえ供給できていれば人間のように消耗しないし力は比べ物にならないほど強い。精密さも段違いだ。それが、どうして人間に労働させるなんてことになるんだ。メリットがない。
馬鹿馬鹿しいーー。彼女の話の感想はそれだけだった。結局、私は担がれたのだ。あの芸術家に。
彼女は眉を顰めて、唇を噛んでいた。彼女の魅力的な唇が歪に変形する。悔しそうな表情なのだろうが、その様は官能的だった。
「ただのジョークコンテンツに、ずいぶん大層なセキュリティをかけていたんだな」
呟くようにいうが、彼女は同意しなかった。
「セキュリティは解除してエンコードしてあるから、あんたも見てみなよ」
ケーブルを通して、データが送られてくる。説明を聞いた今、中身をわざわざ確認するのは面倒だったが、彼女が言うなら仕方ない。
送られてきたデータは、元データに比べてずいぶんコンパクトだった。容量の殆どを暗号化に使っていたのだろう。
データを再生してすぐ、理解できなかった彼女の表情の意味を知った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます