第12話
「このままだったら、あんたが殺されるんじゃないの」
「やっぱり、そう思うかい?」
またミシェルが私の部屋に来た。先日の顛末を説明すると、彼女はそう言ったのだ。
「だって、あんたが約束したんでしょ。オーナーもいなくなったし」
薄々、そうなるように感じていた。オーナーはいい加減な奴だったし、マフィアは私が誰だろうと関係なく、私に命令したつもりになっているようだったからだ。
「長い付き合いだったけど、楽しかったわ」
「まだスクラップにされると決まったわけじゃないけど」
「同じようなものよ。マフィアから命令を受けて、スクラップにならなかったアンドロイドなんている?」
「まあ、あんまり聞かないね。さて、できた」
私はいくつかの並列ディスクリート回路を組み上げた。あまりにも大きくて、リビングのほとんどがこの回路で埋まってしまった。その大きな回路を水冷するための装置がかなりの割合を占めている。デジタル集積回路を使わなかったのは、単純に安いからだけではない。誰の監視も行き届いていない、アナログ回路で解析したかったからだ。
「こんな骨董品、アーカイブでしか見たことないわ。人間はこういうものを好んで使っていたらしいわね」
ミシェルがそう言って、ディスクリートのガワをコンコンと拳で叩いた。
「サーバで解析しようと思ったけど、ちょっと中身がどういうものかわからないからね」
「それであたしに? 高いわよ」
ミシェルが言った。
先日、顧客の芸術家ヘブライからもらったチップを解析してもらうためだ。あのチップを解析しようとしたところ、私のスペックでは不可能であることがわかった。彼に限って、何か違法なものではないだろうが、念の為、誰の目にも触れないような形で解析をしたかった。どうしてかというと、あのチップをもらった日、彼は死んだのだ。あの日、おそらく彼が最後に会ったのが私だった。警察がそう言っていた。いつも通り自殺か事故だろうということで、事件性はなさそうなので事情聴取は形だけだったが、少なくとも私には衝撃的だった。彼にチップをもらったことを忘れていたので、警察に話し忘れた。せっかくなので、彼が死ぬ間際に私に託したこのチップを見てみたい。もしかしたら、アンドロイドが自殺する理由がわかるかもしれない。
ミシェルは私なんかでは遠く及ばない凄腕のハッカーでありクラッカーである。彼女がこのチップを解析できなかったら、もう誰にもできないはずだ。その補助をするためにどでかい回路を自宅に作ったのだ。
「あんた、体は大丈夫なの?」
ミシェルに言われて、私は間抜けにもポカンとした顔をしてしまった。
「ほら、体を乗っ取られたって」
彼女に言われて思い出した。そういえば、私はあの連続殺人事件の被害者になるところだったのだ。彼女にバグ扱いされたのが悔しくて、その記憶を封印してしまっていたらしい。警察に言えばよかった。
「あれ以来、特に問題はないかな」
毎日のメンテナンスで問題は起きていない。彼女のいう通り、あれは何かのバグだったのかもしれない。
ミシェルは納得行かなそうな顔をしていたが、私が促すとディスクリート回路に向き直った。
「冷却が追いつくかな」
即席の水冷チューブを回路全体に這わせてあるが、部屋に収まるサイズのコンプレッサでは非力であるのが否めない。
「あらほんと」
私のぼやきなど聞こえていないのか、ミシェルはチップを自力で解析しようとしていた。たった数秒でとてつもない熱がミシェルから発せられる。
「これは随分高度な暗号化ね。骨董品が補助なら支援AIも期待できないわね」
「そうだろう。私では歯が立たなかったよ」
実は私もミシェルモデルの支援AIを使ったが、それでも解析はできなかった。
ミシェルは目を輝かせた。眼球の奥のセンサーが興味深げにチップを見つめている。
「早く始めましょう。こんな歯ごたえのあるおもちゃ、久しぶりだわ」
先ほどまでの気怠げな様子とは打って変わって、彼女はやる気を見せ始めた。
彼女は自分の頭にケーブルを装着すると、服を脱ぎながら風呂場へ行って氷水で満たされた浴槽に浸かった。
コンプレッサの音が轟々と部屋に響いている。聴覚の入力インピーダンスを上げても不快な振動のおかげで体全体に響いてくる。彼女がデータの海にダイブしてから、一時間が経過した。現状をモニタするための外部機器をつけるのを嫌がるため、彼女がどれくらい深く潜っているのかこちらからはわからない。たとえモニタできたとしても、私には理解できないだろう。
ミシェルの本体は風呂場にあるが、意識はほとんど解析装置と一つになっている。氷水に浸かっていても、彼女のチップが処理する熱で水蒸気が発生する。ミシェルがおとなしいと、この部屋に自分一人しかいないような不思議な感覚だ。
寝室から音がした。そうだ、寝室には子供がいるのだった。とはいえ、私は彼女を完璧に世話している。ミシェルが来ている時は大人しくしていろといえば、彼女はそうしている。私と彼女との間に、完璧な信頼関係がある証拠である。
ミシェルは目覚める様子がない。放っておいても大丈夫だろう。その隙に、音の正体を確かめに行こう。何せ、コンプレッサが轟音を立てていても聞こえるほどの音が断続的に寝室から聞こえているのだ。マフィアが窓を破って入ってきたのかもしれない。
何度も言うが、私は彼女の世話を完璧にしている。人間が生きていくのに最低限必要なリソースは置いてある。あとは何もすることがない。アンドロイドなら、それすら必要ないのだ。彼らは生まれながらにして、自身が何をすべきかわかっている。
寝室に入って驚いた。子供がなぜか暴れて部屋にあるものを手当たり次第に壊していた。
「どうした」
私が声をかけると、彼女は一瞬動作を止めたが、私の姿を認めると再び暴れ出した。特に何か大切なものがあるわけではないが、あまり暴れられては困る。代わりのものを見つけるのは面倒だし、ミシェルが目覚めてしまうかもしれない。それに人間は脆いと聞いた。彼女が怪我をしたら、私では治すことはできない。
彼女の体を羽交締めにすると、抜け出そうと力一杯暴れた。その力は驚くほど強かった。もちろん、アンドロイドの関節を動かすためのアクチュエータの方が強い。しかし、それでも完全に制圧することが難しいほどだった。
「何があった。説明しろ」
彼女に語りかけるが、彼女は答えない。ただひたすら暴れるのみである。
困った。人間というのは、野生動物と変わらない。彼らも非合理的な行動をする。それは、動物の知能を考えれば当然である。しかし、人間はもう少し高級な知能を持ち合わせているはずだ。
見ると、床が濡れている。トイレを用意したのに、わざと別の場所で粗相をしたのだろうか。一体、何が気に入らないのだ。知能に問題でもあるのか。
やがて、子供は暴れ疲れたのだろう。おとなしくなった。
「一体、何があったんだ。話してくれないとわからないだろう」
私は努めて冷静に語りかけた。子供は膨れっ面を見せるだけで、何も答えない。この子供と出会ってから、一度もしゃべっているところを見ていない。やはり喋れないのか、それとも耳が聞こえないのか。
どうしたら良いものか考えを巡らせていると、腕に強い圧迫を感じた。見ると、子供が私の腕に噛み付いている。アンドロイドにも痛覚の機能が備わっている。不要に感じるが、意外と人間の痛覚のシステムというのは合理的だからだ。痛みによって、外部刺激がどれくらい影響があるのか測ることができる。
「どうして、そんなことを」
「やー」
子供が初めて喋った。喋ったと言っても良いのか測りかねるが、それは、特に意味をなさない言葉のはずなのに、なぜか心を動かされるような感覚を伴った。
「何がヤーなんだ」
無意識に語りかけていた。
「やー」
この子供は、耳が聞こえないわけでも言葉を喋れないわけでもなかった。自分の意思で黙っていたのだ。
「だから何が嫌なんだ」
つい、イラついた声で尋ねた。普段、感情という機能に乏しい私が、どういうわけかこの子供に対してだけ、やけに揺さぶられる。
子供は私の腕の中から、私を睨め上げた。
「やー」
彼女の声は、やけに私の心をざわつかせた。それはネガティヴな感情ではなく、ポジティヴな感情であることに驚きを覚える。
「遊びとかおもちゃとか、そういうものが必要ということか」
尋ねるが、彼女は再びイヤイヤと暴れるだけの動物に戻ってしまった。
困った。アーカイブにも有効な情報は存在しない。
私が途方に暮れていると、寝室の入り口から悲鳴が聞こえた。驚いて振り返ると、ミシェルが目をまんまるにひんむいてこちらを見ていた。
「あんた……」
ミシェルは活動を停止したみたいに動きを止めた。よほど驚いているのだろう。彼女がそこまで驚いているのを初めて見た。
「これには訳があるんだ」
言い訳をしようと立ち上がった隙に、子供は私の腕をするりと抜けて逃げ出した。そして、あろうことかミシェルの足にしがみついた。それには流石のミシェルもどうして良いかわからないようだった。たじろいでいる彼女を見るのは少し愉快だった。
リビングからは焦げた臭いが漂ってきていた。
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