第10話

 朝、仕事へ行くとき、彼女は絶対に起きてきた。眠そうに目を擦りながら、玄関まで見送ってくれる。不思議と悪い気はしなかった。


 食料は、あの兄弟の店へ通って調達することにした。兄弟の兄の方は私の姿を見ると、まるで機械虫を見るみたいに嫌そうな顔をする。機械虫は我々アンドロイドの天敵だ。我々の皮膚や内部構造を侵すからだ。そんな機械虫のように感じる私に対して、それでも食料を売ってくれるのだからありがたい。とはいえ、親切心からではない。私が弟に仕込んだプログラムによって、彼を人質にとっているからだ。欲を言えば、もっと家の近くに店があれば良いのだが、そこまでわがままは言えない。子供が私のアパートにいたということは、あの近くに店があるのだろうか。


「最近、君は変わったね」


 得意先の一つへ電子ドラッグを届けにきたところだった。顧客はヘブライという中東エリアから来た芸術家で、私の調合した電子ドラッグを利用していた。効能はクリエイティヴィティの向上。チップの伝送回路を活発化させ、創造的な思考やアイデアの形成を促進する。ユーザは視覚的なイメージや音楽の鮮明な体験を得ることが出来る。人間用のドラッグで言えば、LSDのようなものだろうか。視覚センサーに作用して、本来なら見ることのできないものをみたり、故意に色覚異常を引き起こすことで新しいイメージを得られる。これは私の作り出した傑作の一つだった。


「そうですか。自覚はありませんが」


 道具をしまうと、私はソファに腰を下ろした。正常に電子ドラッグが作用するか、ここで見届けるのだ。効能が現れるまで少し時間がかかる。いきなり最大出力で効果を引き出すと、伝送回路が焼けてしまうかもしれないからだ。


「なんだろうな。丸みがでた」


「素体は変えてませんが」


「いや、そういうことじゃない。なんというか、アンドロイドらしさが薄れた……いや、少し人間に近づいたような気がするね」


「人間を見たことがあるんですか?」


 私は驚いて尋ねた。彼は笑って首を振る。


「いや、アーカイブでしか見たことはないがね。でも、なんだろうな。言葉にするのは難しいが、とにかく君は変わった。以前よりも良くなった」


「良くなった、ですか」


 彼の言葉を繰り返した。全く実感はない。もし、本当に私が変わったというなら、その原因はあの子供だろう。確かに、誰かの世話をするという経験は今までなかった。植物を育てたり、ペットを育てたことさえない。


「ああ、いいね。今日も新しい世界が見えてきた」


 電子ドラッグが効いてきたようだった。ダウナーな効き目である。彼はまるで眠っているように穏やかだったが、目がぎょろぎょろと動いていた。


 私は荷物を持って立ち上がった。


「今日の報酬だ」


 彼は私に記憶媒体のチップを渡して来た。


「マネーならいつもの口座に振り込んでもらった方が助かります」


「マネーはもう振り込んだよ。これは、まあボーナスのようなものかな。面白いものを手に入れたんだ」


 私は礼を言って受け取ると、ポケットに入れた。彼のような富裕層は、いつもボーナスだとかチップだとかを気前良くくれる。彼らの信じる宗教では、他人に施すことは徳を積むことだと信じられている。


 私は不思議に思う。宗教という概念は人間が持っていたものである。アンドロイドにとって、本来そのようなものは必要ないはずだ。信じられるのはデータだけである。しかし、アンドロイドの長い歴史の中で、いつからか宗教のようなものが現れた。それは人間のそれとは近すぎず遠すぎない性質のものだった。宗教というものは、意外と真理をついたものなのかもしれない。


 一仕事終えてクラブへ戻る。扉を開けた瞬間、聴覚センサーが壊れそうなほどの音量で音楽が聞こえてきた。入力インピーダンスを最大まで上げて自己防衛する。


 ジャンキーたちは私の姿を見つけると、砂糖の山をみつけた蟻のように群がってくる。彼らはその日稼いだマネーを、全て電子ドラッグに替えてしまうのだ。


 彼らは富裕層の顧客のような上等な電子ドラッグは必要ない。一括してインストールできるような簡単で強力なものをインストールしてやった。人間時代でいうならヘロインのようなものだろうか。インストール後は、ひとかたまりの虫のようになってフロアで動かなくなった。


 グラスに水を入れて、いつもの椅子に座ると、VIPルームの中が見えた。一度に何体ものアンドロイドとセックスをしているアンドロイドがいた。この辺りでは見かけない顔である。彼は服の股間部分から何本ものケーブルを出して、女性型アンドロイドに挿入していた。彼が発する性的データはずいぶん具合が良いようだ。みんな恍惚とした表情をしている。


「あいつ、知ってるか」


 いつの間にか後ろにオーナーがいた。


「さあ、初めてみますね」


「俺もだ」


 言いながら、オーナーが隣に座る。怯えているようだ。普段の彼らしくない。


「彼が何か」


「いや、何もしてねえよ、今のところはな」


 オーナーはこちらを一瞥すらせず、VIPルームの男を凝視している。男はサングラスをかけているので、どこをみているのかわからない。こちらの視線には気付いているだろうか。


「でもな、俺の勘が言うんだ。あいつはやべえってな」


 男はニカッと笑った。歯が全て金色だった。純金だろうか。電気伝導性が良さそうだ。やたらゴツゴツした派手な金のネックレスやら指輪やらしていて、下半身は裸のくせに真っ白なジャケットとハットをかぶっている。なんだか異様に目立つ風貌である。あれで堅気というのは無理がある。おそらく、何か厄介ごとを持ち込むタイプなのだろう。


 トラブルに巻き込まれる前に帰ろうと腰を上げると、オーナーに掴まれて椅子に再び腰を下ろした。


「どこ行くんだよ」


「帰るんですよ」


 私はオーナーを振り解こうとしたが、彼は絶対に放さないと言う強固な意志を持って私を拘束した。私が無理やり立とうとすると、彼は椅子から滑り落ちた。それでも私を放そうとしなかった。


「行かないでくれえ」


 情けなく吠える彼を哀れに思った。


「彼の正体に心当たりがあるんですか」


 尋ねると、オーナーは「ない」と言い切ったが、その表情は「ある」と断言している。


 私はオーナーの頼み事には弱い。だから、仕方なく椅子に座り直した。


「彼は誰なんですか」


 尋ねると、オーナーは逡巡したような顔で忙しなく目を動かしていたが、諦めたようにこちらを向いた。落ち着きのない様子で電子タバコを咥えると、叱られた犬のような顔で話し始めた。


「多分、ここのケツモチしてるマフィアだ」


「用心棒ってことですか」


 オーナーは頷く。電子タバコから水蒸気が揺らいだ。オーナーは私に向かって一本差し出したが、私は断った。だが、オーナーは無理やりポケットにねじ込んできた。


「それなら、問題ないじゃないですか」


「問題なんだよぉ」


 オーナーが私の手を握る。少し体温が上がっているようだ。ジェネレータに負荷がかかっているのだろう。


「俺さぁ、売り上げ誤魔化しててさあ」


「自業自得ですね」


「待て待て、話を全部聞け」


「全部聞かなくても、結論は同じですよ」


 オーナーが短い悲鳴をあげた。彼の視線の先を見ると、VIPルームにいたアンドロイドがこちらに歩いてくるのが見えた。いつの間にか全裸になっており、股間からケーブルがブラブラと垂れ下がっていた。金色の歯が輝いて眩しい。


「ヘイ、お前がオーナーか?」


 裸の男は私に向かって言った。私は首を振って、オーナーを指差した。


「この震えた子犬がオーナーだ」


 私の後ろに隠れたオーナーを引き摺り出す。オーナーは悲鳴をあげて、再び私の後ろに隠れた。私の足にしがみつく。


 裸の男は顔を覆って笑った。


「おいおい、別に俺はお前を取って食おうっていうんじゃあないんだぜ」


 男はしゃがみ込んで、オーナーの顔を覗き込んだ。


「ただちょっと……わかるよな?」


 オーナーは気絶した。強制シャットダウンだ。


 裸の男はため息をつくと、オーナーの頭を掴んで持ち上げた。


「どうして、小悪党っていうのはこうやってしょうもないことをするんだろう。何も解決しないのに」


「ちょっと、いいかな」


 私はサングラス越しに彼の目をまっすぐに見て人差し指を立てた。

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