第8話

 オーナーに指定された座標は、スラムと呼ばれる区画だった。この辺りはドラッグのやりすぎで修復不能になったアンドロイドや、犯罪を犯して逃げ込んできたようなアンドロイドが多い。


 スラムがスラムたる所以は、貧しいからではない。ここが完全にクローズドなネットワークであるというところだ。店以外の街なかに監視カメラなどはなく、衛星からもこの地域を盗み見ることはできない。ネットワークは完全にスラムの中だけで完結しており、外部からアクセスすることができない。彼らにとって外の情報など必要ないのだ。どんな一流のハッカーが構築したのかわからないが、サイバーパトロールですらお手上げという噂を聞いたことがある。


 オーナーめ。スラムに来ると先に教えてくれていれば、溶け込む格好をしてきたのに。普段の服装ではカモにしか見えないだろう。


「兄さん、マネーを恵んでくれや」


 タクシーから降りて数歩でもう絡まれた。他の無宿アンドロイドがじっとこちらを伺っている。誰か一人にマネーを恵んでやったが最後、軍隊蟻に襲われるように彼らに身包み剥がされてしまうことだろう。


 私は強い語気で断った。もし襲ってきたら、彼に容赦無くウイルスをお見舞いしてやる。しかし、彼らはそれ以上、私を追いかけては来なかった。彼らにしてみても、私は異物なのだ。あまり深追いして噛みつかれても面白くないだろう。


 オーナーからもらった座標によれば、ビルの一階にある路面店らしい。ただの有機物を販売するのに、わざわざ地下に潜る必要もないということか。


 はたして店はすぐに見つかった。ただ、そこは普通の雑貨店でアンドロイドのパーツなどを売っている店だった。薄暗い店に足を踏み込むと、最新型のアクチュエータなどが売られていた。盗品なのは明らかだった。


「すみません」


 店員は鉄格子のついたカウンターの内側で、人間時代のカストリ雑誌コピーを読んでいた。それを見て、私はこの店こそがオーナーの言っていた店だと確信した。アンドロイド用品ばかりを並べているのはカモフラージュで、常連には別室を案内するのだろう。今時、紙媒体の雑誌などを読むのはよほどの人間かぶれだけである。


「何か」


 店員は物憂げな視線を私に寄越した。メガネ型のスマートグラスをかけており、彼が私を識別しようとしているのがわかった。一見お断りというわけか。彼の使っているネットワークは閉じていたが、試しにスキャンしてみると、中継機のSSIDが見つかった。店の名前と一致するので間違いないだろう。セキュリティ意識が低いなと思ったが、スラムでは仕方ないかもしれない。ステルスにもなっていない。この場にミシェルがいたら玩具にされてしまうだろう。


「人間向けの有機物……いや、食べ物を買いたいのだが」


 私が言うと、彼は眉根に深く皺を寄せた。警戒させてしまったようだ。


「誰からの紹介?」


 彼は雑誌を手に持ったまま、こちらを見ている。私はオーナーの名を告げた。彼の目にスマートグラスに映った文字が高速で反射した。


 彼は何か納得したように頷くと、顎をしゃくって見せた。その先には扉があり、その前に立つと電子音がした。開錠されたのだ。


「上を見な」


 店員に言われて上を向くと、カメラと目が合った。私の顔を登録しているのだろう。


 扉が開くと、なんとも言えない異臭がした。動物小屋のような臭いだ。


 扉の先は階段になっており、降るにつれて臭いは強くなってゆく。


 階段を降りると、そこはコンクリートに囲まれた12畳ほどの部屋で、天井にぶら下がった電球と、真ん中にストレッチャーが一つ置いてあった。左右にも部屋はあるようだが、カーテンが掛かっていて奥は見えなかった。


「誰の紹介?」


 私から向かって右の部屋から、大きなエプロンをした、スキンヘッドの大男が出てきた。手にノコギリを持っていた。


 私は再びオーナーの名を口にした。


「知らないなあ」


 男はノコギリの刃に指をそわせていた。


「私はオーナーにここへ行けば人間向けの……食べ物が購入できると聞いてきたんだ。肉とか植物とか」


 私はオーナーを信じている。彼に限って、私を嵌めようなんてことはあるはずがない。だが、同時に自分はどうなってしまうのかという不安もあった。だから、恐怖など少しもないと言う風を装っていた。もし私が人間だったら震えていたかもしれない。


「なんで食べ物なんて買いたいの。お前、無改造だろ」


 閉鎖された空間だからだろうか、それともコンクリートの壁に囲まれているせいか、やけに声が響いて聞こえた。


 一瞥しただけで、私が内臓を構築していないことが見破られた。なぜだろう。


「人間にかぶれてみたいんだ」


 声が少し震えたのがわかった。なんだ、私も人間みたいじゃないか。


 大男は私の顔をマジマジと見る。


「人間にかぶれる、なんて言い方をするやつが人間の真似をするわけないだろが」


 大男が叫んだ。空気がビリビリと震えたように感じた。


 彼の言っていることは正しい。私は無意識に彼らのことを見下しているようだ。なんの予備知識もなくやってきたのが甘かったようだ。出直すか、と思った矢先、大男が大きな歩幅で歩み寄ってきた。瞬きをしている間に私を捕まえてストレッチャーの上に載せて体を固定してしまった。私はなすがままだった。体躯の差から、彼が搭載するアクチュエータの出力には敵わないだろうし、抵抗して無駄に体を破損させては面倒だ。


「まさにまな板の上の魚(うお)だな」


「ああ?」


 心の中で呟いたつもりが、うっかり口から出ていた。どうやら、自分で思っているよりも動揺しているらしい。


 大男は研ぎ棒でノコギリを研ぎ始めた。


「これはひょっとすると、私は解体されるのではないか」


「うるせえぞ」


 またもうっかり口から言葉が漏れる。どうも状況も状態も芳しくないようだ。


「そうだ、マネーをあげよう。そうしたら、私をここから逃がしてくれるかな」


 映画だったら、こういうセリフを言うだろうなと思ったので言ってみた。言ってから、これは小物の台詞であって、こういった台詞の後に大体殺されるんだったなということを思い出した。


「黙れジジイ」


「ジジイ、と呼ばれるような年齢ではないはずだが。それに、アンドロイドは見た目で年齢を判断できないはずだ」


 大男は私の軽口に耐えかねたのか、思い切り私の顔面を殴った。眼球がずれるほどの衝撃を受けた。最も、アンドロイドの眼球はただのカメラなのだが。


「黙れってのが聞こえなかったのか、ジジイ」


 図体の割に語彙が貧弱で子供っぽい。そういえば、最近の若いアンドロイドの間では、彼のような素体に体を取り替えるのが流行っていると聞いたことがある。改めて見ると、ネットゲームに彼のような風貌のキャラクターがいた。つまり、スラムの子供がゲームキャラの真似をしていると言うわけだ。なるほどなるほど。


「誰の差金だ?」


 大男が私の耳元で大きな声を出した。マイクセンサーの感度を目一杯絞って耐えたが、あれだけの大声を出されたら壊れてしまう。


「なんの話かな」


「とぼけんじゃねえ」


 大男が私の頬を叩く。頭が揺れて、中に入っている基板からチップが剥離してしまいそうだ。つまり、強い衝撃だったと言うことだ。


「とぼけてなんかいない。私は、ここに人間用の食べ物を買いに来たんだ」


「食べ物だって? じゃあこれを食ってみろよ」


 何かが口の中に突っ込まれた。ヌルヌルして気持ち悪い。こんなものを体内に取り入れたら、パーツが錆びてしまいそうだ。


「うまいうまい」


 そう言ってみるが、大男は私を信用しなかった。


 大男は上を見上げて動かなくなった。あの受付の男と通信しているのだろう。彼が見ていない隙に、口の中のものを地面に吐き出した。拘束もとければ良いのだが、もがいてみても右腕が少し動く程度だった。


 通信が終わったのか、大男が振り返った。


「兄ちゃんが、お前のことは壊してもいいってよ」


 彼らは兄弟だったのか。


「似ていないな」


「うるせえ」


 大男が再び私の顔面に拳を振り下ろそうとした時、私は右腕の肘から先を切り離した。そこには一見、太い針のように見えるものがついている。それを、大男の腕目掛けて突き出した。


 大男は驚いた顔で後ずさる。私の針は空を切った。


「あぶねえ。そんなもん仕込んでやがったのか。クソジジイ。でもな、ははっ、それが奥の手か。避けられちまったな。あははははは」


 彼は私を煽るように、ストレッチャーの周りで踊った。私は針を構えたまま、彼を見つめた。


「へへ、そんなもん怖くねえよ。ばーか」


 彼は勝ち誇ったように舌を出す。


「青sdfn@亜音が「が「j」


 だんだん、彼の言語システムが狂ってゆく。


「阿蘇fsどgんgそk」


 彼は意味のわからないことを言いながら、その場で踊り始めた。


 もちろん、それは私の仕業である。私の腕の針は、何かを突き刺すための武器ではない。ネットワークアンテナなのだ。無線で電子ドラッグをインジェクションするために仕込んである。今、彼らのネットワークに侵入して、彼のチップに強い電子ドラッグをインストールした。彼は自分がシラフであると思ったまま、私の意のままに操られている状態なのである。


 クラッキングはミシェルだけの特技ではない。支援AIを使えば、私にだってできないことはないのだ。彼女には遠く及ばないが。

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