第6話

 私は彼女に弱い。色恋というものを詳しくは知らないけれど、確かに彼女に惹かれていた。だから、彼女のわがままには従ってしまう。


「子供といえば」


 私がグラスにカクテルを注ごうとすると、彼女が私の手からボトルを奪い取ってラッパ飲みした。彼女の形の良い唇が瓶に吸い付き、エロティシズムを感じる。


「あなた知ってる? あのマフィアたちが探してるのはアンドロイドじゃなくて、本当は人間の子供らしいわよ」


「人間だって?」


 私は鼻で笑う。


「もうずっと前に滅んだはずだ、でしょ。そういうと思ったわ」


 彼女は大袈裟に私の喋り方の真似をするような仕草をした。


「それが、生きてたってのよ」


「まさか」


 体温が上昇するのを感じる。私は動揺しているらしい。


 ミシェルは賞金稼ぎのクラッカーだ。おおよそモラルといった概念にかけていて、躊躇なく他人を害することができる。そして、何よりもマネーを愛している。彼女は、マネーを稼ぐためなら私だってためらいなく殺すだろう。そういう女だ。それに、私の情報の仕入れ先は主に彼女である。なぜなら、彼女はあらゆるネットワークに侵入することができるからだ。どんなに堅牢なファイアウォールがあっても、彼女の前ではサーカスの火の輪くぐり程度なものだ。


「それに、今更人間なんて捕まえて何をしようっていうんだ。たった一人いたところで繁殖させることなんてできないだろう?」


「さあね。目的なんてどうでもいいわ。その人間に、かなり高額の懸賞金がかけられているって話」


「君らしいね」


 私の言葉に満足したのか、彼女はニヤリと笑った。


 やはり、彼女に子供を見せなくて正解だった。彼女が子供の存在を知ったら、すぐにでも売り飛ばすに違いない。


 チラ、と寝室の方に視線をやった。彼女は大人しくしているだろうか。そういえば、腹を空かしていたのを忘れていた。食べ物も用意しなくては。それにしても彼女の元々の所有者は彼女に何を食べさせていたのだろうか。そういう情報くらい、彼女に持たせておいて欲しかった。帰りに虫が飛んでいるのを見たが、虫も有機物だし食料になり得るだろうかーー。


「ねえ、聞いてるの?」


 子供のことを考えるのにリソースを集中してしまっていた。ミシェルが不機嫌そうな顔を向けている。


「ごめん、なんだって?」


「聞いてなかった?」


「うん」


 頷くと、彼女は呆れたような顔をした。


「一体、何に夢中になってるんだか。ネットゲームでもしてた?」


 私と彼女はネットゲームで出会った。私が活動していたサーバに彼女がやってきて大暴れしたのだ。彼女は連戦連勝、向かう所敵なしだった。それもそのはず、彼女は有名なチーターだった。つまり、不正改造をして自分だけ有利な状態でプレイしていたのだ。その彼女を、チート行為なしでやっつけたのが私である。そうしてサーバから追い出したはずの彼女が、現実で私を訪ねてきたのが始まりだった。


 彼女にとって、私の情報を探ることなど簡単だった。名前や住所はもちろん、私が使っているメインバンクや口座の額、私の経歴までしっかり調べ上げていた。自分を負かした相手を、ひと目見てやろうと思ってやってきたと言った。ゲームの中では勝てても、現実の私は彼女の魅力に太刀打ちできなかった。要するに一目惚れだ。それ以来、交流が続いている。


「いいや、そうじゃないよ。ちょっと心配事があってね」


「何よ暗いわね。ああ、あんたが暗いのはいつものことね」


 失礼なことを簡単に言ってのけるのが彼女だ。いつものことだから、怒りなど湧いてこない。


「オーナーのこと?」


 突然言われて、なんのことかと思った。そういえば、彼女には以前、オーナーがドラッグ中毒であることを話していた。


「そうなんだ。今日もおかしくなっていてね。アンドロイドが立て続けに自殺しているだろう?」


「自殺ね。ずいぶん、人間みたいな言葉を使うのね」


 彼女が笑った。機嫌が少しは上向いたのだろう。


「そうだね。最近、また人間かぶれのアンドロイドが増えてきたせいかな」


「そうね。なんでわざわざ劣等種の真似事なんてしなくちゃいけないのかしら。優越感を得られるのはわかるけど」


 彼女は差別的な言葉を好んで使う。行儀が悪いと注意したことがあるが、その時は逆に言いくるめられてしまった。


「オーナーはあれを事件だっていうんだ」


「誰かが殺してまわってるってこと?」


 私は肩をすくめて見せる。


「さあね。今の所、そんな痕跡はないらしいけれど」


「当たり前じゃない。あってたまるもんですか。無差別殺害なんて、人間じゃあるまいし」


 ミシェルが眉間に皺を寄せて舌を出した。彼女は人間にかぶれるどころか毛嫌いしている。


「実は、私もさっき殺されそうになってね」


 私の言い方が悪かったのだろう、彼女は懐疑的な目を私に向けた。


「何ですって?」


「さっき、屋上で体の制御を乗っ取られたんだ」


「クラックされたってこと?」


 私は頭を振る。


「うーん、少なくとも、ネットワーク攻撃っていう感じではなかったな。あらかじめ仕込まれていたっていう感じだった」


「時限爆弾みたいに?」


「そう、時限爆弾みたいに」


 まだ、胸の辺りが熱い気がする。そっと触ってみるとひんやりしていた。ミシェルにバレないようにホッと吐息をついた。


 ミシェルが無言で近づいてきて、同じように私の胸に手を当てた。


「あんた、大丈夫?」


「ああ、まあ何とか生きてるよ」


「そうじゃなくて、何かプログラムにバグとか」


「君は、私がおかしくなったと言いたいのか?」


 ミシェルは頷いた。


「そうよ、やっぱりおかしくなっているのよ、あんたのところのオーナーのせいよ。あいつがおかしなウイルスでも撒き散らしてるんだわ。オーナーには、早いところリストアしてもらった方がいいんじゃないの」


「スクラップになれってこと?」


「違うわ、初期化して素体を移して再設定してもらったらいいのよ」


「スクラップになるのと変わらないじゃないか」


「どこがよ、全然違うわ」


「リストアしたら、もうそれは元のオーナーじゃない」


「同じよ。記憶は同じなんだから。最悪、もしユーザーデータが消えたとしても、システムもカーネルも一緒でしょう。バックアップから戻せば良いわ」


「それはもう別人じゃないか」


 私が反論すると、彼女はうんざりした顔で手を振った。


「もういいわ。埒が開かない」


 カクテルをぐいと飲み干すと、彼女は立ち上がった。


「あんたのそういうところ、永遠に分かり合えないわね」


 少し寂しそうに口を歪めた。


 その時、寝室から物音がした。




 ミシェルの首が音の方向に向かって回った。


「何か聞こえた?」


 どうやって誤魔化そうかーーいっそのこと、彼女に相談してみるのはどうだろう。


「いや、気のせいじゃないかな」


「気のせいじゃないわ」


 ミシェルは私の方など一瞥もせずに、音がした方へ向かった。


 まずい。彼女を止めなければ。


「寝室は散らかっているんだ。入室は遠慮してもらえないかな」


「あたしは気にならないわ」


「君が気にしなくたって、私が気になる」


 止めようとした手を振り払われた。


 私は寝室の前に先回りした。


「私にだってプライバシーってものがある」


「あら、いいのよ。あんたが誰とセックスしようがあたしには係わりのないことだから」


「だったら」


「でも、あたし、気になることは確かめてみなくちゃ気が済まない性質なの」


 私たちが押し問答をしていると、外の廊下から大きな音がした。


「マフィアの奴ら、好き勝手してる」


 苦々しい。マフィアはどこだって好きに壊したり暴力を振るったりする。警察はマフィアと癒着しているので、彼らの行動を抑制するものは誰もいないのだ。


「きっと、マフィアの欲しいものを誰かが隠し持っていたんだろう。一旦外に逃げよう」


 私が促すと、彼女は素直に従った。彼女もマフィアを毛嫌いしているからだ。普段、マフィアからの依頼を受けることが多い彼女は、マフィアのことを熟知している。だからこそ、毛嫌いしているし、トラブルに巻き込まれないよう細心の注意をしているのだ。


 私たちはソッと玄関の外を伺う。サングラスをしたマフィアが誰かと殴り合いの喧嘩をしていた。


「こっちはダメだ。窓の方から外に出よう」


 窓を開けると、すぐ非常階段があった。階段は途中で終わっていたが、ハシゴを下までおろせば地上まで行くことができた。


 地上に降りると、彼女はすぐにタクシーを捕まえた。タクシーに乗り込む直前、こちらを振り返って「私、まだ納得していないから」と言ってから乗り込んだ。

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