第4話





 アンドロイドは夢をみる。これには語弊がある。プロセス的には人間と同じで、記録データの整理であるが、アンドロイドの場合は妄想は含まれない。ジャンクファイルを削除したりするときに、その記録を覗く。それを、我々アンドロイドは夢と呼ぶ。


 人間はフィクションコンテンツのように、自由な夢を見るらしい。私はそれが羨ましいと思う。


 3、2、1……カウントダウンが聞こえた。


 目を開けた瞬間、ドクン、と全身が脈動したような激しい衝撃を覚えた。胸のジェネレータの周辺が急激に熱くなってくるのがわかる。視界いっぱいに緊急警報が表示される。


 体の制御が効かない。神経が完全に遮断されているのがわかる。何者かの攻撃かと思って、腰につけた電子銃を抜こうとしたが手に力が入らず、だらりと垂れ下がった。


 ここはビルの屋上だ。何か、夢を見ていた気がするが忘れてしまった。遡ろうとしても、記録が削除されている。


 私の体が意に反して椅子から立ち上がった。記録を遡っているような余裕はなかった。何者かの明確な意志を感じる。そうしている間にも、ジェネレータはどんどん熱くなってゆく。


 足が自然と建物の縁へ進む。動きは滑らかだ。完全に、この体の神経を掌握されたらしい。


 不思議と、私の頭はクリアだった。なるほど。最近アンドロイドが相次いで死んでいるのはこのせいか。一体、なんのプログラムが悪さをしているのかはわからないが、体の制御システムを乗っ取られているというのとも違う。ログを精査してみても、ネットワーク越しに何かをインジェクションされた記録はない。つまり、物理的な接触によって書き換えられたのだ。


 一体、いつーー?


 今、夢を見ている間に、インジェクションされたのか。先ほど、急に省電力モードになったのも、何者かによるものに違いない。


 誰かの夢のようなものが眼底に投射された。


 晴れた空の下。


 遊園地。


 花吹雪。


 とんでゆく風船。


 アリの巣に流し込まれる水。


 不思議と怖くはなかった。電子ドラッグに浮かされている者たちは、こんな気分なんだろうか。恐怖などは一切感じず、気分が高揚していた。眼下には遥か下方に地面が見える。あと半歩踏み込めば空への旅が始まるだろう。頭の中にベートーヴェンが流れた。


 私は目を閉じた。ベートーヴェンがノイズのように私の頭を掻き乱す。何も考えられなくなった。。


 そして、私は空中に足をーー。


 その時、背後からグイと腕を引っ張られた。私の体は簡単に後ろへ倒れこむ。見上げると、綺麗な色の瞳をした子供が立っていた。その目を見た瞬間、この子は人間だと思った。なぜそう思ったのかはわからない。そんな目の色をしたアンドロイドなんてほかにもいるはずだ。しかし、確かに私は確信したのだ。その瞬間、体の制御を取り戻した。頭の中のベートーヴェンも消えた。


 一体、今、私は何をしようとしていた?


 今更、体がゾワゾワした。人工皮膚に鳥肌がたつ。そんな機能は必要ないのに。


 子供は私から離れて椅子に腰掛けた。そこに膝を抱えて座ったまま、じっと私を見た。


 立ち上がって近づくと、子供は膝から赤い血を流していた。これが血というものか。私は顔を近づけて、不躾なほど観察してしまった。我々も身体中を張り巡らす冷却パイプや血液がわりのエネルギー供給液が流れている。多くは透明だが、傾奇者は人間の血液に似せて赤く着色しているものもいる。だが、本物の血はそれらとは一線を画すほど鮮やかだった。


 彼女は電子デバイスを一つも身につけていなかった。今時、そんなアンドロイドは一人だっていやしない。それも、彼女を人間と思わせる理由だったのかもしれない。


 年のころは三歳から五歳くらいだろうか。骨格から女性である蓋然性は90%である。白髪に近い金髪の女の子だ。


「君は……どうしてこんなところに」


 子供は答えなかった。もう一度尋ねてみたが、彼女はやはり答えなかった。耳が聞こえないのだろうか。それとも言語が理解できないのか。


 私はハッとした。何故、私はこの子が人間だと思ったのだろう。人間なんて、とうの昔に滅んだはずなのに。存在するはずがないのだ。きっと、人間の子供が好きな変態が作った、新型のアンドロイドに違いない。こんなに綺麗なアンドロイドを所有できるのだ。並大抵の金持ちではないはずだ。


 危うきに近寄らず。私は早々にその場を立ち去ることにした。この子供型アンドロイドのせいでトラブルに巻き込まれるのはごめんだ。


 そう、トラブルに巻き込まれるのはごめんだーーそう思っているはずなのに、私は彼女から目を離せない。


 どうして目が離せないんだ。また意識をクラックされたのか。システムを簡易スキャンしてみても、その形跡はみられない。


 私がスキャンを試みている隙に、女の子は私の目の前に立った。じっと私を見上げている。


 髪の毛も肌も汚れていて、ボロ切れみたいなワンピースに素足という格好だった。アンドロイドの人工皮膚はこんな風に汚れないし、裸足で歩いても足が赤くなったりしない。


 ああ、なんて愛おしいんだーー。


 なんだって?


 私は今、何を考えた?


 ああ、その瞳、頬、唇、手の形、私が守ってやらなければ。


 私は頭を振る。一体、何を考えている。


 思考が自分のものとは思えない。


 私は振り切るように階段室へ向かった。


 それにしてもーー。先ほど、体が何者かに乗っ取られたような状態になったのはなんだったのだろう。なんらかの明確な意思を感じたが、システムに侵入された形跡は無い。詳しく調べてみなければわからないが。


 私は自分の部屋へ戻って、扉を開けた。左手に違和感があり、みてみると、何故か子供と手を繋いでいた。


 なんてことだ。


 私はひどく混乱した。まるで誘拐犯のようだ。アンドロイドの誘拐も大罪である。それが、人間の子供を誘拐したとしたら、どれだけの罪になるだろうか。いや、人間の子供のはずがない。私は何を考えている。




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