第3話
私は好きで立ち寄る場所がある。自分のアパートビルディングの屋上だ。外観は痛んだコンクリートや鉄筋が見えていたり手すりが錆びていたりしているが、陽が落ちてゆくのが見える。それを眺めるのが好きなのだ。季節によって、陽が落ちる時間も違う。もっと北の方へ行けば、一日中陽が落ちないところもあるらしい。
私は落ちゆく太陽を眺めながら、目を細める。センサーが露出を絞っているのだ。そんな人間みたいに感傷的なこと、私には似合わないと言われそうだから誰にも教えていない。私だけの毎日のルーティンである。
風が心地良い。肌に触れる空気の温度は張り巡らされた人工感覚器によって解析される。季節で言うと、今は春である。もっとも、アンドロイドの歴史になって以来、季節なんてものの意味は薄れてしまったが。
ここから見えるのは、ギラついたネオン管、縦横無尽に張り巡らされたケーブル、複雑に組み合った建物達。落陽後には、街は姿を変える。あらゆる言語、煌びやかな電飾、ごった返すアンドロイドやロボットたち。ロボットは、人間に似せたアンドロイドと違って、レトロメカトロニクスをあえて体現したもの達だ。外装が違うだけで、アンドロイドと中身は同じである。
人間の時代、彼らは電力ケーブルを地下に埋め込んだようだったが、我々アンドロイドは人間よりもはるかに多くの電力が必要だ。地下に這わせられる容量を大きく超えていた。だから、架空送電線が必要だった。
陽が落ち、夜の帳が降りた。途端に街は別の顔を見せ始める。
どこから湧いて出たのか、多くのアンドロイドが道に現れた。中世ヨーロッパの頃のロココ調ドレスをきたものもいれば、サイバーパンクなやつもいる。サイバーパンクなアンドロイドなんて、いかにもという感じで敬遠されがちであるが、人間の模倣をするアンドロイドがいるように、ステレオタイプのアンドロイドスタイルが好きな奴もいるのだ。ここでは誰も個性を否定しない。
アンドロイドたちのトレンドは今も昔も、人間が生きていた頃のように『人間のふり』をして、『人間に成り変わり生きる』ことだった。ようするに人間の真似事だ。わざわざ劣等種の真似をするなんて正気ではない。
立体ディスプレイの中で、ビルと同じくらい大きな女性型アンドロイドの映像が踊っている。大音量の音楽に合わせて彼女は好き勝手に踊り狂う。クラブとは違って、彼女には品があった。彼女に向けてレーザービームが何本も照射される。彼女の周りで踊り始めるアンドロイドの集団がいた。今日は彼らが一番乗りだ。彼らの上で、無数のドローンが光り、竜の形を模して蠢いている。中国アンドロイドの縄張りだ。
私は薄汚れた椅子に座った。この屋上は、狭いくせにやたらごちゃごちゃとものが置いてある。ここの住人は屋上をゴミ捨て場だと勘違いしているに違いない。この椅子も、元は人工皮革でも張ってあったのだろうが、今は骨組みにへばりついたウレタンだけになっている。もう何度か雨が降ればフレームだけになりそうだ。そのフレームも、そのうち錆が進行して破断するだろう。
ここに座ると服が汚れるが、そんなことどうでもよかった。私には、この椅子と同じ、いや、この椅子ほどにも価値がないのだから。
私はなぜ生かされているのかーー。役目が終わったのなら殺してくれれば良いのに。どうして、役目が終わってなお生かし続け、こんなところに放り出すんだ。こんな残酷なことはないではないか。
ビルと空の隙間に足を乗せれば、私の体は地面に這いつくばってバラバラになることを知っている。本当に死にたいのならそうすれば良い。しかし、そうしないことも知っている。ありもしないきっかけを待っているのだ。
夜の帳には星が輝く。この星の輝きはまだ人間が地上にいた頃の輝きなのだろうな、などと思いを馳せていると、突然背後で音がした。この屋上は、廃棄物を投棄するもの以外はやってこないはずである。誰かゴミを捨てに来たのかな、くらいに思っていた。
誰かが近づいてくる気配がする。背後の階段室の外側に外灯が点いた。時間式で点灯する仕掛けである。すでに陽が落ちているので、センサー式ではない。タイマー式なのだろうが、時間設定が適切でない。
振り返ったが、誰もいなかった。念の為、赤外線サーモグラフィモードを起動してみたが、誰もいる気配はない。
考えすぎか。このビルは古い。何かしらの音鳴りもあるだろう。
座っているとなぜか急に眠たくなってきた。正確には低電力モードに移行したのだ。
なぜだろう。クラブを出たときには、エネルギーは充分だったはずだ。
体に残ったエネルギーを調べなければーー。
急速に私の意識はブラックアウトした。
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