第2話
全裸で踊っていた金髪のアンドロイドが、グラスを持って私に近づいてくる。厚ぼったい口元に真っ赤なルージュを塗りたくって、豊満な胸を踊らせていた。これが人間の時代でいうセクシュアルアピールらしい。私には全く理解できないが、そういう女が買い求められる傾向があった。
「ねえ、あんたもどう?」
焦点の合わない目で私の股ぐらに潜り込む。
「私にどんなサービスをしたところで、支払いはまからないよ」
彼女らの魂胆は見え見えだった。電子ドラッグの相場は高価(たか)い。だから、あの手この手で、私たち開発者から掠め取ろうとする。
私が冷たくあしらうと、彼女は途端に無表情になり、踵を返してフロアに戻って行った。背中にいくつものジャックが取り付けられているのが見える。電子ドラッグは、いろんな形で接種することができる。無線越しに直接脳内ストレージにインストールする方法や、二の腕や指と爪の間や背中に取り付けたジャックにプラグを繋いでサイドロードする方法。人間の真似をするのが好きなアンドロイドは、二の腕にわざわざジャックを取り付けて、注射器型のプラグを差すのが格好良いらしい。
実際のところ、私も無線越しよりはアナログインプットの方が好みである。無線だと、途中で回線が途切れた場合、最悪はシステムがクラッシュしてしまうからだ。その点、アナログプラグはデータの遅延もないし安定している。粗悪なケーブルはその限りではないが。
フロアには、彼女のように安いドラッグを食ってセックスし続けるアンドロイドや、壁に頭を打ちつけ続けているアンドロイドなど、正気でないもので溢れていた。
私はサイドテーブルに置かれたグラスを持ち上げ、喉に流し込んだ。中身はただの純水である。純度が高ければ高いほど高価だ。人間は、同じようにクラブ内でアルコールを摂取していたらしい。だから、それを真似ていろんな色のカクテル風の水がある。しかし、私は純度にこだわっているので余計な着色料の入っていない水を好む。体内で、遺伝子操作された微生物によってエネルギーに変換される。その過程はバクテリアによる有機分解の反対である。
加えて、我々アンドロイドは電力によるエネルギーチャージも可能である。人間のように、非効率的なエネルギーチャージを必要としないところがアンドロイドの良いところだ。しかし、人間に憧れるものたちは、人間が摂取していたような食べ物を模倣したものを、口から取り込んでいる。中身は水でしかないのに。
機械式時計が17時を示した。私はグラスに残った水を飲み干して立ち上がった。
「ねえねえ、電子ドラッグちょうだい」
フロアで踊っていた女の一人が近づいてきた。先ほどの女と違って、幼く見える。そういう趣味向けに作られた個体だろう。
「悪いが残業はしない性質でね」
彼女が私の肩に置いた手を振り払うと、私は出口に向かった。
「残業って何よ。意味わかんない。あんた、顔は良いのに性格が最悪ね」
彼女は私に捨て台詞を吐くと、フロアへ戻っていく
私が出口の扉に手をかけようとするよりも先に、扉が開いた。
「よお」
「お疲れ様です」
サングラスをしたオーナーがニヤリと笑う。何も疲れていなさそうな彼に対する皮肉のつもりだった。ボサボサの髪の毛と顎ひげで無頼漢を演出しているのだろう。彼は滅法強い人間文化の信者である。
オーナーは軽く手を上げて応えると、ポケットから電子タバコを取り出した。咥えると熱が発生して、タバコから水蒸気が発生する。一般に流通している電子タバコは水を飲む代わりになるらしいが、オーナーが喫(の)んでいるのは違うことを私は知っている。
「商売はどうだ。繁盛してるか」
「おかげさまで。ここら辺のアンドロイドはみんな電子ドラッグが大好きですからね」
「そりゃあな。わざわざこんな店まで来て人間の真似事をする奴らだからな」
「私が言うのもなんですが、こんなものに入れ上げるなんて信じられませんよ」
オーナーは笑った。
「面白い冗談を言うようになったじゃないか」
冗談のつもりはなかった。
「何が役に立つかなんてわからないよな」
オーナーが私の肩をぽんと叩いた。
私の前職のことを言いたいのだろう。旧世代のアンドロイドのアップデートプログラムをパッチするのと、電子ドラッグを流し込むのとでは同じようなものだからだ。そのことに気づいたのはこの店のオーナーである彼だった。私には思ってもみなかったことだ。大体、電子ドラッグのようなものとは関係しないように生きてきた。職業的に私の行動はトレーサビリティシステムによって追跡されていたので、違法なことには近寄らなかった。窮屈だと思ったことはないし、今も自由になったと解放感に酔うこともない。私はずっと私のままだ。
お払い箱となった私は、当てもなく街を歩いていた。何にも追跡されないと気づき、今まで行ったことのない地区へと足を伸ばした。そうして、仲良くなったのがこのオーナーだ。彼は他人の懐に入り込むのが上手い。このクラブだって、経営そのものは彼がいなくてもできるが、この手の商売ができるのも彼の人望のお陰と言って過言ではない。
「感謝してますよ」
「なんだよ、藪から棒に」
オーナーは照れたように口の隙間から水蒸気を吐き出した。
「本当に思ってますよ。今の私があるのはオーナーのおかげですから」
オーナーはジッと私の顔を見つめている。私の感情を読もうと思っているのだろう。しかし、私は表情で感情を表すことをしない。表情筋がないわけではない。顔面はきちんと全て実装されている。人工筋肉の動きも問題ない。顎関節のアクチュエータも調子は良好だ。だからと言って、わざわざ表情を作ろうと思わないのだ。
クラブに来るアンドロイド達は感情が豊かである。元々そういうモデルなのか、そういう感情プログラムをインストールしてあるのかわからないが、とにかく、彼ら人間信奉者達は、本当に人間のように感情が豊かで表情の種類も多い。
脳内で表情を動かす簡易なコマンドを実行した。
オーナーがギョッとした顔で私を見る。
「お前……やめろよ」
どうやら、私は表情の選択を間違えたらしい。普段、選択的に表情を作らないのでコマンドを間違えたのだろう。デフォルトの表情に戻した。
オーナーが気持ちを落ち着かせるように深く水蒸気を吸い込む。
「お前、知ってるか。最近アンドロイドが不審死してるって」
私は頷いた。知っているどころではない。今、アンドロイド達の間ではその話題で持ちきりだ。知りたくなくても、どんな情報ソースにもヘッドラインが表示されているのが目に入る。
彼の言う通り、最近アンドロイドの不審死が続いている。アンドロイドには人間のように寿命という概念はない。傷んだパーツは取り替えれば良いし、データはバックアップを転送すれば良い。そうやって体を乗り継いでゆけば、永遠に生きられる。
かつて、人間は不老不死を求めたという。栄華を極めた人間でさえ夢見た不老不死を、アンドロイドは標準機能として搭載している。そのアンドロイドは人間の真似をしているというのだから皮肉な話だ。
寿命がないはずのアンドロイドが死ぬのだ。もちろん、パーツを取り替えたり新しい素体を用意する経済力のないものはいる。しかし、そうでないものも死んでいるのだ。あるものは高い建物から飛び降りて、あるものは血管がわりのエネルギー供給パイプを切り裂いて。まるで人間が自殺するみたいに。
それは唐突に起こる。誰かがやっているのか、それとも、プログラムのバグか。
今のところ、事件とは思われていない。事故扱いのようだ。死んだアンドロイド達からログを取り出してみても、第三者の関与が認められていない。ただ野良アンドロイドの間では、第三者の悪意によるものだという噂が最も支持を得ている。
「興味深い事故ですよね」
「事故? 事件の間違いじゃないか?」
サングラスを外すと、オーナーは上目遣いにねっとりとした視線を私に送った。酔っ払ったように目が充血している。あの電子タバコの中身が水ではなかったということだろう。もちろん、人間のようにアルコールを摂取して酔っ払うわけではない。あれはもっと直接的なドラッグである。アンドロイドの体内はシリコンゴムとバイオシートで作られている。バイオシートを透過するリンモナイトという物質を水の代わりに摂取することが密かに流行っているのを知っている。私の専門とは違うので詳しくはないが、電子ドラッグとは違う効き方をするらしい。ただ、バイオシートの劣化が早まるので廃人になるのが早いという自己虐待的で退廃的なものである。そのドラッグの名前はーー。
「デカダンスですか」
私がいうと、オーナーは返事のかわりに再び大きく電子タバコを吸い込む。その中身のドラッグの名前はデカダンス(退廃)という。違法ドラッグだ。政府ご禁制の品を用意に手に入れられるところが、さすがのオーナーの人脈の広さだ。
「あれは事件だよ」
私の言葉を無視してオーナーは続けた。
「事件だ」
オーナーはうわ言のように呟き続ける。
ここのところ、オーナーはいつもこうだ。シラフかと思いきや酔っ払っていたり、酔っ払っていると思いきやシラフだったり。面倒な人だ。恩人でなければ避けている。
「オーナー。また酔っ払って外で寝ると身包み剥がされますよ」
彼はしばしば酩酊状態で路上に転がっている。ジャンキーのアンドロイドでそのような状態に陥ることはままあることだ。大体のジャンキーは許容量を超えた電子ドラッグをインストールする。制御不能になった状態は気持ちが良いらしい。これも人間の行動の模倣である。私にはさっぱり理解できない。彼はよく道端で寝ていて、乞食に身ぐるみを剥がされている。いつか命までも奪われてしまうだろう。彼に素体やデータのバックアップを保存しておくだけの財力があるとは思えない。死んだら二度と戻っては来られないはずだ。
私はアンドロイドが人間の真似事をすることに対して、肯定も否定もしない。なぜなら、アンドロイドは人間が自身の姿に似せて作ったものであり、そのような行動をすることは不自然ではないからだ。一方で、アンドロイドは人間とは性質が違うものであるから、真似をする必要もないとも思う。
「気をつけろよ。最近、またアンドロイドが死ぬ事件が起こってる」
オーナーはうわ言のように繰り返した。おそらく思考プロセスがスタックしているのだろう。放っておけば、そのうち自己修復するはずだ。
私は店を後にした。
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