ヤクいサイバーパンクと世界に一人だけの少女

よねり

第一章 はじまりの街のアンドロイドと人間

第1話





 今、私の腕の中で人間の子供が眠っている。彼女は何の夢を見ているだろうか。


 今、私はひどく混乱していた。あまりの混乱に、カーネルパニックを起こしそうである。もしくは、熱暴走だろうか。


 そう、私は人間ではない。アンドロイドだ。


 今、私が混乱しているのは、この世界にはすでに人間はいないはずだからだ。


 では、この子供は何者だ?








 かつて、この地上を支配したのは人間だった。私が暮らしている場所はドイツと呼ばれた場所だった。今はもうその地名は存在しない。国という概念そのものがなくなったからだ。


 今は人間の代わりにアンドロイドが人間のふりをして生活している。人間が政府と呼んだものは、今はマザーファクトリーと呼ばれている。


 最初のアンドロイドは人間に尽くすために生まれたらしい。それも昔の話だ。我々世代のアンドロイドは、人間が滅んだ後に生産されたモデルである。誰が、なんの目的で生産しているのかはわからない。今でも、次々と新しいモデルが開発され続けている。アンドロイドを生産する命令を受けたファクトリーが、人間がいなくなったあともその命令を繰り返し続けているだけなのだろう。私には興味のないことだ。


 目的もなく生産されたアンドロイドはどうなるか。明確な命令を与えられるものもあれば、ただ街に放り出されるものもいる。私はアンドロイドの意識プログラムと呼ばれる基幹OSを更新するために生産されたモデルだが、新しいモデルがその仕事を始めると、私への指令は降りてこなくなった。つまり、お払い箱にされたと言うわけだ。だからと言って、ファクトリーは私に新しい生活をくれるわけでも、面倒を見てくれるわけでもなかった。だから仕方なく野に出て仕事をしている。


 アンドロイドの意識をアップデートするのが得意だったので、システムの穴を狙った電子ドラッグを作り始めた。今度は逆に意識を少しずつ壊して行くことが今の仕事だ。


 電子ドラッグというのは、人間の時代に流行ったような視覚や聴覚を刺激するものと違って、まさにアンドロイド用のドラッグである。彼らの基幹システムにインストールすることで、クリエイティヴィティを向上するような優位な効果を発揮したり、違法ドラッグさながらの効果を発揮するものもある。良い夢をみるというだけの平和なものだってある。なんでもありだ。


 副作用は効き目の強さに比例する。もう戻ってこられないくらいにシステムがイカれたり、LSDを服用したときのように、地面が液状化する錯覚が消えなくなることもある。システムのエラーは千差万別であって、私は保証しない。




 私の職場は場末のクラブだ。


 ラウンジの真ん中のフロアでは女性型アンドロイドが踊り狂っている。彼女らは、私が調合(プログラミング)した電子ドラッグで時間感覚を延伸することで、五感を鋭敏にしている。彼女らは踊っていろと言われれば、電子ドラッグの効果が切れるか、人工筋肉が擦り切れるまで踊り続けられる。さらにこの大音量の音の刺激で、常にハイになっているのだ。その代わり、彼女らはもうこのクラブから外には出られないだろう。音のないところへ行けば回路の処理がうまく行かなくなる。人間風に言えば、気が狂う。それに、踊るのをやめたところで彼女らは真っ直ぐには歩けない。平衡感覚も失われているはずだ。彼女らのセンサーはすでに校正も効かないほど狂っているはずだ。


 もっとも、全ての電子ドラッグがそこまで悪質なものではない。電子ドラッグは、徐々に効果が薄れてゆく。政府によるアップデートプログラムが、アンドロイドを電子ドラッグから守っているのだ。皮肉なことに、守っているはずのアップデートプログラムは、彼女らに、より強力な電子ドラッグを求めさせる。その結果、修復不能な不具合を及ぼすほどの電子ドラッグの海に溺れるのだ。


 新しい手法が開発されるたびに、違法になる。しかし、すぐに脱法的な手法が開発される。イタチごっこだ。ここでは、規制された方法も望まれれば施術する。かつて、メモリのバッファオーバーフローを利用したブレインウォッシュという手法があったが、あまりにも副作用が大きすぎて今では禁じられている。腕や指と爪の間にわざわざプラグをさして、電子ドラッグをインストールするのだ。昔の人間がやっていたドラッグの作法である。日本でいう茶道の手前のようなものだ。人間かぶれのジャンキーが好む手法だ。今もカスタムファームウェアを利用することでインストール可能であることから、それを嗜むアンドロイドは少数ながら存在する。


 かつての人間も同じようにドラッグに溺れたと聞く。結局のところ、我々がやっているのは人間の模倣に過ぎない。アンドロイドだからといって、何もかもが人間より優れているわけではないのだ。いや、逆かもしれない。優れている分、大幅に上回る退廃を求めることで、より大きく退廃するのだ。


 このクラブは、性的な目的のためにアンドロイドを利用しにくる場所だ。人間の時代には風俗店と呼ばれていた。今は、クラブとだけ呼ばれている。だからだろう、性的な快楽を増幅する電子ドラッグが売れ筋である。そのほかにも、クリエイティヴィティを増幅させるものや、処理速度を早くするものもある。痛み止めもあるが、依存性が最も強い。


 クリエイティヴィティを増幅させるものは人気だが、一度使えば、もうそれなしでは何も作ることはできなくなる。クリエイティヴィティを増幅したことで消失させる、諸刃の剣である。


 電子ドラッグは精神を蝕む。まるで人間がドラッグを打った時のように、徐々に精神性が崩壊する。おそらく、処理をトラップして書き換えるせいでエラーが蓄積されていき、システムに巨大なゴミが出来上がるのだ。そうして、エラーと修復を繰り返すことしかできなくなる。そうなると、彼らは十中八九錯乱し、攻撃的になる。クリーンにするには死ぬしかない。


 死ぬ、というのは一度全てリセットすることだ。人間の肉体的死とは違う。システムを初期化すること、つまりそれはアンドロイドとしての個人の死を意味するのではないか。クリーンになった精神は、以前の彼と同じものなのだろうか。姿形は同じでも、すでにプログラムは違うものである。そんなアンドロイドを、過去何度も見てきた。その度に、私の心には言い知れぬ闇のようなものが広がってゆくのを感じた。


 より刺激の強い違法電子ドラッグでは、巧妙に隠された裏コードが実行されると聞いたことがある。作り手の思想がインストールされるのだ。それは新しい宗教を呼ぶ。もはや一人のアンドロイドではなく、一つの大きな群れである。


 そういう意味では、人間もアンドロイドも変わらないのかもしれない。


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