憩いの間
自分から告白をしておいて、俺は微笑む彼女を目の前に戸惑った。
四十過ぎまで生きてきて、こんなに率直に自分の言葉を告げて、願いが叶ったことは、生まれて初めてだ。
どうして良いか分からず、天を仰ぐ俺に、彼女が声をかけた。
「わたし、カフェラテと一緒に、クロワッサンが食べたいな」
「そうだね」
俺はももさんと一緒に公園から出て、道路を挟んだ隣にある、ビル内のホールに向かった。
中は、大きな空洞になっていて、クリスマスツリーが飾られ、誰かが定番のクリスマス曲をピアノで演奏していた。
ホール内は、下半分が地下、そして上半分が壁一面ガラス張りで、均等に置かれた鉄の骨組みが美しかった。
ガラスの外側には草木が植えられ、今は紅葉し、赤、黄色に色づいて、午後の日差しに揺れている。
「わあ、綺麗」
見上げるほど大きなツリーを見上げ、彼女が声をあげる。
「ねえ、知ってます? 今日明日の催しで、売れ残ったパンはね、全部、戦地の子どもたちに送られるんですって。まあだからって売れ残り過ぎても、こっちの生活が困るけど」
彼女が嬉しそうに微笑んだが、俺は正直、虚しい気分になった。
「クリスマスの日には休戦するからだろ? 馬鹿だよな。最初から、戦争をしなければ良いのに」
「それ言っちゃうとね」
彼女は困った顔で微笑んだ。
「どこのクロワッサンが食べたいの?」
俺は皮肉はほどほどにしなければと話題を変えた。
ホール内は、クロワッサン部門の会場となっていて、いくつも横長い簡易テーブルが置かれて、店を出している。
「熱い揚げたてカレーパンが食べれたのは、公園のブースくらいみたいだな」
「そうですね、ラッキーだったかも。エントリー間に合って良かった」
「良く間に合ったよね」
「まあ、本当は、本当にぎりぎりだったんですけど、地元のよしみで、後、他にもうちと同じように、どの部門で出場するか迷ってるパン屋さんがいるって聞きました」
「へえ」
一緒に並んで歩きながら、あれ? と思った。そんな話を、いったい、彼女は何処から仕入れたんだろう。
主催者側と出場するのにあたって、連絡を取り合いはするだろうが、他の出場者が、どうたらこうたらなんて話しを、知る機会があるものだろうか?
「どうして、ももさんがそんなこと知ってるの?」
彼女は、一瞬目を大きく開いてから、また小刻み良く話し始めた。
「主催者側さんに、電話で正直に話したの。実はうちの事情がこうこうこうで、こうたらで、父と母が、どうたらで、はっきりうちの親の性格は伝えずに、それでいて察してもらえるように、押しつけがましくなく、色々言葉に含んだうえで、うちの店は、どの部門に出場するか、この催しに出ることを真剣に考えてるために、悩んでおりますって、丁寧に」
きっと、その時彼女は電話越しにも、頭を何度も下げたんだろうなと思った。
そして、直観的に感じた。彼女はわりかししたたかなのだと。
あの、パンを焼くことだけしか考えてな頭の固い父と、それをなんとか、きりきりと切り盛りして、家計を支える気骨な母に挟まれて、そう育ったんじゃないだろうか。
ドピンクの派手な頭に対し、態度はいつも低姿勢で、常に相手の出方を見ながら、自分の意見を上手く通している。
俺に肉を買えなくなったと伝えに来た時もそうだ。俺に正直に話すことで、結局、事態を収拾した。
「ももさんは、誰にでも意見を言えて凄いね」
俺は正直に褒めたつもりだったが、彼女は途端に顔を曇らせた。
「そんなんじゃありません」
俺は、なにか言ってはいけないことを、言ったんだろうか?
一瞬で、焦りだしてしまう。不甲斐ない四十過ぎ男だ。
「どこの、クロワッサンがたべたい? 何個でも買ってやるよ」
言いながら、俺は財布を開きながら、中身を見た。小銭がじゃらじゃら入ってて、いくら持っているかわからない。
そんな俺の財布を彼女は横から除いて、
「一個で良いですよ」と微笑んだ。
俺が思わず彼女に顔を近づけると、間々あって「じゃあ一番人気のやつ買ってください」
そう言いながら顔をそらした。
俺とももさんは、30分以上並んで、一番人気のクロワッサンに辿り着いた。
ホール内の喫茶店でカフェラテを二つ買い、外側に置かれたテーブル席に腰かけて寛いだ。
日の光の直線が、ガラス越しに真っ直ぐホールの床に差し込んで、外の景色を眩しくした。
ももさんは、そんな景色を幸せそうに見上げながら、美味しそうにクロワッサンをほおばり、食んで、ぼろぼろとパンカスを服にこぼしていた。
「やべっ」
彼女は自分の服に付いたパンカスを除き見て、チラッと俺を見返してから、一番大きいパンカスを胸の上から拾って、口に入れた。
ももさんは俺と見つめ合ったままだったが、間々あって顔を伏せて服を叩いて、他の細かいパンカスを布地から落とした。
「一個500円するのに勿体ないね」
俺がそういう前には、また彼女はクロワッサンをほおばっていた。
「このクロワッサン、表面ぱりぱりで美味しいけど、めちゃめちゃこぼれますね」
「そうだね」
「クロワッサンはパン生地の層の触感が大事なんですから、仕方ありませんね」
パンクズをこぼしたことに、沢山の言い訳をしたいみたいだった。クロワッサンをほおばりながら、目だけ横にそらしている。
さっきから、敬語とタメ語が入り混じって、どっちで話したら良いか迷ってるみたいだ。
頭がドピンクで、誰とでも話せる感じのももさんでも、付き合いたての俺と一緒にいて、それなりに緊張しているんだろうか?
ぴろろろろん、ぴろろろろろろろろろろろろろろんんんん♪
「あっ、もうこんな時間」
鳴ったのはももさんの携帯だった。
彼女はカフェラテの残りを一気飲みすると、椅子から軽く飛び降りて、ゴミを片付け始めた。
「じゃあ、休憩付き合って下さって、ありがとうございました」
「え?」
まだクロワッサンを食べ終えていない俺は一人、ホールにぽつんと取り残された。
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