大会当日

 大会当日、得意先のパン屋の出場は、なんとか米粉パン部門へのエントリーで、店主が納得したらしかった。

 それは、売り上げのことを考えてのことだった。

 ちゃんと採算の出る結果を出さないと、今後の営業に支障が出て、その方が、取引先にも、お客様にも迷惑だと、店主が気が付いたらしかった。

 米粉パン部門開催場所の、新宿中央公園へ行くと、この前会った時は、まだカレーパン部門に出たい未練でいっぱいいっぱいで、渋い顔をしていた店主が、嬉々として自分の持ち場を忙しく動き回っていた。

 周りの活気に励まされ、にこにこと、隣の店の人にも笑顔をふりまいて、蟹股の横歩きで、パンの入ったトレーを運んでいた。

 今日は本当は俺の肉屋は普通に営業日だが、周りの従業員が俺の持ちを察し、今日くらいは休んだらどうかと言ってくれた。

 そして、足をのばして、はるばるとまでは言えない距離を歩き、ここまで来た。

 簡易テントの店の前は行列が出来ていた。

 俺が列の一番前に現われると、先ほどまではきはき動いていたパン屋の娘さんが、ぽかんと目を点にして動きを止めた。

 もしかして、俺が恐いのだろうか?

「そ、その節はどうも、大変お世話になりました」

「いえいえ」

 形式的にこちらも頭を下げた。

「ももちゃん、休憩入ってきたら?」

「後ろにいた従業員の女性が、彼女に声をかけた」

 そうか、彼女の名前は、ももというのか。名は体を表すと言うけれど、それで頭がピンク色だなんて、親のことが好きに違いないと俺は思った。

「お、お代はいらないので」

「そうですか? なんか悪いですね」

 きっと、この前のお詫びも兼ねているんだろうと思った。

 俺としてはちゃんと肉を買ってもらい、急に大きな売り上げが出来たから、さして気にしてなかったけれど。

「あ、直ぐに食べられますか?」

「え、はい」

「ああ、ではテントの端でお待ちください」

 彼女は言い終えるより早く、油の鍋の前へ行き、まだ揚げてないパンをトングで挟み、中へ入れた。そして、網付きトレーの上で適度に油を抜くと、その揚げたてのカレーパンを紙に包み、俺に手渡してくれた。

 そして、その場でささっとエプロンと三角巾を取りたたむと、机の下にしまい、机の端から出てきて俺の横に並び、にっこり微笑んだ。

「飲み物要りませんか?」

 彼女は微笑んだまま、小さな財布を持った手で、小道を挟んだ向こうにあるコンビニを指した。

 俺は「じゃあ、水を」と言った。

「え、水でいいんですか?」

 彼女は財布の中の小銭をじゃりじゃりさせながら、コンビニに向かった。

 なんか俺にはそれが危なっかしく見えた。

 はきはきしてると思うと、ぼんやりしてるところもある。

 俺は、公園の芝生の上の一角で、銀杏が色付いているのと、彼女の姿を目で追いながら、揚げたてのカレーパンをかじった。

「うまい」

 表面のかりっとした触感に、癖のない油の香り、米粉特有のふわふわもちもちの弾力。カレーの味はそれほど濃くなく、中の牛ん区のジューシーな味と、人参の甘さと、じゃがいものほくほくな柔らかさが、ひとつづつ、鼻先と口から伝わってくる。

「あ、これ水です」

 振り向くと、彼女が俺にペットボトルを差し出していた。

「ありがとう」

「もう、食べちゃったんですか?」

「揚げたてだったから。上手かったよ」

 彼女はちょっと困ったような、残念そうな顔で俺を見上げた。

 なにか悩んでいるんだろうか?

「どっか座ろうか?」

 そういって座るところをきょろきょろ探したが、どこもかしこも大盛況で、ベンチも植木の脇も人で埋まっていた。

「あの、これお尻に敷きましょ?」

 彼女はそう言って、片手に持っていた無料雑誌をひらひらさせた。

「そうだね」

 しかし、芝生の上も大変賑わってる。

 俺と彼女は手ごろ空きを探し右往左往した。

 すると、調度、芝生の先にベンチが見えた。

「あ」

 見えた次の瞬間。腰かけていた老人がその場を立った。

 俺と彼女は、咄嗟に走りだし、我先にと同時にそのベンチに着いた。

 座ると同時に、一緒に笑ってしまう。まるで椅子取りゲームみたいだ。

 ベンチの近くにいた数名が、一瞬残念そうな顔をしてから通り過ぎていった。

「あ、これじゃあいらないな」

 彼女はそういうと、わざわざ人ごみをよけて、小道の向こうのコンビニに戻り、出入り口に置かれた棚に雑誌を戻した。 

 俺は、彼女のその様子を、ガラスの壁越しに除き見て、彼女を大切にしたいと思った。

 すでに、植木の内側は、放置されてくゴミで散らかり続けているのに、都会育ちのはずの彼女が、そういう悪習に埋もれず、律儀に行動するのが、言葉にしてしまうと恥ずかしいが、とても愛おしいと感じたからだ。

 小柄な彼女が、てくてくと人ごみの間を縫うように抜けて出て、俺の目の前に戻ってくると、何故か彼女が一分前より、輝いて見えた。

 だから、自然と口が開いた。

「俺に付き合って」

 彼女はまた目を点にして、数秒固まったけど、急にふふふと笑いだして「はい」と答えた。

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