問題発生
古い付き合いの農家に話を聞いてもらい、なんとか頼まれた寮の牛肉を、大会前日におろしてもらえるよう、買い付けることが出来た。
そして、約束した日に、あのドピンクの頭のパン屋の一人娘さんに取りに来てもらった。
しかし、
「ご、ごめんなさい」
しょんぼりした様子で頭を下げる彼女に、酷く腹が立った。
ごめんなさい? お友達じゃないんだぞ。ふざけんなよ!
と、いう心の叫びは、胸骨の中心の3センチ下へ押し留めて、一息ついてから、
「どういうことですか?」
と、丁寧に声を発した。
しかし、彼女は、小動物のように、びくりと肩を震わせる。
またそれに苛立ち、眉間にシワがよった。
「‥‥‥父と母がパンの改良のことや、大会の、どの賞にでるかで喧嘩になってしまって、‥‥‥それで、もう出場自体、辞退しようかって、話になってしまいまして」
「出場自体、自体」
俺は真横でつまらない親父ギャグを言うパートのさっちゃんを睨みつけた。
さっちゃんは小さく頭を下げ、少しわざとらしく神妙な顔をした。
一方彼女は、手をこまねきながら、地面の方に視線をうろうろさせている。
反射的に盛大な溜息が出た。
すると、彼女はまた小さく身震いして、深く深く頭を下げた。
「今、店に店主と奥さんはいるんですか?」
俺がたずねると、間々あって、彼女が頭を上げ「はい、父はいます」と答えた。
「会いに行く」
俺はそう言うと同時にエプロンを取り、店を出た。
すると、彼女はなにも言わず、後からついてきた。
「あー、ここだ」
いつも肉を買ってもらっているのに、この店に来たのは高校の頃以来だ。
半田と一緒に学校の帰宅途中にこのパン屋によって、翌日も食べる分を買って、他の友人たちに羨ましがられて、それで欲しい奴のために、みんなの分も買っていって、値段を本来の1.7割増しで売りつけたんだ。
あれは、かなり儲かった。
それでその後、そのパンを滅茶苦茶気に入った奴が直接このパン屋に出向いて、高値で売りつけてたことがバレて、みんなにえらくろやされたのを、今も覚えている。
だけれど、そんなプチ詐欺を俺が行っても、二週間くらいバレなかったくらい、ここのパン屋はとても美味しい。
それは今も変わっていないハズだと、勝手に俺は信じている。
「店主、肉屋の花内です。肉の注文の件で話があります」
店の入り口の前でそういうと、作業をしていた従業員二人がこちらを向いた。
そして、一人が、厨房へ行き、店主らしき人を連れてきた。
いかにもがたいの良いパン職人という風体の店主が、血相をかいて、奥から足早に現われた。
「はあ、こ、これはどうも」
四角い顔をした猫背気味のその店主は、帽子を脱いで、会釈した。
多分、六十代後半くらいじゃないだろうか。
「うちで注文された牛肉を、買えないとはどういうことでしょうか? 大会に必要だときいて、長い付き合いなので、農家の方に無理を言って、牛をおろす頭数を、大会当日近い日取りで、普段より多くするように、頭を下げて頼んだんです。お金だけの問題じゃありません。牛をさばくのだって、切るだけではなく、血抜きもするし、とても手間のかかることなんですよ」
パン屋の店主は、ただでさえ丸い猫背を、さらにまるくして、頭を垂れた。
後ろで従業員たちがおろおろしている。
まるで、俺がいじめているみたいだ。
「買わないなんて言ってないだろ」
「いったよ」
店主は顔を上げ、横にいた娘に向かって、握っていた帽子をふった。
娘の彼女は呆れた顔で、自分の父親を見返している。
「買わないって言ったのは、母さんだ」
店主は言いながら、店のレジを開いて、お札を数え、封筒に入れて、娘へ渡した。
「奥様に聞かれなくて大丈夫ですか?」
聞かなければ、さっさと料金を頂けたかも知れないが、後々、お得意様とのわだかまりになりかねないので、一応聞いてみた。
察するに、このパン屋の経理は、奥さんが全部切り盛りしているのだろう。
「大丈夫に、決まってる。オレの店だ」
店主は少し不機嫌そうな声で眉間にシワを寄せ、目を閉じていた。
「大会は出るんですか?」
「出るさ、そのために、今、改良中なんだ!」
店主は、心のそこから楽しそうに、にかっと歯をだして笑う。
ちょっと、嫌な予感がした。
大会は、明後日だ。よく見ると、店主の目元には青色がさしていた。
「‥‥‥それは、どんな改善を?」
「大会に出すのは、うちの看板商品の『牛込カレーパン』だからな! 今、米粉に変えたんだ! 『牛込』にかけて、牛と米のパンだ! どうだ!妙案でしょう!」
それなら、牛込の牛は、そもそも乳牛だから、牛乳も使った方が良ですよ、と言いそうになってその時、俺は目にした。パン屋の従業員の諦観の笑みを。
「米粉だと、ちょっと焼き上がりが違ってくるんだよなあ、それだけでオレは手一杯だ!」
手一杯だと言う割に、とても生き生きと楽しそうだ。
どろんこ遊びをする子どものように、わくわくしながら、パンをこねているのだろう。
「‥‥‥そうですか」
「それで「米粉じゃ小麦粉と全然値段が違う」ってお母さんが怒って、出てっちゃったの」
俺の横に来た娘さんが、くちに手を当ててぽそぽそと話した。
「お母さん大丈夫?」
「うん、友達の家にます。それで、大会の、カレーパン部門に出るか、米粉パン部門で出るかでも揉めて、母は、カレーパン部門はもとミシュランシェフが、トリュフェ入りの高級カレーパン出してくる強敵が多いから、やめてって言ったんですけど、父はカレーパンとして今まで売って来たんだからって聞かなくて‥‥‥」
彼女は話しながら、だんだん前方に上半身を下げていった。
パン屋の一人娘って大変だな。
俺は、宣告彼女にイラついたことを、申し訳なく思うくらい同情
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