新宿の冬

@hitujinonamida

日常

 新宿の冬は、寒くて乾いてて、汚い。

 それは、十年前から、そのずっと前から変わらない。

 今年自分は、四十路になったけど、人生も街も、立ち替わり入れ替わりはあっても、基本的には代り映えしていなかった。

 俺は、毎朝親から引き継いだ肉屋を開店させ、そのまま朝から夜まで働き、深夜に従業員のシフトや売り上げ、画面上の在庫管理をする毎日。

 そういう雑務を他所に頼めば良いのだろうけど、人件費をかける余裕はない。

 それでいて、町内会の付き合いがあるので、毎月一回ある、朝の清掃活動には必ず出ていた。

「おう、花内。一か月ぶり」

「近くに住んでるのに、ここでしか会わないね」

 同じ新宿区に住んでいる半田と、並んでゴミ拾いをした。半田の横には、末っ子の5歳の男の子が左右に動きながら袋を持って歩いている。

 ゴミはただ落ちているだけでなく、割られた酒瓶が、植木の土に埋められたりしていて、たちが悪い。よっぽど悪のりしていたんだろう。3000円はする酒の酒瓶をこんなところに埋めて、なにが楽しいんだか、よっぽど時間と金に余裕があるのだと感じ、恨むよりも、むしろ呆れた。

「あーあ、今回もひでえな」

「文句言っても終わらないよ」

「パパ、これひろったあ」

「おーすげー大量だなあ」

 嬉しそうに土まみれの空き缶を抱えて微笑む5歳児に、少し心が和んだ。

「そう、今日言おうと思ったんだけどさ」

「うん」

「実はまたツレが妊娠したんですよ」

 半田は恥ずかしいのか、自分で頷きながら語尾を濁した。

「はあ、それは良かったですね」

「うちのツレは、めちゃくちゃ少子化に貢献してるよな」

「お前がしつこいだけだろ」

「うるせえな。それよりお前はどうなんだ?」

「どうって、今年もずっと店で働いて、そこが家で全部終わり」

「さっみしーなあ」

「もっと、時間に余裕が欲しいけど、ちょっと今は難しい」

「それ。十年前から言ってるな」

 俺は無言で半田を見返した。

「売る肉の種類を高いものだけに絞れば計算も楽なんじゃないか?」

「いやあ、それは無理だな」

 俺たちは目の前のゴミをしゃがみこんで拾いながら話しを続けた。

「例えば、百円単位のメンチカツとかコロッケとか止めて、そこに肉を置いたら、揚げ物もせずに済むし、楽になるけど、親の代からやってるし、気が引ける」

 やめればきっと常連客はがっかりする。それもそうだが、それで自分が責められた気分になるのが、なにより嫌だった。

 きっとやめたとしても、数名の顔なじみに「やめちゃったの」と、残念な顔で言われるだけで、「どうしてやめたんだ!信じられない!君は先代の魂ごと引き継いだんじゃないのか!」なんて大げさに怒鳴る人間がいるわけでもないとわかっていた。

「コロッケなんて、いまどきコンビニでも売ってるけどなあ」

「それなあ」

 世界全体から見たら、うちがコロッケやメンチカツを揚げようと揚げまいと、大したことじゃない。

 半田の意見にうなづいたものの、結局コロッケやメンチカツをやめることはなかった。

 今年もそうして一年終わりそうだ。

 自分の身体には、消臭スプレーの二吹きや、三吹きでは誤魔化せないくらい、この油の匂いと習慣が身に染みている。

 そうして、一日中忙しいから新しい出会いもなく、サラリーマンの半田と違い、ずっと一人身だった。

 金は、親の店を引き継いだことで、同世代より多少多く持ってたかも知れなかったけど、たかる人間を避けたかったので、店では店長ではなく『花内さん』と呼んでもらっていた。

 水曜日、近所のパン屋の娘さんが、毎週のように牛肉を買いに来た。

 彼女の実家のパン屋さんには『牛込カレーパン』という名物パンがあり、それに使う牛肉をいつもうちで買ってくれていた。

 彼女は月曜日と水曜日と金曜日に毎朝くる。

 でも多分、牛込の牛は、乳牛だったと思う。

 パン屋の娘さんは、明るくて可愛いけれど、髪の毛がピンク色で、ちょっとなに考えてるか分からない。

 ずっと親元のパン屋で暮らしていて、多分三十路は超えている。

 だって十年前からの付き合いだし。買い物だけだけど。

 その水曜日も、また決まった牛肉を買うだけだと思った。

「あの、すいません。ご相談があるんですけど」

 彼女は派手なピンクの頭とは裏腹に、丁寧な口調で話した。

 彼女の話によると、再来週新宿区で『パン博覧会』が開催されるので、来週の金曜日に新鮮な和牛を、いつもより二十倍多く仕入れたいと言うことだった。

「そういうのは、酪農に直接言った方が良いんじゃないですか?」

 と、俺が言うと彼女が、

「父が、新しい会社とまた新しく契約するなんて面倒だって言うんです」

 と答えた。

 俺は、彼女の顔をしばらく眺めながらしばらく思案した。

「出来るか分からないけど、問い合わせてみます。連絡先を聞いてもよろしいですか?」

 ピンク頭の彼女が、心底安心した顔で微笑むので、俺もつられて笑ってしまった。 

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