第16話 栄光の山頂

『その世界』に取り込まれる時、身体に一瞬の浮遊感のようなものがくる。

 リューとクリスティンの2人にとっては何度目かの感覚であった。

 早朝……そろそろ朝食の支度に取り掛かろうかと言う時刻に突然襲ってきたその違和感。


「来たな」


 リューの言葉にクリスは慌てて周囲を見回す。


「えっ? えっ……? で、でも、景色が……」


 周囲は見慣れたいつもの王家の別荘の使用人たちの使う食堂である。

『聖域』に取り込まれた感覚はあるのに周囲の景色が変わっていない。


「窓の外を見てみろ」


 リューが視線で窓を示す。

 クリスとメイヤーの2人が窓枠に飛びつく。


「な……なんじゃこれは……」


 頬を引き攣らせ呆然と呟いた侍従長の声は掠れていた。

 クリスティンもポカンと口を開けて外の様子を見ている。


「空……ですよ……」


 敷地の外側が空になっている。

 どこまでも続く青い大空。

 雲よりも高い位置なのか、下方に雲が見える。

 だが、空に浮いているというわけではなさそうだ。

 険しい岩ばかりの山の頂上付近にステージ状に張り出した岩場の上に敷地ごと屋敷が乗っているような状態なのだ。


「屋敷を敷地ごと取り込んだようだ」

「そんな事ができるのか……?」


 渋い顔をしながらメイヤーは額に浮いた汗をハンカチで拭っている。


失われしロスト・聖域サンクチュアリ』は結界魔術。

 内部の容量とどこまで内部に取り込めるのかは術者の魔術的素養による。

 桁外れの魔力量と長年の積み重ねた鍛錬があれば広大な世界に建物ごと取り込むといった事も可能となるのだ。


『ファッハッハッハッハッハ!! どうだいジェローム坊や。私の聖域『栄光の山頂グローリーピーク』は。アンタの周りにたむろしてるゴロツキどもが本当に有事に役立つのかどうか……このババが実力を確かめさせてもらうよ!!』


 突然天から降り注いだ大音声が窓のガラスをびりびりと震わせる。

 あまりに爆音。

 思わずクリスは両手で耳を塞いでいた。


「上だ……!!」


 叫ぶメイヤー。

 屋敷の上空に巨大な老婆の顔が浮かび上がっている。


「おのれッ!! バケモンの顔を空に浮かべて恐怖で戦意を喪失させる世界か!!!」

『誰がバケモンだい!!! しばくよ!!!』


 馬鹿でかい怒号が屋敷を揺らす。


「……重さ、か」


 呟いたリューが右手の肘から先を曲げ伸ばししながら感触を確かめている。

 言われてクリスも気が付いた。

 ……全身がまるで水の中にいるように動作に抵抗を感じる。


『そろそろ気付いた者もいるだろう。私の栄光の山頂内部じゃ強い奴にはハンデがある。個々の戦闘力に応じて重力負荷がかかるのさ。強ければ強いほど重くなる!』


 楽しげな声のゼノヴィクタ。

 そして、その間にも第4大隊の騎士たちは山中を行軍し王家の館へと向かっていた。


「そんな名前だったのか。ババ様のこの山って」

「俺らは皆、根性山って呼んでるからな」


 囁きあう第4大隊の騎士たち。

 彼らは今重力の重装備の2つの負荷を受けている。


『今そっちにうちの騎士たちを向かわせてるよ。演習を始めようじゃないか。そうさね……制限時間は1時間としよう。その間坊やを守りきれたらあんたたちの勝ちだ。もしもそれができないようなら……』


 メイヤーがゴクリと生唾を飲む。


『坊やはこのババと一緒に王都に戻ってもらうよ!! そのふやけた性根を叩きなおしてやろうかね!!!』


「ギャー!!! やっぱりだ!!! とんでもない事言い出しおった!!!!」


 叫んだメイヤーがバリバリと頭を掻き毟る


「おい! やらせるわけにはいかんぞ!! 防衛しろ、リュー!! 第4どもを蹴散らしてやれ!!!」

「言われるまでもない。……が」


 リューが目を細める。

 ……彼の鋭敏な感覚が警告を発している。


「1人かなりの使い手が近付いてきている。大隊長か副隊長のどちらかだろう。おそらく俺はそいつの相手で手一杯になる。兵たちまでは手が回らん」

「うぅむ、そうか……止むを得まい」


 ぎりぎりと奥歯を鳴らす侍従長。


「屋敷ごと結界に取り込まれたのは好都合だ。ここには侵入者への備えがあれこれあるからな。私は警備の騎士たちに指示を出してくる。後を頼むぞ」


 そう言ってメイヤーは慌しく食堂を出て行った。

 それを見送ってから、ふーっと長い息を吐いてクリスティンもドアのノブに手を掛けた。


「私も武器を取ってきますね。リュー、気をつけて」

「ああ。お前も気を付けろ。言葉ぶりから本気で命を狙っているわけではないと思うが」


 重力異常などないかのように赤い髪の男は開いた窓から身軽に飛び出していった。


 ────────────────────────


 皇太子のいる王家の別荘を守護する騎士は50人ほど。

 対する攻め寄せる第4大隊の騎士は400人近くだ。

 本来であれば勝負になるはずもない絶望的な戦力差である。


 まして相手は雑兵ではない。

 しょっちゅう聖堂騎士団内で「実はドMなのでは?」という疑惑の持ち上がる根性部隊、第4大隊である。


「よーっし!! 見えてきた見えてきたぞ!!」

「はっはー!! わざわざ山登ってやってきたんだ!! 退屈させるんじゃねーぜえ!!」


 王家の別荘が見えてくると第4大隊の騎士たちが歓声を上げた。

 普段からこの聖域でよく訓練している彼らにとっては重力異常は慣れたものである。

 困難なほどに燃える。

 窮地であるほどに猛る。

 それが第4大隊なのだ。


「ん? なんだ……?」


 騎士の1人が眉を顰める。

 何かが……無数の人影? のようなものが屋敷の兵をわらわらと乗り越えて外へ出てきているのだ。


「警備兵? いや……違うぞ、あれは……」


 先頭の騎士の顔色が変わった。


 それは……朽ち掛けた武具に身を包んだ骸骨の兵士だ。

 死霊術師アルゴール・シュレディンガーの術により黄泉から帰ってきた戦士たち。

 夥しい数の髑髏戦士が兵を乗り越えて第4大隊に向かって山を下り始める。

 ガチャガチャと鎧と骨が鳴る音がいくつも重なり合う。


「ほっ、骨だあ!! ガイコツだああああ!!!!」

「こえーよー!! 骨だよ!! ババ様助けてええ!!!」


 たちまち第4大隊は恐慌状態に陥る。


『だらしないねお前たち!! たかが骨がなんだってんだい!! バラバラにしてスープのダシにしておやりよ!!!』


「ヒィィィ!! ババ様もこえーよー!!!」


 そんな大混乱の騎士たちの中を1人の女性が平然と進んでいる。

 ポニーテールにまとめた長い黒髪が風に靡かせて。

 軽やかな歩調で山を登る。

 周囲の大騒ぎなどそ知らぬ顔で鼻歌を歌いながら……。

 大きな銀の鎌を持ったノクターナ・シンクレアが山を登ってくる。


「……ん」


 その彼女が足を止めた。

 山の上から風が吹き降ろしている。

 その風を背に受けて、前方に立つ赤い髪の男。

 ノクターナは彼に向けて軽く手を上げて人懐っこく笑った。


「おはよう。朝ごはんは食べれた?」

「いいや。これからだった」


 リューの言葉に残念とでもいうかのように肩を竦めてみせる黒髪の副隊長。


「ありゃ、そっか~。ちょっと早く来過ぎちゃったね」


 それからノクターナはリューの頭の上からつま先までを無遠慮にジロジロと見回した。

 非常に興味深げな様子で。


「君がクリストファー・リュー?」

「そうだ」


 静かに肯くリュー。


「なんかイメージしてたのと違うね? もっと熊みたいな大男を想像してたんだけど……。あ、そうそう、ウチはね……」

「第4の副隊長、ノクターナか」


 リューの言葉に微笑むとノクターナは助走も屈伸も無しに軽く岩肌を蹴って宙を舞う。

 彼の頭上を飛び越えて風上へと。


(この重さの中をあれほど軽やかに跳ぶか)


 眉を顰めたリュー。

 自分と彼女の戦闘力に大きな開きがあるとは思えない。

 という事は彼女にも相当の負荷が掛かっているはずなのに……。


「お互い、自己紹介はいらない感じかな」


 見下ろす側と見上げる側……位置を入れ替えた両者。

 ノクターナが大きな銀色の鎌を肩に担ぐ。


「そうだな」


 腰を落としリューが構えを取る。

 これまで倒してきた大隊長2人、キリエッタとスレイダーの事が頭を過ぎる。

 いずれも強敵であり紙一重の差で勝利を収めてきた。

 そして、今自分の眼前に立ちはだかった女もまた……。


「本当はね、ウチの世界『月光宮殿パレスムーンライト』で御もてなししたかったんだけどね~」


 地を蹴る副隊長。

 その動きは超重力の中にあって尚神速……!!


(!!! あの脚力あしはまずい……!!)


 戦慄するリュー。

 手にした大鎌に注意を取られがちになるが本当に警戒すべき彼女の一番の武器は常人離れした脚力だ。


 一瞬でリュー間合いの内に入るノクターナ。

 大鎌を振るうにしては距離を詰めすぎている。


「ッ!!!」


 鋭い矢のような中段の蹴りが来る。

 彼の想像した通り、最初の一撃は武器ではなく足だった。

 咄嗟に片足を上げて横からの蹴りを受ける。


 ドガッッッ!!!!!!!!


 全身の骨が痺れるような衝撃。

 リューの顔が苦痛に歪む。

 ……だが、打たせたままで終わる彼ではない。


 ガードに上げた足をそのまま踏み込んで直突きがノクターナの胸部中央を狙う。


「うわっ!!?」


 持ち上げた鎌の柄でそれをガードするノクターナ。

 拳打の衝撃で彼女が1mほど後退する。


「真っ直ぐ来るんだ!? 面白いね!! 点で来るから捌きにくい!!」


 そう言いながらも彼女はリューの打撃を完璧にガードしている。

 やはり強敵。

 同じペナルティを受けているとはいえ彼女はその状況下での戦闘に慣れている。

 そして改めて痛感する。

 この重力異常は素早さと回避を売りにする自分にとっては相性が最悪だ。


 ……どうする?

 このままでは有効打を与えられないままに消耗しいずれ彼女の攻撃を捌ききれなくなった時点で自分は敗北するだろう。


 仲間ごと巻き込んで泥仕合を演じようというのではない。

 これが彼らの必勝の布陣なのだ。


 リューの内心に徐々に焦りが生まれつつあった。


 ────────────────────────


 生まれて初めて動く骨に襲い掛かられるという経験をした第4大隊の騎士たち。

 彼らは恐怖から大混乱に陥っていたがその内何人かが自らの恐れる心に打ち勝って平静を取り戻し始めた。


「落ち着けお前たち!! 思い出せおれたちの過酷な鍛錬の日々を!! おれたちはあのババ様の超絶フェイスに日夜耐えているんだぞ!! 骨など恐れるようなものではない!!」


 雄叫びを上げて仲間を鼓舞する騎士。

 その声に騎士たちが瞳に光を取り戻していく。


『超絶フェイスとはどういう意味だい!!?』


 ……ババ様も叫んでいる。


「ああそうだ! こんなものババ様の顔面に比べれば何でもないわ!!」

「ああ、あれを見せ付けられることに比べればこんなもん!!!」


 肯きあった騎士たちが骸骨兵に立ち向かう。

 たちまち周囲は乱戦となり怒号と剣戟が轟く。


『別に見せ付けてはいないだろうが!!!』


 そしてババ様の叫びが戦場に木霊した。


 恐怖による戦意喪失がなくなれば第4大隊側が圧倒的に有利であった。

 何しろ骸骨兵の数は百にも満たない。

 早くも防衛の骸骨兵を突破して館の敷地内に侵入する聖堂騎士が出てきた。


「あわわわ、入ってきちゃいましたよ……」


 おろおろするクリスティンの前に数名の聖堂騎士が武器を振り上げ迫り来る。

 パウル司祭の死の詳細が伝えられていない第4大隊にはクリスティンの情報はない。

 クリストファー・緑の名だけが警戒すべき対象として彼らに認識されている。


「……怪我をしたくないのなら退いていろ女!!」

「怪我はしたくないんですけど、怪我をさせちゃうかもしれません!!」


 打ち払うようにクリスが手にした大剣の腹で聖堂騎士たちを横薙ぎにする。

 長方形の板に打たれたようなものだ。

 3人の騎士が一纏めに胴を払われ宙に舞い上がった。


「ぼへッッ!!???」

「ぎゃあ!!!」


 悲鳴を上げて吹き飛ぶ騎士たち。

 数mを飛んで派手な音を立てて地面に落下した彼らはいずれも既に意識はない。


「なんだ!? ……おい、気を付けろ只者じゃないぞ!!」

「化け物め!! この重さの中で!!!」


 一蹴された仲間たちの姿に聖堂騎士たちが警戒モードに入りクリスティンを遠巻きに取り囲んだ。


(うーん……その重さをあまり感じないんですけど、それほどでしょうかね?)


 クリスが今自分の身体に感じている抵抗は例えるなら「ちょっと怠いかも?」くらいの感じで戦闘に支障を感じるかどうかと言われると微妙なラインであった。

 今まで経験してきた聖域の相手へのマイナス効果に比べると明らかに大した事がない。


「だらしない。下がっていろ」


 ずしん!と重たい一歩に館の広い庭が揺れる。

 巨大な影が差して周囲が薄暗くなる。

 姿を現した巨大な象の獣人が周囲を睥睨した。


「中々の実力者とお見受けする。第4大隊の聖堂騎士キャムデンだ。お相手願おう」


 キャムデンが手にしているのは巨大な模様の描かれた木剣である。

 刃に当たる部分には鋭く研ぎ澄まされた黒曜石が埋め込まれている。

 そして反対の手にはこれもまた模様の描かれた木製の大きな円形の盾を持っている。


「……クリスティン・イクサ・マギウスです」


 所属は何とも言い様がない。

 聖堂騎士キャムデンの名乗りに対し己の名を告げるのみに留めたクリスティン。


「ではいくぞ!!! クリスティン!!!」


 パオオオオン!!! 

 象の雄叫びを轟かせキャムデンが木剣を頭上へ振り上げた。

 まともに食らえば原型も残る事がなさそうな相手の体躯、そして武器の大きさではあるが……。


(……遅い! 避けれそう!!)


 体格から想像するに恐らく元々キャムデンという戦士は速度ではなくパワーを売りにするタイプなのだろう。

 加えて今彼には重力負荷がかかっている。

 その攻撃の速度は速さには自信がないクリスティンでも回避可能なレベルだった。


 ドゴオオオオン!!!!!


 重たい音を響かせ抉られた庭の土が飛ぶ。

 だがその位置に既にクリスはいない。

 横合いから彼女は大剣で巨象に一撃を見舞おうと……。


「……あ」


 クリスティンの動きが止まった。

 彼女の眼前には巨大な丸い盾が聳え立っている。

 回りこもうと更に横に走るとキャムデンも盾を構えたままその場で身体の向きを変えてくる。


 鈍重な巨体から回避を苦手にしている事は彼自身百も承知しているのだ。

 だからこそのこの大きな盾だ。

 身体を回すという最小の動きで全身をカバーする。

 どこから攻めようにも鉄壁の防御で対応する。

 それがこの獣人の戦い方なのだ。


 ……そして、この盾は。


「……あ!!?」


 巨大化した。

 ……ように見えた。

 実際はキャムデンが盾を前面に体当たりを仕掛けてきたのだ。


シールド打ちバッシュ!!!!)


 盾の表面を打ち付けられたクリス。

 咄嗟に構えた大剣でそれを受けたが殺しきれない衝撃が彼女の全身を走る。


「……っ!!!」


 そして……追撃。

 怯んだクリスへ盾を僅かにずらし、できた隙間から木剣で突いてくる。

 木剣の先端には鋭い黒曜石の棘が植えられている。

 その一撃をクリスが辛うじて大剣で弾いて逸らせる。


(盾の使い方が……巧い……)


 相手の攻撃を受ける的が大きく動きが鈍いという巨体のハンデを攻防に盾を巧みに用いる事で解消している。

 クリスティンは知らぬ事だが聖堂騎士キャムデンは獣人故『試しの儀』の対象とはならずに聖遺物さえ所持してはいないものの、大隊長副隊長に次ぐ大隊の3番格である。

 いまだ彼女は経験していないがこの盾を超えた先に彼のさらなる強みがある。

 巨象の戦士を最後に守るものはその頑丈な表皮。

 生半可な相手ではその硬く分厚い表皮を貫いて肉に攻撃を届かせる事すら不可能。


 通称『生きた砦リビングフォートレス』……それが第4大隊の聖堂騎士キャムデンであった。


 対するクリスティンは元々所属していた第6大隊では見習いに毛が生えた感じで、この事件に巻き込まれるまでは実戦経験もゼロ。

 特技は力仕事と……あと実は以外にも手先が器用で特に裁縫が得意だったりする。

 ……そんな娘であった。


(一月前くらいの私だったら、こんな強そうな人と向き合っただけで貧血になってたでしょうね)


 ふとクリスはそんな事を考えていた。


「随分と余裕があるな。集中しろ」

「あ、ごめんなさい……」


 戦っている相手に注意されてしまった。

 なんで自分がこんな事になっているのか……それを考えるのは落ち着いている時間しよう、そう思うクリスであった。


 ズン!! と大剣を地面に突き立てるクリスティン。


「……?」


 盾越しにそれを見ているキャムデンが怪訝そうな表情を浮かべる。

 だが獣人戦士はすぐにその事を考えることを止めた。

 相手がどうであろうが関係ない。

 愚直に確実に今の戦い方を貫く。


 盾を構え相手に向けて突進する。

 鈍重だと思われているキャムデンであるが、この『一歩目』……突進の出に関しては恐ろしく速い。

 更には盾に遮られキャムデンの様子が見えていない対敵からは不意打ちに近い状態になりさらに反応は難しくなる。


 ……ドガッッッッ!!!!!!


 真正面からの盾打ちがクリスティンに炸裂する。


 吹き飛んだ彼女は芝生の上にうつ伏せに投げ出された。

 ……追撃はしない。

 キャムデンは倒れた相手を攻撃することはない。


「いったたたたた……はぁ……きっつい……」


 苦し気に呻きながらクリスが立ち上がる。


「でも、私もいつまでもリューあの人に頼り切りではいけないので……」


 口の端の血を手の甲で拭う。

 その手の中から何かがポロッと足元の地面に落ちた。


(……? なんだ? あれは)


 キャムデンがその地面に落ちた何かを見る。

 大人の手のひらほどの大きさの……何かの破片だろうか?

 木片のように見えるが……。


「……!!」


 クリスが落とした何かの正体を察したキャムデン。

 彼は自分が手にする盾を見る。


 盾の縁が僅かに……欠けている。

 丁度あの破片くらいの大きさに。


(あの命中の一瞬で盾を壊したのか? いや、あり得ぬ)


 木製とは言え超硬度の木材を特殊なニスでコーティングしたものだ。

 その硬度は鋼鉄にも匹敵する。

 気付かぬ内に傷付いていたのだ。

 だから盾打ちの衝撃で一部が壊れたのだ。

 ……そう、彼は自分を納得させる。


 再度盾を構えてクリスティンと対峙するキャムデン。


 戦い方を変える気はない。

 相手が倒れるまでそれを繰り返すのみ。

 愚直に、堅実に……だ。


 ────────────────────


 距離を開ければ大鎌が……詰めれば多彩な蹴り技が来る。


「くっ……!!」


 こめかみの近くを通過する踵。

 数本の赤い髪が風に舞う。

 苦し気に奥歯を嚙んだリュー。


 攻撃を見切ってはいるのだが意識に身体が付いてこない。

 結果として避けきれずに被弾する。


 負傷と疲労が徐々に蓄積していく。

 リューはノクターナによって徐々に追い詰められていた。


「これだけやっても動きが鈍ってこないのは流石だね~」


 感嘆するノクターナ。

 彼女の言葉はそのまま彼女自身にも当てはまる。

 両者に今掛かっている重量は50kg近くにもなる。


(でもまあ、そろそろ底は見えたかな)


 完全な高速型のファイターだ。

 この聖域とは相性が最悪のスタイル。

 気の毒ではあるがこれも勝負だ。


「全力の君ともやってみたかったけどね。ま、それはまたいずれ機会があればってことで!!」


 一度後方へ跳んで距離を開けたノクターナ。

 相手の速度はもうわかっている。

 動きの幅も読めた。

 この攻撃で……崩し切る!


「……待ちな、ノクターナ」

「!」


 その声にリューとノクターナ、両者が動きを止めた。

 声のした方向を見て黒髪の副隊長は眉をひそめる。


「げ。ちょっと、なんであんたがここにいるの?」

「そりゃこっちのセリフさ。いきなり聖域に巻き込んだのはそっちだろ?」


 長いブロンドを片手で搔き上げる。

 姿を見せたのは褐色の肌の軽装の女戦士。


「じゃあ、なんでダナンにあんたがいるのよ。キリエッタ」

「……………………」


 沈黙したキリエッタ。

 三者の間に無言の時間が流れる。


「……いや、それは……ほら、あれだよ……温泉とか」


 何だかもごもごと歯切れ悪く言うキリエッタ。


「温泉かあ。まあここからジェローム様に鞍替えするようなやつじゃないもんね。それじゃ完全な巻き込み事故だ。ごめんごめん、ちょっと待っててよ。これそんなに長くやるつもりないからさ」


 笑って手をヒラヒラ振るノクターナ。


「ところがね。そうもいかないのさ」


 だがキリエッタはそのまま進んでくる。

 サソリの眼光がノクターナを射抜く。


「おっと? やる気だ? それは意外。なんでかなぁ」

「この状況であんたがその人を倒して、それでノクターナはキリエッタより強かったなんて言われるのは我慢ならないからさ」


 腰の鞭を外しそれを構えてキリエッタは不敵に笑った。





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