第11話 蘇りし皇太子

 芸術家アーティストを自称する死霊術師ネクロマンサーアルゴール・シュレディンガーを加えたクリスティン一行はダナンの街へと帰還した。


 骸骨馬の馬車を降りるとアルゴールはパチンとスナップを利かせて指を鳴らす。

 すると馬車と馬は青黒い煙を上げながら地面に沈み込むようにして消えていってしまった。


「おぉ~……便利ですね」


 内心ではあの骸骨の馬をどこかへ繋いでおかなくてはならないのだろうかと戦々恐々としていたクリスはホッとしながらも感嘆の言葉を漏らした。

 そのアルゴールは腕を組んで顎の下に右拳を当て、王家の別荘を何やら無遠慮に眺めている。


「ふぅむ。金はかけているがあまり品がいいとは言えんな。芸術アートではない」

「ああ……王様の別荘が子犬とつぶあんのお饅頭に敗北しちゃった」


 もはや何の勝負なのかもよくわからないが、とりあえず芸術家のダメ出しを食らった王家の別荘である。

 野原の子犬やありふれた饅頭に喜んだりと、彼の審美眼には金がかかっているかどうかは重要視されないようだ。


 メイヤー侍従長が出てくると使用人たちにアルゴールを皇太子の客人であると紹介し、一行は建物の中へと招き入れられる。


 鷲鼻カイゼル髭の従者は目の下に隈を作ってげっそりとしていた。


「メイヤーさん、お疲れですね」

「ああ~……そりゃあもう大変だったぞ。こんなに神経を使う事もそうそうないわ」


 澱んだ目でクリスを見てから侍従長は嘆息する。


「皇太子は体調を崩して臥せっているという事にしたんだがな。そうなると今度は見舞いだ診察だとうるさくてかなわん」


 やさぐれ気味のメイヤー。


「私に芸術作品にしてほしいという死体はどこだ!? 持ってくるがいい!!」


 突如として舞台上の役者のように朗々と声を上げるアルゴール。

 その声にクリスとメイヤーの2人が飛び上がる。


「バカタレが騒ぐんじゃない!! 皇太子が死んでる事がバレるだろうが!!」

「……メイヤーさんも大声出さないで下さいね」


 頭痛を感じてこめかみを押さえながら言うクリスティン。


 ────────────────────────


 皇太子の私室に入るとメイヤーはベッドの下からシーツに包まれたジェロームの亡骸を引きずり出してきた。

 シーツの上に無数に貼り付けられている長方形の紙片……その紙片にはクリスティンには馴染みのない文字や記号が記されている。


「これはなんです?」

「それは貼り付けたものの状態を維持する為の術が込められている符だ。腐臭でも出てきたら誤魔化すのが益々難しくなるからな」


 メイヤーの説明の通りにシーツの中から出てきたジェロームの亡骸はあの殺害の夜と些かも変わりがないように見えた。


「………………………………」


 自らが殺めた相手とはいえいざこうして死骸と対面すると居た堪れない心地になるクリスティン。

 彼女は無言で跪いて女神への祈りの姿勢を取る。


「あまり考え込むな。どうせお前がやらんでもコイツはロクな死に方はしなかっただろう」


 慰めてくれようとしているのか、それとも単なる罵倒か。

 あるいはその両方か。

 どれもありそうなのがメイヤーである。


「よしよしよしよし……いいぞ。インスピレーションが沸いてきた。傑作の予感がするな」


 そんな2人の様子を気にも留めずに死体の状態を確認していたアルゴールは何やら昂ぶっている様子。

 彼は懐から小さな小瓶を取り出すとコルク栓を抜いて口を床へと向ける。

 中からサラサラと青黒い砂のようなものが零れ落ちていく。

 白衣の死霊術師はその零れ落ちる砂で皇太子の亡骸を中心として床に魔法陣を描き始めた。

 指先ほどの小さな小瓶なのに砂はどれほど出しても尽きる様子はない。


 魔法陣を描き終わるとアルゴールは自らの鼻先に右手を上げた。

 人差し指と中指を立てる。

 事情を知らないものが見ればそれは祈りの所作にも見える。

 そして彼は魔術の行使の為の詠唱に入った。

 言語は古代の魔術語でありクリスたちにはその言葉の意味はわからない。


 晴れ渡った空に一瞬にして黒雲が満ちて雷鳴が鳴り響いた。

 風も無いのに室内の物がガタガタと揺れ始める。


 初めて見る大魔術の行使の瞬間に、圧倒されたクリスとメイヤーは無言で目の前の光景に見入っている。


 ……どこかに雷が落ちた。


 夜のように暗かった室内が眩く照らし出されると次の瞬間にドーンという爆発音にも似た音が外から響いてくる。


 そして、彼は……ゆっくりと起き上がった。


「うわっ……わわわ……」


 思わず顎を反らせ気味に後ずさるクリスティン。

 その彼女の眼前でゆらりと立ち上がって周囲を見回すような仕草をするジェローム。


 目が合って思わずクリスは反射的に身構えた。


「今は生前の筋肉の動作の記憶による反射だけで動いている。霊界とのチャンネルを開き霊魂を宿らせる事でこの芸術品アートは完成となるのだ」


 厳かに言いながらアルゴールが立ち上がったジェロームの後頭部に触れると皇太子がビクンと大きく震えた。


「……お前の名は?」


 術者の問いに蘇った皇太子はゆっくりと口を開く。


「マリアンヌ・プワゾン……38歳、2児の母!」

「おい、関係ないオバちゃん入ったぞ」


 メイヤーが顔を顰めた。

 確かに皇太子の口から漏れ出したのは低めの女性の声である。


「……歌います!!」

「歌わんでいい!! なんだこのオバちゃんどういう状況で死んだんだ!!?」


 民謡のようなものを本当に歌い始めてしまった皇太子。

 慌てる侍従長にアルゴールが再度ジェロームの後頭部に手を当てた。


 歌声が止まり再びジェロームはガクンと大きく揺れる。


「お前は何者だ?」


 再びの問いにジェロームの口元に薄く笑みが浮かぶ。


(……あ)


 クリスティンは気付いた。

 それは生前のジェロームの表情だ。


「ジェローム・バルディオン。バルディオン王国の第一王位継承者である」

「完成である。……喝采せよ、お前たち」


 とりあえずアルゴールが右手を軽く上げて賞賛を要求している。

 クリスとメイヤーの2人はパチパチとあまり熱心とは言えない拍手をした。


 ジェロームはまだ喋り続けている。


「父親はカルロ・ジラーク。母親はイネス・ダフィン」


「……え?」


 その言葉にクリスティンの動きが止まった。

 父親は……カルロ……?

 そこはフィニガン・バルディオン……国王のはずであろう。


 そのクリスの肩にポンと手が置かれた。

 メイヤーである。

 侍従長は普段あまり彼が見せる事のないどこかほろ苦いものを感じさせる微笑を浮かべている。

 この侍従長には今のジェロームの発言の意味がわかったのだ。


 そしてメイヤーはアルゴールを見る。


「……コイツはウソを付く事はあるのか?」

「いいや、ないな。本人の生前の知識に沿って真実のみを口にする。だが生前に誤りを信じていた場合は結果として口に出した事が真実ではないという事もありえるがね」


 尋ねるとアルゴールはそう返事をした。

 今度はメイヤーはジェロームの方を向く。


「カルロとは何者だ?」

「バルディオン王宮の近衛兵だ」


 澱みなくジェロームは答えた。


「……まぁ、そういう事だ」


 呆れたような口調で言うとメイヤーは皇太子の椅子に座り葉巻を咥える。

 そしてマッチで火を着けるとフーッと長く紫煙を吐いた。


「事情に通じた者であれば1度は耳にした事がある、あるいは口にした事のある噂だ。王は小柄だし言っちゃ悪いが貧相な顔立ちをしている。母親のメイドも小柄だったしな。こんなガタイのいい子供ができるはずはない。コイツは王の種じゃないんじゃないか?……とな」

「皇太子様は……王様の本当の子供じゃない……」


 クリスティンは呆然と呟いた。


「父親の事は誰に聞いた?」

「母だ」


 答えを聞いてメイヤーはフンと鼻を鳴らす。


「女狐め。初めから王の子でない事は百も承知で王の金でいい暮らしをした挙句に跡継ぎとして王宮に捻じ込んだのか」

「その、お母様は今は……?」


 クリスがメイヤーに問いかける。


「故人だ。一昨年に病気でな。暗殺ではないかとも言われている」

「爛れて毒々しい人間関係だな……芸術アートだ」


 王宮内のドロドロとした人間関係が可愛い子犬とつぶあんの饅頭と同格にされてしまった。


「なんだか……王様は哀れですね」

「因果応報という奴だ。あの王だって決して褒められた人間じゃないぞ」


 葉巻を吹かしながら不快そうなメイヤー。


「コイツを跡継ぎとして捻じ込んだ時の話は聞いてるか? 結果的にそうはならんかったが内乱一歩手前だったんだぞ。自分が愛人に産ませた子に跡を継がせたいからといって決まっていた後継者を追い出した事が原因で国が2つに割れる所だったんだ。そうなってたら民はたまったもんじゃないだろ」


 メイヤーが滅茶苦茶毒を吐いている。

 この男、自分のことはひたすら棚に上げておいて権力者や富豪にとにかく辛辣だ。


 何ともいえない湿った空気が場に満ちたその時、部屋のドアがガチャッと開いた。

 入ってきたのはリューだ。

 器を乗せたトレイを手にしている。


「これを食べてもらおう。俺が作った」


 突然そう言って赤い髪の男がアルゴールの前に出したものは……。


 当然ラーメン。

 丼からは湯気が立ち上っている。

 戻ってから姿が見えないと思えば厨房でずっとこれを作っていたらしい。


「おい、なんだ美味そうじゃないか。私の分はないのか?」


 丼は1つだけだ。

 メイヤーは不満そうである。


 綺麗だ、と……。

 そのラーメンを見てクリスティンは思った。

 シンプルな醤油ラーメン。

 具材はメンマと煮卵と焼き海苔とチャーシュー、そして刻みネギ。

 それが整然と配列されている。

 非常にオーソドックスなスタイルのラーメンだ。

 だからこそ、クリスはそこにリューのこだわりを感じ取っていた。

 ……誰もが思い浮かべるラーメン。

 それこそが彼の作りたいもの……目指しているものなのだろう。


 突然出されたラーメンに何故だと疑問を挟む事もなく、箸を手に取るアルゴール。


「いただこう」


 器用に箸を使ってラーメンを食べているアルゴール。

 ぎこちなさはない。実に様になっている。

 ラーメンも箸を使う風習もまだこの国に入ってきて10年かそこらのはずなのだが、どこでこの男はこの食事スタイルをものにしたのであろうか? とクリスは不思議に思った。


 一切言葉を発する事もなくアルゴールはスープまで全て飲み干す。


「ごちそうさまである」


 丼を置いた白衣装の男。

 その表情からは満足も不満も読み取れなかったが……。


芸術アートだ」


 しっかりと彼はそう言った。

 丼を下げるリューはいつものムスッとしたように見える無表情であったが、それでもクリスティンは彼がどこか嬉しそうにしているように感じた。

 このアルゴール・シュレディンガーの持つ独特の感性に何かを感じ取ったリューは、彼に自分のラーメンがどう判定されるのかを確かめたかったのだろう。


 それはそれとして、リューのラーメンが子犬やつぶあん饅頭や王宮内のドロドロ人間関係と同格扱いされる事には微妙な気もする彼女であった。


 ────────────────────────


 唐突なお食事タイム(アルゴールのみ)が差し込まれたが改めてクリスたちはこれからの事を相談する。


「この作品にはお前たちの命令のみを聞くように設定しておこう。何かあれば呼ぶがよい」


 そう言い残してアルゴールは出かけていってしまった。

 街を散策するのだそうだ。

 気に入った何かをゾンビにして連れて帰ってきたりしないだろうかとクリスはやや不安であった。


「……なんかコイツ顔色悪くないか?」


 ジェロームゾンビをジロジロと眺めているメイヤー。


「それはまあ……動いてますけど死者ですからね」


 逆に血色良かったら問題ではないかとクリスティンは思う。


「まあいい。とりあえずは私の知恵のお陰で当面の危機は脱したわけであるが」

「なんか都合のいい事言ってる……」


 じっとりとした視線をメイヤーに向けるクリスティン。


「さし当たって次の問題はコイツのコレだ」


 小指を立てて見せる侍従長。


「女性? 恋人か何か……」

「そんな綺麗なモンじゃない。身体の関係の女が少なくとも8人いる。この辺に住まわせてる奴だけでな」


 がばっと急にクリスが立ち上がった。


「はぁ~~~~~?」


 凄い怖い顔をしているクリス。

 その迫力にびびったメイヤーが座ったまま椅子ごと後退した。


「なんなんですかそれはもお~~~!! 私生活がだらしなさ過ぎですよ!!!」


 お怒りモードのクリスティン。

 頭から湯気を噴きそうな勢いだ。


「それを私に言ったってどうにもならん!! でもごめんなさい!!!」


 怒髪天を突いているクリスに迫力負けして謝罪に追い込まれたメイヤー。


「別れさせればいいだろう」

「お前なぁ。そう簡単にいくなら誰も苦労はせんわ。男と女の……特に別れ際はちょっと間違っただけでもそりゃあもう悲惨な事になるんだぞ」


 何でもない事のように言うリューに、妙に実感の篭っている発言をするメイヤーだ。


「……じゃあ、どうするんです?」

「前と同じように付き纏われて皇太子がおかしい事に気付かれたらまずい。かといって切ろうにも一度に8人の愛人全員を切るというのもおかしな話だ。うぅむ、どうしたもんか」


 うーん、とクリスとメイヤーが2人で悩んでいると……。


「別に完全に縁を切らなくてもいいだろう。俺たちが色々と片付ける間……せいぜい数か月間女たちが皇太子に近寄れなければそれでいい」


 リューが口を開き、2人は彼の顔を見るのだった。


 ……そして数日後。


 ダナンの街を数台の馬車が連れ立って出立していく。

 それを見送るジェロームとその傍らに控えるメイヤー。


 馬車に乗っているのはジェローム皇太子の愛人たちである。

 これから彼女は国外のあるリゾート地に向かう予定だ。


 その様子を少し離れた場所からクリスティンとリューの2人も眺めている。


「上手くいきそうでよかったですね」

「ああ」


 クリスが隣のリューを見て言う。

 この計画の発案者は短く返答して肯いた。


 リューの考えた案とは……。

 皇太子は当分多忙になる。

 会えない間退屈させるのは心苦しいのでリゾートを手配した。

 こちらの手が空くまでそこで羽を伸ばしてきてほしいと、そう本人の口から愛人たちに台本通りに説明させたのである。

 勿論諸経費は全てこちら持ちだ。


 幸いにして全員が素直に旅行に賛成してくれたので今日の日を無事迎えられることになった。


「皇太子は自分の思い通りに事が進まんと不機嫌になるからな。そうなるとお気に入りの相手だろうが途端に冷淡になる。そのあたりを女どもはよくわかっておる。イヤだとは言ってこないだろう。いい案だぞ」


 去り行く馬車を見送るメイヤーはそう呟いて邪悪に笑うのであった。


 ────────────────────────


 バルディオン王都クレベル。

 その中心部に都でも最大の病院施設がある。

 ここで今ある女性が療養中だ。


 そして今、その彼女の病室の戸をノックする者がいた。


「よぉ~う、元気してっかい?」


 入ってきたのはこげ茶の髪の男だ。

 黙っていれば二枚目なのにいつもにやけてヘラヘラしているので二枚目半……そんな顔付の男だ。

 聖堂騎士団第5大隊長、名はスレイダー・マクシミリオン。

 ヒラヒラ手を振りながら入ってきたスレイダーは果物の入ったバスケットを持っている。


「元気なわけないだろうが、おバカ」


 ベッドの上で本を読んでいた褐色にブロンドの妖艶な美女がジロリと来客を睨みつけた。

 先日クリストファー・緑に敗れてここに運び込まれたキリエッタ・ナウシズである。


 ベッドの脇まで来たスレイダーは了承も得ずに椅子を引いてそこにドスンと腰を下ろす。

 かと思えば自分で持ってきたバスケットからリンゴを取り出して齧り付いた。


「……でよぉ、お前聖遺物ガントレット返したって話は本当なのかよ?」

「ああ。本当だよ」


 聖遺物を返却した……つまり聖堂騎士団を退団したという事だ。

 それをあっさり認めるキリエッタ。


「かぁ~……マジかよ~……。お前は貴重なオレの目の保養だったのになぁ」

「はん、そいつぁ悪かったね。これからは他を当たりな」


 鼻を鳴らしたキリエッタ。

 スレイダーがそんな彼女をまじまじと見詰める。


「やられて凹むようなタマでもないだろ?」

「まさか。……むしろその逆さ。今は強くなりたくてしょうがないね」


 キリエッタは布団の上に置いた拳にぎゅっと力を入れる。


「鍛錬を欠かしたことはなかったけどね。それでも、厚遇で聖堂騎士団に迎えられて聖遺物なんてものを貰って聖域使いになった時に心のどこかでこれで自分はんだ、ゴールに着いたんだと……そう思っちまってたんだろうねえ」


 褐色の肌の女が自嘲気味に苦笑する。


「その挙句がこれさ……ザマぁないね。一から出直しだよ」


 そう言ってキリエッタはスレイダーを見るとニヤッと歯を見せて笑った。


「アンタにゃあわかんないか」

「ああ。わからねーな。そんななんぞオレにゃとんとご縁がねえ」


 肩をすくめたスレイダー。

 そして彼は口の端を上げて少しだけ笑った。


「なんせオレは聖遺物に選ばれなかった男。……聖域なんてもんは扱った事がないんでね」


 立ち上がった第5大隊長。


「ジェローム様んとこに駆け込む気ならやめとけよ。お前と殺し合いになったらオレのハートが傷付くからよ」

「アンタねえ。アタシだってそこまで節操なしじゃないよ。……大体がアタシが向こうにいったって信用されるはずないだろ」


 キリエッタの返事にははっと笑い声を上げてスレイダーは病室を出ていった。


 扉の閉まる音を聞いてからキリエッタは何となく自分を倒した赤い髪の男の事を思い出していた。


(まあ、けど……全部が終わってからなら会いにいったって構いやしないよね? アタシたちは正々堂々とやりあって決着を付けたんだ。お互い相手になんの引け目を感じる必要もない。……うん、そうだよ。何にもおかしいことはないね)


 ベッドの上で何やらそわそわしているキリエッタであった。


 ────────────────────────


 病室を出たスレイダーを待っていたのは彼より頭1つ分背が高い大男であった。

 上背だけでなく横幅もある。


「美人の顔見て気分よくなってるとこに出っ張ったハラを見せ付けるんじゃねえよ」

「いや、それがな。最近またダイエットに失敗してよ。うははは」


 上を向いて笑った巨漢はブランドン・テイラー。

 第5大隊の副隊長にしてスレイダーの幼馴染でもある。

 悪ガキ時代からの腐れ縁の2人であった。


「んで、キリエッタさんは本当に辞めちまうのか?」


 病院からの帰路、ブランドンはいつの間に買っていたのかパンを齧りながらそう聞いてきた。


「あー、本当だったよ。団全体が益々むさ苦しくなるぜ」

「そうかぁ。残念だなあ。別の大隊だろうが華やかでよかったのにな」


 そして何となく2人は無言になった。


「……なぁ、思うんだがよ」


 やがてポツリと口を開いたブランドン。


「お前別に王妃様にぺこぺこしなくていいんじゃないか? そういうの向いてないの自分でもわかってんだろ」

「そういうわけにもいかねえよ」


 ハッと鼻で息を吐いたスレイダー。


「隊長のオレが干されりゃお前らだって冷や飯食わされる事になるんだ。オレだけならどうでもいいが、オレに付いてきた奴にしんどい思いさせるわけにはいかねえ」

「おーおー、ご立派になっちゃってまあ」


 ニヤニヤ笑ってブランドンはパンの残りを口に放り込んだ。


「……それにだ。王妃派こっちも居心地がいいとは言えたもんじゃないが、オレはジェローム様とはどうにも気が合わん。どっちかってんならまだこっちの方がマシってもんだ」

「確かにあの王子サマはお前とは合わないタイプかもな」


 察した顔のブランドンである。


 スレイダーはキリエッタを見舞う前に密会した相手の事を思い出していた。

 占星術師アストロジャー、そう呼ばれている正体不明のローブの女。


「もう放っておいていいんじゃないのか? 連中が皇太子様んとこに転がりこんだんなら、もう情報は全部あっちに渡ってるだろ。今更仕掛ける意味がねえ」


「……心にもない事を言うのはやめろ。スレイダー大隊長」


 相変わらずの男か女かもわからない低い声で無感情に言うローブの女。


「キリエッタ大隊長は王妃派が鳴り物入りで聖堂騎士団に迎えた人物。それが敗れて退団という事になった。そしてその相手は皇太子派が抱え込んでいる。この事実が今後の派閥のパワーバランスにどう影響するか……わからぬお前ではあるまい」

「…………………………」


 スレイダーは占星術師と視線を合わせようとはせず、つまらなそうな顔をしている。


「王妃様の命令だ、スレイダー。クリストファー・緑は確実に始末しろ」


「…………………………」

「おい? スレイダー?」


 ブランドンの声で我に返ったスレイダー。


「ま、しゃーねえか。しがらみ背負って生きてこうって決めたのはオレだ」

「ん? どうした?」


 不思議そうな顔をしているブランドンにスレイダーは野性味のある眼光を向ける。


「お、昔の表情かおだな」

「ブラン、少人数見繕ってくれや。ダナンへお出かけだぜ」


 ギラリと光る犬歯を見せて笑うスレイダーだった。










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