第9話 王族殺し

 雷光が白く照らし出す。

 芝生にうつ伏せで投げ出されている男の姿を。

 ……雨に打たれてずぶ濡れの若い男。

 顔は横を向いている。

 開いた目の、その瞳にはもう何も映っていない。

 半開きの口に既に呼気はない。


 土砂降りの雨の夜のことであった。

 陽が落ちてから降り出した雨はたちどころに数m先の景色もわからぬほどの強雨になり数時間それは続いた。

 その雨の中で、豪邸の芝生の庭で……。

 体格の良い若い男が倒れている。


 そしてそのもう二度と動き出すことのない男の傍らに立つ長身の女性。

 クリスティン・イクサ・マギウス。

 彼女もやはりずぶ濡れである。

 その瞳は虚ろで呆然として立ち竦んでいる。

 銀髪のシスター……その明日みらいは目の前の光景の如く激しい雨に遮られて見えそうにない。


「なななな……何故だ、何故殺した……」


 倒れた男の傍らで両膝を突いて愕然としている髭の男。

 侍従長ヴァイスハウプト・メイヤー。

 彼は両眼が零れ落ちてしまいそうなほど見開いて、また顎が外れそうなほど口を大きく開けて固まってしまっている。

 驚愕と絶望、という名の絵画にそのままできそうな面相であった。


 それきり息をしている2人は硬直してしまう。

 激しい雨と風だけが流れる時間を表している。


 濡れた芝生の鳴る音がする。

 そこに1人の男が近付いてきた。

 赤い髪の小柄な男だ。


「そうか……」


 クリストファー・リューは静かに言う。


「皇太子も殺したか」


 ────────────────────


 バルディオン王国領ダナンは国内でも有数の観光地であり温泉の名所だ。

 貴族や富豪の別荘が多く立ち並ぶその町並みは格調高く美しい。


 そしてその高級別荘地帯でも一際豪奢で大きなまるで小宮殿のような邸宅に今クリスティンとリューは招かれていた。


「よく来た。長旅ご苦労だったな」


 長椅子に優雅に座って2人を出迎えた若い男。

 現在この国の第一王位継承者であるジェローム・バルディオン皇太子。

 体格がよく背が高く顔立ちが整っていると外見に関しては文句の付けようのない男である。

 クリスティンとしても自分より身長の高い男性に接したのは久しぶりのことであった。


「は、はい。この度は皇太子殿下のご厚情を賜りまして……」


 恐縮しきってカチンコチンのクリスティン。

 ぎくしゃくとした動きで彼女は頭を下げる。


「はははは、そう畏まるな。ここは堅苦しい場ではないのだ」


 鷹揚に手を振るジェローム。

 その斜め後ろで畏まっているメイヤー。

 ……その佇まいはいかにも優秀な侍従であるといった風であり、とても皇太子の金だからと言って先日まで船旅で豪遊していた男とは思えない。


「まずは食事でもしながら話をしようか」

「歓待を受けるような立場ではないし今はそういう状況でもない」


 無感情な声でリューがジェロームの申し出を拒否する。

 皇太子は白けた表情を見せ、その背後のメイヤーは「おいおい、もうちょっと上手くやれ」とでも言うように露骨に表情を歪めていた。


「ビジネスライクだな。まあいいだろう。ではお前たちの話を聞くとしようか。知っていることは全て話してもらおう」


 打ち解けた感じから一転して表情を引き締めると座ったまま皇太子は身を乗り出す。


「え、ええとですね……そもそもあの日の夜に何があったかなんですけど……」


 おずおずとクリスティンが語り出した。


 ────────────────────


 クリスティンは自身の知っていることを全て話した。


 パウル司祭が聖堂で何者かと密会していた事。

 その相手に毒薬らしきものを渡していた事。

 密会を目撃していたことがばれて命を狙われた事。

 そして司祭たちを居合わせたリューと一緒に返り討ちにして今まで逃げていた事をだ。


 長い話を終えて大きく息を吐いたクリスティン。

 皇太子はその形の良い顎に指を添えて何事か思案顔である。


「ふーむ、毒殺とはな。黴が生えて、尚且つ程度の低い手を打とうとするものだ」

「それだけあちらが追い込まれているという事でございましょう」


 相槌を打つ侍従長。


「話はわかった。色々と大変だったようだが私の下にいれば心配はいらない。聖堂騎士もここまでは来れんだろうさ」


 そう言うとジェロームはサイドテーブルの上の小さなベルを持ち上げた。

 ベルはちりんちりんと涼やかな音色を立てる。

 そしてその音を聞いてすぐにメイドがやってきた。


「この者たちに部屋を用意してやってくれ」


 皇太子の指示にメイドがかしこまりました、と頭を下げた。


 ────────────────────


 皇太子がクリスティンに用意した部屋は豪勢な客間であった。

 特別扱いされている、というわけではなくこの邸宅にはそういう部屋しかないのだ。


(うう、落ち着かないなぁ)


 広い部屋の真ん中に置いた椅子に大きな身体を縮めてちょこんと座ったクリスは所在なさげである。

 窓から湿った風が吹き込んできたかと思うと夕闇の空が白く光った。


「あららら……」


 強めに降り出した雨に慌てて窓を閉めるクリス。

 スコールはこの地方では別段珍しいものではない。


 強めの雨が窓をびりびりと鳴らし始めるのと同時に部屋の戸がノックされる。


「殿下がお呼びでございます」

「? ……は、はい」


 顔を見せたメイドがそう言って頭を下げた。


(さっきの今で何だろ?)


 彼女に先導されてクリスティンが再び皇太子ジェロームの部屋へ戻る。


 部屋へと案内するとメイドは無言で一礼して退出していく。

 メイヤー侍従長もいないようだ。

 大きな部屋にはジェロームとクリスティンの2人だけであった。


「ご苦労。込み入った話をしたくてな。お前にというか、主にお前の連れになのだが……さっきの様子を見る限りは直接話すよりもお前を間に挟んだ方がよさそうだと判断した」

「は、はい。何事でございましょうか……皇太子殿下」


 先ほど話をした時同様にクリスティンを特に座らせもせずに大きな椅子に腰掛けたジェロームは悠然と足を組んでいる。


「私がお前たちを保護してやるという話だが、当然お前たちも何もせず我が下でぬくぬくしようというわけではあるまい?」

「それはもう、私に何かできる事がございましたら……」


 慌ててぺこぺこと頭を下げるクリス。

 その返事にジェロームは満足げにうなずいた。


「そうだ。お前たちも私の信頼できる仲間だという事を証明してもらわねばな」


 そう言うと皇太子は細めた瞳を鋭く輝かせた。

 口元の薄い笑みも、その目の光も……。

 どこか見るものを委縮させ寒気を感じさせる類のもの。

 この皇太子が公の場では決して見せることのない表情であった。


「聞けばお前の相棒、腕利きの暗殺者だというではないか。そんな奴に打ってつけの仕事を任せたい」

「…………………」


 この時点でクリスティンの胸中には暗雲が広がり始めていた。

 奇しくも今の現実の空のように。

 リューはもう暗殺者などではない。

 ラーメン屋なのだ。

 あんなに一生懸命ラーメンの事を考えてラーメンと向き合っているラーメン屋なのだ。


「ここから西に数時間馬を走らせた所にモルドアンという小さな町があってな。その町に学校が1つある。ヨアキム学園という学校だ。全校生徒が20人いるかいないかという小さな学校でな。町には他に学校はないので間違いようはない」

「……?」


 首をかしげるクリス。

 そんな彼女の訝しむような表情には気付かず、あるいは意に介することもなく皇太子は淀みなく言葉を紡ぎ続けている。


「恥ずかしながら私の母校でもある。……だがな、私はこれからこの国の王になる人間だ。そんな私の経歴にそんな片田舎のボロ学校の名など記せないだろう? なかった事にしたいのだよ。そんな学校はこの国には存在していなかったのだ、そうでなければならないのだ」


 それは心底にその対象を見下している口調であった。

 この男は母校や旧友たちを本気で忌んでいる。


 クリスティンは……固まっていた。

 身体もそうであるが、思考が停止してしまっている。

 ……この人は何を言っているのだろうか?

 言葉はもちろん聞こえてはいるのだが、その意味がまったく脳に入ってこないのだ。


「あの男に……。本来なら通っている生徒ごと消してほしいが流石にそれは難しいだろう。教職員は全員で5人だ。彼らを皆殺しにして建物に火を掛けてくれればいい。古い木造の建物だ。よく燃えるだろう」

「…………………」


 呼吸もできずにいるクリスに顎を反らせてジェロームが足を組む。

 どうだ、良い考えだろうと言わんばかりの楽しげで自慢げな表情で。


「戦いなどまったくの門外漢の年寄りばかりだ。造作もあるまい。その仕事をこなせばお前たちの事を身内だと認めよう」


「……できません」


 掠れた声で、しかしはっきりとクリスティンが口にする。

 ジェロームの顔から薄笑みが消える。


「……今何と言った?」

「できませんと言ったんです! 殿下! あなたはご自分が何をおっしゃっているかわかってらっしゃるんですか!? そんな……そんな理由で先生を殺して学校を焼けだなんて……絶対に許されません!」


 叫ぶクリスティン。

 その怒声に雷鳴が重なる。


「それに……それにリューはもう殺し屋なんかじゃありません!! ラーメン屋さんなんです!! あの人はもう誰かを殺す仕事なんて引き受けません!!!」


 不思議なものを見る目でそのクリスをしばらく眺めていた皇太子であったが、やがて大きなため息をつくと立ち上がった。


「やれやれだな。ここまで頭が悪いか。王族に歯向かう事がどれほど罪深いのか……そんな事すらわからん女だとはな」


 壁に飾るように立て掛けてあった豪華な造りの鞘から長剣を抜くジェローム。


「……ッ!」


 青ざめたクリスティンが身構える。


「同期の卒業生は全員探し出してメイヤーに殺させた。後は教師と学校だけだというのに……愚かな奴だ。高貴な身分の者に歯向かう奴に生きる資格などないぞ」

「おやめください!! 殿下!!!」


 鋭く踏み込んでジェロームが長剣を振るう。

 それは決して素人のものではなくちゃんとした戦闘の訓練を積んだ者の動きであった。


 クリスティンは当然武装などしていない。

 瞬く間に無数に切り付けられて彼女の全身各所に血が滲みだす。


「許しがたき無礼者よ。ただでは殺さんぞ。せいぜい傷付きながら己の愚かしさを悔いろ。私を不愉快な気分にさせるなど、それだけで万死に値する」


 突きを放つジェローム。

 クリスはその鋭い切っ先を紙一重でかわす。


「やめてください!!!」


 振り払うように大きく右手を振るった。

 その手の甲がちょうど突きを回避された皇太子の頬にカウンター気味に当たった。


「…………ぉペっ?…………」


 呼気とも声ともわからない音を発して皇太子の首はおかしな方向に折れ曲がった。

 それだけではない。

 その打撃の勢いで吹き飛んだ彼はバルコニーから庭へと飛んでいく。


「ああああああああ!!??」


 素っ頓狂な悲鳴を上げたクリスティンも慌ててバルコニーから庭に飛び出した。


 芝生の上にうつ伏せに倒れているジェローム。


 屈みこんでその様子を確かめるクリスティン。


「殿下!! 殿下!!!」


 だがその動作に入る前からもう彼女には結果は予測できていた。

 首が折れている彼は既に絶命している。


 立ち上がって呆然とよろめく足取りで後ずさりするクリス。


「お、おい……どうした!! 何があった!?」


 雨の中に慌てた様子で飛び出してきた侍従長メイヤー。


 彼はすぐに倒れ伏した皇太子に駆け寄るとその息がもうない事を確認する。


「……し、し、し……死んでる……」


 支えを失ったかのように両膝を突いたメイヤー。


「なななな……何故だ、何故殺した……」


 絶望に目を見開いてずぶ濡れのメイヤーが喘ぐように言った。


 芝生を踏んで近付いてくる人影がある。

 赤い髪の小柄な男が2人に歩み寄る。


「そうか……」


 クリストファー・リューは静かに言う。


「皇太子も殺したか」


 ────────────────────


! って!!」


 絶望的な表情で抗議の声を上げるクリスティンにいつもの様子の落ち着いているリュー。


「司祭に続いて2人目だろう」

「そうなんですけど! それはそうなんですけど!!」


 リューはしゃがみ込んで皇太子の状態を確認する。


「一撃で頸椎を粉砕か。中々の手際だ」

「褒めないでっ!! そんなの褒められても嬉しくないです!!」


 ヤケクソ気味に怒鳴るクリス。

 そこで我に返ったメイヤーが立ち上がった。


「オイお前えぇぇ~~~~~!!」


 憤怒の形相でクリスに詰め寄ってくるメイヤー。


「何を考えとるんだお前はぁ!! 何でコイツを殺す!? 一撃で頸椎粉砕する!?」

「違います私が殺されかけたんです!! それで必死に振り払ったら一撃で頸椎粉砕しちゃったんです!!」


 抗弁するもメイヤーの勢いは収まらない。

 従者の自慢のカイゼル髭も雨に濡れて力なく垂れ下がってしまっている。


「ウソこけバカタレ!! そんな虫のいい話があるか!! 女が振り払っただけで頸椎粉砕しちゃう男がどこいる!!!」

「それよりメイヤーさん!! あなた皇太子様の同期生を殺したって本当なんですか!?」


 その反撃にメイヤーは「うぐっ」と言葉に詰まった。


「やったんですね!? やっぱり!!!」

「い、いいや待て!! 私はやってはおらん!!!」


 攻守が逆転した。

 今度はクリスティンがメイヤーに詰め寄る。


「嘘言わないでください!! この人があなたにやらせたって言ってました!!」


 倒れている皇太子の亡骸を指して言うクリス。


「私はやってない!! やってはおらんのだ!! ……まあ待てその話は後だ!! まずそいつを部屋へ運び込め!! 誰かに見られたら終わりだぞ!!!」


 そう言ってメイヤーはジェロームに駆け寄ると足を持ち上げる。


「いえ、わかりました。私だけでいいです」


 クリスティンはジェロームの腰のベルトを掴むと片手で2つ折り状態に軽々と持ち上げてしまった。

 首の後ろを摘ままれた猫のように皇太子がダランと手足を揺らしてぶら下がる。


「……なんちゅうバカ力だ」


 軽々と皇太子の亡骸を持って部屋に戻るクリスの後ろ姿に呆然とメイヤーが呟いた。


 ────────────────────


 幸いにして一連の騒ぎは豪雨と雷鳴によりメイヤーとリュー以外に気付くものはいなかった。

 今のところ異変を感じて様子を見に来るものは誰もいない。


 カーペットの床に横たわらせたジェロームを囲んでいる3人。


「まずはさっきの同期生の話だがな……」


 2人にもタオルを投げながら濡れた頭をタオルで拭いているメイヤー。


「確かにコイツは私にそう命令した。だが私はやってない。何故かって? そりゃ簡単だ。私は殺しはやらん」


 下らん、とでもいうようにフンと鼻を鳴らした侍従長。

 先ほどまでジェロームが座っていた豪華な椅子にメイヤーは乱暴に腰を下ろした。


「私はな……金が大好きだ。金の為なら平気で他人を騙す事もできる。だが誓って金の為に殺しをやる事だけはない!」

「でも、この人が……」


 クリスが足元の亡骸に視線を移す。


「それはな、簡単な話だ。私は引き受けるだけ引き受けて、対象者には全員金を握らせて町から追い払ったのだよ。さる筋の人間がお前の命を狙っている。ほとぼりが冷めるまでなるべく遠くへ逃げていろと言ってな」


 葉巻を咥えるメイヤー。

 だが雨で湿気ってしまったかマッチを擦っても火が着かない。

 彼は舌打ちすると苛立たし気にそれを吐き捨てた。


「私の身分は本物の王家の侍従長だ。信じ込ませるのは容易だった。そうしてから皇太子には殺しましたと報告したのだ。コイツはどうせ裏を取ったりしない事はわかっていたからな」


 メイヤーは大きく両手を開いて肩をすくめる。


「大体なぁ、いくら廃校すれすれのボロ学校とはいえ皇太子の同期生は11人もいるんだぞ! 11人だ!! やってられるかアホらしい!!」

「……なるほどな」


 返事を返したのはリューだった。

 実にこの男らしいやり口というか処世術だと言えるだろう。

 小悪党ではあるが彼は彼なりに越えてはいけない一線というものを自分の中に持っているという話である。


「だからなぁ……コイツの言う事なんてそうやって上手くやり過ごせばよかったんだよ。どうせあれだろ? 忠誠の証に誰かを殺ってこいだのなんだのと言われてお前キレたんだろ?」

「ええ……まぁ……軽くキレまして……」


 肩を落としてしょんぼりしているクリスティン。

 司祭の時もそうだったが殺されかけたからといって相手を殺めたことを仕方のないことだとはわりきれないのが彼女だ。


「で、どうする? このままではお前も破滅だろう。何か知恵を絞れ」


 リューの言葉にメイヤーが苦虫を嚙み潰したような顔になった。

 皇太子派には皇太子に代われるようなリーダー格の者がいない事は周知の事実。

 つまり皇太子の死亡はそのまま派閥の権力争いの敗北を意味する。


「ああそうだ。お前らはめでたく王国始まって以来の大罪人。そして王妃派が勝利して今まで皇太子派として散々連中にあれこれやってきた私は消されるだろう」


『王族殺し』……重たくその称号が伸し掛かってきて虚ろな瞳になるクリスティン。


 そこにコンコンとノックの音がしてメイヤーとクリスの2人が飛び上がった。

 ギョッとした視線を部屋の扉に送る2人。


「殿下? 先ほど何やら大きな音が……」


 メイドの声が聞こえる。

 メイヤーは2人に対して声を出すなというように口の前に人差し指を立てると懐から術に使う紙人形を取り出した。


 印を結び何事か唱えると紙人形は巨大化して等身大の皇太子の姿になる。


 床の上の本物の皇太子の死体に壁に掛けられていた飾り布をかぶせて見えなくしてからメイヤーは部屋の戸を開けた。


「あ、侍従長メイヤー様」

「風で室内の物が床に落ちたのだ。もう片付けたので問題はない。下がりなさい」


 メイヤーがそう言うと紙人形のジェロームが片手を軽く上げる。

 ここはもういい、と言うような仕草だ。


 だが、すぐ近くのクリスたちからは見えている。

 紙人形は完全な平面であり、横から見れば1本の線だ。

 等身大の立て看板のようなものである。

 近寄られればすぐにそれがばれるだろう。


 納得した様子でメイドは下がった。

 足音が遠ざかっていくのをメイヤーが扉に耳を直に当てて確認している。


 フーッと大きく息を吐いてメイヤーが額の汗を拭っている。


「……まぁ見ての通りだ。近付けばバレるし喋らせれば私の声になってしまう。強い風が吹けば飛んでいくし濡れれば萎れてしまう。弱点は多い。紙人形これと私で数日間はごまかせるがその間にどうにかしなければならん」

「どうにかって……」


 絶望的な気分で目の前のこんもり膨らんだ布を見るクリスティン。


「とにもかくにも今の我々に必要なのは時間だ。何をしようにも時間が足りん。当分の間誰にも皇太子の死がバレるわけにはいかん」

「替え玉か」


 リューの言葉に床に視線を落として考え込んでいたメイヤーが顔を上げた。


「無理だ。見ろコイツの顔! 身体付き! そうそうおらんぞ。背格好の似ている奴という条件だけでも国中探し回って見つかるかどうか……その上この顔とあのムカつく偉そうな仕草を再現させねばらんとなるともう絶望的だ」


 無言で聞いているクリスティンだが、とりあえずメイヤーが元々ジェロームを良く思っていなかったという事だけはとてもよく理解できた。

 ……まああの本性を知った上で慕っていたらそれはそれで問題だが。


「……むっ」


 鷲鼻の男の眉がピクンと揺れた。

 モノクルの奥の目が鋭く光を放つ。


「1つ思い付いたぞ。かなりの賭けにはなるが上手く行けば相当の時間を稼げる」


 何か考えろと言っておきながらいざ彼が何かを思いついた風だとそれはそれで不安を覚える2人。

 何とはなしにクリスとリューは視線を交錯させる。


「お前たちには目一杯働いてもらうぞ。ここから上手く頭を使えばコイツの一件を揉み消すどころじゃないもっともっと我々に金が入る可能性もある! ここから一発大逆転といこうではないか……がはははははは」


 何やら邪悪に笑っているメイヤーに再度なんとも言えない顔で視線を交わらせるクリスティンとリューの2人なのであった。





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