第8話 サソリのキリエッタ

 クリスティンとリューの2人が宿泊している宿は安宿というには値が張るし高級旅館というほどのレベルでもない所謂中級の宿であった。

 ここを張り込んで2日。

 百舌と呼ばれている密偵の眼に映るかれらの生活は非常に規則正しい。

 夜はクリスが普通に眠り一晩中リューが見張りに付いている。

 日中は昼食を取った後しばらくしてからリューが眠りクリスが見張る。

 リューの睡眠時間は大体3時間で一定だ。


 今もリューは眠り、その傍らで椅子に座っているクリスティンが窓から見えていた。

 しかし、その見張りのはずのクリスの頭がゆらゆらと揺れている。


「………………………………」


 百舌は無言だ。

 覆面の密偵はただ黙って観察している。

 見張りが居眠りというこの状況でまだ仕掛けて暗殺できる気がしない。

 それほどあのクリストファーという男は手強い相手だ。


 単に戦闘力が強いという話だけではない。

 冷静さと機転……それは一体どれほどの修羅場を抜けてきて培われたものなのか。

 一族代々が王家に使えた腕利きの隠密の一族の末裔が覆面から覗く眼を細めたその時……。


「ッ!!!!!!」


 首筋に氷の刃を当てられるような悪寒が全身を走る。


 振り向いたその視線の先に赤い髪の男がいた。

 ……クリストファー・リュー


「やはりお前か」


 宿の向かいの建物の上で2人が対峙する。

 百舌の覆面の下は能面のように無表情だったが内心では歯噛みしていた。

 今自分の目の前にこの男がいるという事は自分の見ていたリューは偽者だったという事だ。

 百舌は気付けなかったが今宿の部屋で寝かされているものはリューの服を着せた丸めたシーツである。

 この密偵の監視に気付いていたリューの張った罠であった。


 逃げられない。


 百舌は自らの現状を冷静に分析していた。

 リューも逃さないとわかっている間合いに相手を捉えたからこそ殺気を開放して百舌に自分の存在を気付かせた。

 あの夜に相手の間合いを測っていたのは自分だけではなかったのだ。


 無言のまま覆面の刺客の手の中にクナイが現れた。

 どこから取り出したのかもわからない、まるで手品のように。


 フッ、と鋭く呼気を吐いて百舌が屋根の上を音も無く駆ける。

 このクナイには猛毒が塗ってある。

 掠っただけでも助からない。


 振りかざしたクナイが虚空を奔る。

 その無数の死のラインがリューの身体を捉えた。


 ……当たった。


 自分の勝ちだと。

 百舌は思った。

 思ってしまったから……自分が負けた事を悟った。


 当たったように見える位置に、自分が目視できるような位置に被弾の瞬間あの男がいるはずがないのだから。


 攻撃は全て残像を通過していく。

 空を切る虚しい手応え。


「…………ッ!!!!」


 そしてリューが放ったローキックが百舌の左足の脹脛に炸裂している。

 その一撃は攻撃者の狙いを過たず、的確に刺客の骨をへし折っていた。


 膝を屈して腰を落としている百舌にリューが背を向ける。


 戦いは終わった。目的は達した。

 百舌の足の負傷では当分の間隠密行動は不可能だ。


「殺サナイノカ」


 初めて声を出した百舌。


「その必要はない」


 振り返らずに答えたリュー。

 百舌は自分の覆面に指を掛けてそれを解いた。

 黒い長い布が風に靡いて広がる。


「残酷な奴だ。赤い髪の死神。私にも役目への誇りというものがある……きちんと殺していけ」


 覆面の下から色白の女性の顔が現れた。

 目付きの鋭い女性で。視力はあるようだが右目を通って斜めに走る傷がある。

 覆面に変声の何か仕組みがあったのか覆面時の男声とは違う声だ。


「断る。必要の無い殺しはしない。お前のプライドなど知った事ではない。死にたければ勝手に死ね」


 それだけ言い残すとリューの姿が消えた。

 屋根から飛び降りたのだ。


「おのれ。クリストファー・リュー……」


 残された百舌の苦い呟きが風に流れて消えていった。


 ────────────────────────


 ボルツの橋台と呼ばれる巨大な石造りの建造物。

 本来ならばここを始点として橋が大河に掛かる予定だったのだが……。

 もうずっと昔に建設は止まり、今では当時を偲ばせる遺物として街の景観の一部になっている。


 その橋台の根元部分に佇む1人の女性がいた。

 淡いベージュのフード付きのマントを羽織った女性だ。

 被ったフードから覗く肌の色は褐色。

 髪は明るい金色だ。


「…………!」


 女性の形の良い長い睫毛が揺れた。


「こいつは驚いた。そっちから来てくれるとはねぇ」


 紅を引かれた唇が笑みを形作る。

 笑うキリエッタ……その視線の先にはターゲットの2人。

 クリスティンとリューがいる。

 クリスは大剣を背負ってきている。

 2人は戦うつもりだということだ。


「ここで諜報員と待ち合わせの予定なんだけどね。……代わりにアンタたちが来るって事は殺ってきちまったかい?」

「殺ってきちまったんですか?」


 何故か自分の問いにクリスも重ねて赤い髪の男に問うている。

 そのリューは静かに首を横に振る。


「殺してはいない。無力化はしたがな」


 リューの答えにホッとした様子のクリスティン。


「ふぅん。手下どももそうだったけどアンタ本当に殺さないんだね。どういうつもりで宗旨替えしたんだい?」

「必要がない殺しはしない。それだけだ」


 端的に言うリューを意外そうに見るキリエッタ。


「やっぱり聞いてるのと実際に見るんじゃ色々違うもんだねえ」


 キリエッタがマントを無造作に脱ぎ捨てて足元に落とした。

 その下は鎧姿。

 聖堂騎士団の装備を彼女独自にカスタムした武装。


「お話し合いに来たってわけじゃないんだろ?」

「そうだな」


 リューが構えを取った。


 両者の間を乾いた風が吹き抜けていく。

 クリスが思わず喉を鳴らしていた。


 リューからキリエッタまではまだ20m近く。

 鞭を武器にする彼女は5m近い間合いを持つ。

 そして更に……。


 左手に作った握り拳を持ち上げる第3大隊長。

 左手に装着した手甲ガントレットが彼女の聖遺物アーティファクトだ。


「さぁて……パーティー会場へご案内しようか」


 白銀の手甲を装備した左手……その拳で自分の左脇の何も無い空間を殴るような仕草をするキリエッタ。


 バキィン!!!!!!


 拳で殴りつけた風景に放射状のヒビが入る。


「……………………」


 ……その瞬間、クリストファー・緑は飛び出していた。

 崩れ落ちる世界の中を赤い髪の男が雷光のように駆け抜ける。


「……ッ!!!!」


 鞭を振るうキリエッタ。

 油断していたわけではないが、この突進は想像していなかった。

 敵は『聖域』の事を知っている。

 ならばそれが展開されるとなれば警戒して身構えるはずだと思い込んでいた。


 だが赤い髪の男の反応はその真逆。

 これから周囲に展開される世界の驚異もまだ知らないのに迷い無く一気に距離を詰めてきた。


 毒蠍の尾スコーピオンテイルと呼ばれているキリエッタ・ナウシズの鞭の一撃。

 実際に武器に毒が塗ってあるわけではないがその威力はまるで猛毒の針を持つ蠍の尾の一撃のように相手を必殺する破壊力を秘めているのだ。


 奇襲へのカウンターであったがキリエッタの鞭は正確だった。

 向かってくるリューの頭部を狙って死を呼ぶ一打が風を切る。


 だが鞭が炸裂すると思われたその一瞬に赤い髪の男は大地を砕くほどの踏み込みで更に加速した。

 神速と見た接近もまだトップスピードではなかったのだ。


 鞭が空を切る。

 その間にもリューが肉薄する。


 しかしそこはキリエッタも歴戦の傭兵。

 もはや鞭の巻き戻しは間に合わないと悟った瞬間、彼女もまた迷い無く鞭を手放した。

 そして腰に下げている中型剣を抜き放つ。

 主力武器である鞭を失えば弱体化する……その考えが彼女に通用しない事はキリエッタを知る者なら皆理解している事である。


 ここから先は超近接戦闘。

 リューの奇襲で最大の武器を失ったキリエッタ。

 ……だが、ここから彼女の「世界」が牙を剥く。


 崩れ落ちたボルツの風景の下から現れたのはいくつもの馬の蹄の跡のある戦場へと続く街道。

 陰鬱な灰色の雲の立ち込めたどこまでも続く広い道。

 乾いた風が砂埃を巻き上げて吹き流す。


 そこが彼女の『失われしロスト・聖域サンクチュアリ』……『蛇眼スネークアイズ街道ハイウェイ

 能力は……。


「あ、あ、あ……」


 同時に聖域に取り込まれていたクリスティンが自分の両手を見て顔色を失っている。

 手に浮かんだ灰色の痣のようなものが少しずつ広がっていっている。

 それは痣ではない。

 肉体が石化しているのだ。

 この世界は内部に取り込んだものを徐々に石化させていく。


 そしてその石化の速度は術者であるキリエッタに


 無言のまま武神のように猛攻を加えるリュー。

 それをミドルソードで捌くキリエッタ。


 既にリューも自らの身に起こりつつある異変には気付いている。

 全身の違和感。

 硬質化して感覚を失っていく各部。

 気付いていて尚、彼は少しも怯まない。


(恐ろしい男だね……!!! この距離まで近付いて石化をまるで気にしてないみたいにさぁ!!!)


 頬が、腕が、足が、髪が……灰色に変じていっているのに。

 それでもまだ、リューの繰り出す攻撃の一撃一撃に必倒の威力が込められているのがキリエッタにはわかる。

 この距離まで接近した相手の全身が石化するまでにかかる時間は大体1分ほど。

 ……後1分でリューの全身は石化して勝敗は決する。


 しかし蠍の名を持つ聖堂騎士はその1分を待ってしまえば自分が敗れる事を予感していた。

 逆にその1分以内に自分の攻撃で相手を仕留めるつもりでなければこの男は倒せない。


 ギラリと眼光を輝かせキリエッタがミドルソードを振るう。


 自分の顔のすぐ脇の虚空を貫く拳打。

 その掠ってもいない一撃が頬に擦り傷を作り血が滲む。


 ありえない。

 1秒刻むごとに使えない身体の部位が増えていっているのに……!!

 既に身体の何%が石化した? 左手はもうほぼ石になっている。

 足も満足に動かせない。

 踏み込みもできていないはずなのに!


 ……それなのにこの攻撃の威力!!

 ここからでも一撃受ければ自分は負ける!!!


「……クリストファーッッ!!!!!」


 吼えるキリエッタ。

 彼女の繰り出す攻撃も全てが一流。

 鞭を愛用の武器にしている戦士とは思えないほどの威力と速度、そして鋭さのものなのに。

 なのにリューには当たらない。

 捌かれる。

 交わされる。

 もう身体が満足に動かせない男に!!


 クリストファー・緑は自分の身体の石化部位を冷静に、そして正確に把握していた。

 そして動かせなくなった部位は即座に切り捨て他の稼動部分で動きを補う。

 生きている間接だけを使用して全身に力を充填する。


 追い込まれているはずの男が……。

 今確実に蠍を追い詰めている。


(うおあぁぁぁぁッッ!!!! 何て男なんだいこいつは!!! 残り時間は後何秒……くッッ!!!)


 最後の、最後に……。


 キリエッタ・ナウシズは逃げ切る事を考えてしまった。

 その瞬間に彼女の胸部中央にリューの最後の拳が飲み込まれる。


 最後の拳打を放ち終わった瞬間、クリストファー・緑はその打撃の体勢のままで完全な石像と化した。


「が……はッ!!! あ、あぁ……」


 血を吐きながらガクガクと上体を揺らすキリエッタ。

 これに耐えれば自分の勝ちだ。

 意識を……保てれば……。


「あと、あと1秒あれば……」


(いや…………)


 そうではない、と彼女は気付いた。


(『聖域こんなモン』に頼って戦う事を覚えちまった時から、アタシはもう負けてたんだ)


 血で汚れた形の良い唇に苦笑を浮かべて蠍のキリエッタが崩れ落ちる。

 次の瞬間、世界はぐにゃりと歪んだ。


 蠍の異名を持つ女の作った世界が消えていく。


 元のボルツの橋台が現れる。


 石化が解けたリューがその場にどさっと座り込む。

 赤い髪の男は呼吸を荒げ、その頬には汗が伝っている。


「強敵だったな」


 長い息を吐いてリューがそう呟いた。


 ────────────────────────


 すぐには立ち上がれないほど消耗していたリューに肩を貸すクリス。

 口を開くのも辛いのか彼は無言でされるがままになっている。


 倒れているキリエッタはピクリとも動かない。


「見事だったぞ、お前たち」


 そこにヒラヒラと揺れながら前にも見た人型の紙片が現れた。


「まさか本当に倒してしまうとはな……殺したのか?」


 紙片から聞こえるのはあの日と同じ男の声だ。


「殺してはいない」

「そうか。……まあいい。約束だ。直接会う事にしようか」


 紙片は特にキリエッタの止めを要求はしてこなかった。


「私は港にいる。そこまで来てもらおう。ああ、まずは荷物を取ってくるがいい。話が纏まればそのまま船旅だ」


 待っているぞ、と言い残して紙片は青白い炎に包まれた。

 そして一瞬で燃え尽きると灰も残さずに消え去ってしまう。


 残された2人は無言で視線を交わらせた。


 ここから先のことはすでに打ち合わせ済みだ。

 宿もすでにチェックアウトしてある。

 荷物はこのすぐ近くに置いてあるのだ。

 それを回収し、クリスたちはそのままボルツの港にやってきた。


 背の高い痩せた男が待っている。

 鷲鼻にカイゼル髭の中年男だ。

 モノクルを掛けてタキシードを着ている。

 どこか両家の執事のような出で立ちの男である。

 腰の後ろで手を組んで胸を張った直立姿勢という立ち姿もいかにもだ。


 やってきたクリスティンとリュー。

 赤い髪の男は既に自分の足で歩く程度には復調している。

 モノクルの男は2人に鋭い視線を向けた。


「……来たか。では名乗らせてもらおう。私はヴァイスハウプト・メイヤー。さる高貴な御方にお仕えしている者だ」

「皇太子だろう。勿体ぶらなくていい」


 リューの言葉にメイヤーが一瞬鼻白む。


「フン。まあ当然そのくらいは頭が回るか。いいだろう」


 オホン、と咳ばらいをするメイヤー。


「その通りだ。私はジェローム皇太子殿下にお仕えする侍従長だ。殿下はお前たちに大変ご興味をお持ちで苦境に陥っておるのなら援助せよと私を遣わされたのだよ」


 いかにも「感謝するように」と言わんばかりの口調である。

 そんな尊大なメイヤーを見ながらクリスはリューとの打ち合わせを思い出していた。


『皇太子とその部下たちには気を許すな』


 リューはそう言っていた。


「え? お世話になるんですよね?」


 それを聞いたクリスは驚いて目を丸くしている。


「利害が一致しているので組むだけだ。仲間になるわけでも臣従するのでもない。相手は権謀術数渦巻く魔境に生きている奴だ。隙を見せれば簡単に切り捨てられるぞ」

「そ、そうなんですね……」


 思わず委縮して肩を縮こめるクリスであった。


 そんな事を思い出しているとメイヤーがモノクルの縁に指をかけて2人をジロリと見た。

 値踏みするような視線である。


「……で、そこまでわかっていてこの場に姿を見せたという事は我々と一緒に来るという事でいいんだな?」

「ああ。こちらの状況は知っての通りだ。皇太子の庇護下に入りたい」


 リューの言葉にメイヤーは満足げにニヤリと笑う。


「そうかそうか。よしよし、それでいいのだ。賢い選択をしたな」


 背後に停泊している豪華な客船を指し示すメイヤー。


「あの船に乗ってバルディオンに戻るぞ。チケットはこれだ」

「……あ、ありがとうございます」


 侍従の差し出した乗船券を礼を言って受け取るクリスティンと無言で受け取るリュー。

 桟橋を渡って乗船していく2人をメイヤーが黙って見詰めている。


(やれやれだ。テオドールのアホタレと連絡が付かなくなった時はどうしたものかと頭が痛くなったものだがスムーズに話が進んでよかったわい。それにしてもだ……)


 モノクルの奥の目がついと細められる。

 瞳に移るのは赤い髪の男の後ろ姿だ。


(クリストファー・リューか……本当にキリエッタを倒してしまえる程の実力があるとはな。なんとかして上手くこちらに取り込んでおければ王妃派に対する大きなアドバンテージになるんだがなぁ。元暗殺者というのも汚れ仕事を任せやすい実にいい経歴だ)


 色々と考えを巡らせながら自らも船に乗り込むメイヤーであった。


 ────────────────────


 錨が上がり、船は静かに川面に進みだす。

 クリスティンは船が即対岸に向かうのかと思っていたがそういうわけではないようだ。


 客船は川の流れと同じ方向へと進んでいる。

 客室の窓からそれを眺めているクリス。


「ああ。すぐには着かんぞ。川沿いのいくつかの港湾都市を巡りながら最終的にUターンして対岸へ向かう船だ」


 言いながらメイヤーはグラスにワインを注いでいる。

 ……2人の為というわけではなく、注ぎ終えたら自分で飲んでいる。


「まあお前たちも寛げ。ここの払いは皇太子殿下持ちだ。他人の金で飲み食いできる旅は楽しいぞ、がはははは」


 上機嫌にワイングラスを傾けながらメイヤーは高貴な身分の者に仕えている立場にしては非常にアレな事を言っている。


「この船もな、私が選んで手配したのだ。感謝しろよ? お前たち。私のお陰で豪華客船の船旅を満喫できるんだからな」

「いいんですかね。そんな贅沢してしまって……」


 根が小市民なクリスティンは委縮してしまってあんまり寛げていない。


「いいに決まっておるだろうが。金を持ってる奴が金を使わんでどうしろというのだ。金なんてものはな、流れる水と同じだ。一か所に留まっておると淀んで腐る。だから私がこうして適度に放流して循環させてやっておるのだよ」


 なんとも自分に都合のいい理屈である。


(俗物だな……)


 リューは早速そうメイヤーを分析する。

 だが、この男俗物なだけではない。

 ただ俗物なだけの男が皇太子の侍従長は務まらないだろう。


「あの紙人形はお前の術か」

「ああ、しきの事か。そうだあれは私の術だ。私は前は世界中を旅していてな。東方で学んだ陰陽術という術の内の1つなのだよ」


 そう言いながらメイヤーは懐から例の人型の紙片を取り出し印を結んで念を込める。

 すると紙片が生きているかのように動き出した。


「とまあこういうわけだな。戦闘に使える術ではないが色々便利で重宝している」


 メイヤー本人は口を閉ざしているのだが、紙人形から彼の声がしていた。


「そうか」


 リューは短く答えただけでその話題はそこで途切れた。


 そんな2人のやりとりはクリスの耳にはあまり入っていなかった。

 彼女は客室の窓辺に座り王国の方角を見ている。


 最もこの場所から王国のある対岸が見えるわけではない。

 それでも彼女は流れる水面から目を離さなかった。


(……やっと……王国に戻れる)


 彼女がバルディオンを飛び出してから半月ほどが経過している。

 まさに激動の半月であった。


 王国に戻れると言ってもパウル司祭殺害の犯人として聖堂騎士団に追われる身である事に変わりはない。

 自分はこれからなんとか皇太子と交渉して犯罪者としての逃亡生活からおさらばしなくてはならないのだ。

 ……それは恐らくとても困難な道だろう。


 ふと気付くと傍らにリューが立っていた。

 自分と同じく、窓の外へと視線を向けている赤い髪の男。


 その瞳は初めて会った日から変わらずに怜悧で無感情だ。

 でも今はあの頃のような怖さは彼からは感じない。

 不思議なものだとクリスティンは思う。

 裏社会の組織の暗殺者をしていた事など……むしろ怯える材料になる情報が増えたというのに。


「おい、そんな水だけの景色を眺めていてもつまらんだろう。お前らも食え食え。人の金だぞ、がははは」


 そんな2人の穏やかな雰囲気をぶちこわすメイヤーであった。



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