第5話 ロスト・サンクチュアリ

 世界が……砕け散った。

 そう表現するより他はない光景だった。

 自分たちがそれまでいた街道と周辺の景色がバラバラに砕け散ってしまった。

 降り注ぐ煌めく破片の中に草原が、緩やかに流れる大河の水面が、土埃の舞う道が映っている。


 その下から現れたのは先ほどまでとはまったく違った場所である。


「暑……」


 思わず声に出してクリスティンは顎の下に伝った汗を手の甲で拭う。


 照りつける太陽。

 彼方に揺らめく蜃気楼。

 地平線まで続く砂海。

 朽ちかけた城壁が半ば砂に埋もれており、クリスティンたちはその城壁の上にいる。

 砂漠の中の廃城のようだ。

 周囲を見回してもどこまでも砂漠でこの廃城以外の建物は見えない。


「『失われしロスト・聖域サンクチュアリ』? なんだそれは?」

「ごめんなさい。まったくわからないです」


 リューの問いに気まずそうに首を横に振るクリスティン。

 その2人の様子を砂漠から見ている聖堂騎士ベガ。

 腰に手を当て笑う偉丈夫は城壁からやや離れた場所に立っていた。


「クックック、まあ第6の平団員じゃ知らないのもしょうがねえよなぁ~」


 おどけた仕草で両掌を空に向けて肩をすくめたベガ。


「第6は新設の大隊だ。メインの任務は支援。まだ激戦区にゃ送れねえヒヨッコたちが配属される部隊だからよぉ~」

「ええっ? 結構戦闘訓練も一生懸命やってたんですけど……」


 気持ち肩を落としてしょんぼりしているクリスティン。

 そんな彼女たちにベガが手にした大戦鎚を掲げて見せる。


「『失われしロスト・聖域サンクチュアリ』ってのはなぁ~……聖堂騎士団の秘儀。聖遺物アーティファクトである武具を媒介にして生み出す亜空間結界の事よ。そしてこれがオレの聖域……『渇きの城ドライキャッスル』だ」


 ズン、と大戦鎚を杖のように砂地に立てたベガ。


「ここに取り込まれたものは急速に乾燥していくぜぇ~? オレ以外はな」

「なるほどな。それだけわかればもう十分だ」


 砂に埋もれて斜めに傾いた城壁から飛び降りるリュー。

 彼は5m前後はあろうかと言う城壁の上から砂地へ苦も無く着地する。

 そのまま砂を蹴り砂上にいるベガへと肉薄するが……。


「おおっと、そうはいかねぇなぁ~」


 気だるげに言うベガの目が鋭く細められた。

 その言葉に反応したかのように聖堂騎士の周囲の砂地がモコモコと盛り上がる。


「……っ」


 リューの周囲に無数に盛り上がった砂山。

 いずれも高さは成人男性の背丈ほどだ。

 それらは形を変えて人型になると緩慢な動作でリューへと向かっていく。


砂人スナビトだ。見ての通り動きは鈍いし攻撃力もほぼないが無尽蔵に沸いてくるぞ」


 拳で一体、蹴りでもう一体を倒したリュー。

 攻撃を受けた砂人は破裂したように砂をまき散らし、すぐに崩れて砂地に還る。

 だが、ベガの言うようにその間にも新たな砂人が何体も砂漠から沸いて出てきていた。


「そしてこいつらに触れると一層乾きが進むぜぇ~!!」


 大戦鎚を振りかざして一転攻勢に回るベガ。

 本来ならそれを至近で回避してカウンターを叩き込むのがリューの戦闘スタイルなのだが、周囲から砂人が迫りまとわりついてこようとしている現状ではそれもままならない。

 一瞬眉間に皺を刻んで赤い髪の男が大きく後方へ跳ぶ。


「ククク、どうしたぁ~? 離れてたんじゃいつまで経ってもこの乾燥地獄は終わらねえぞ?」


 バックステップで距離を取ったリューをベガが追う。


 一方でクリスの周囲にも砂人が沸いて彼女に襲い掛かっていた。

 無言で迫ってくる人型の砂の塊にげんなりした表情のクリス。


「うわぁ、もう……気持ち悪いですね!」


 斬り付けても効果が薄そうだと判断したクリスが大剣の腹で砂人たちを薙ぎ払う。

 この龍の牙の大剣は刃がとにかく大きい。

 刃渡りは1m50を超え刃の幅は30cm近くもある。

 期せずしてこういう時に相手をには最適の武器であった。


 重量のある武器である大戦鎚をまるで木刀のように軽々と振り回しているベガ。

 その卓越した戦闘技術は精鋭揃いの第3大隊でも図抜けている。

 結界がなくとも聖堂騎士ベガは恐るべき戦士なのだ。


 大男の怒涛の連撃を小柄なリューが迎え撃つ。


「適当な所で白旗上げてくれよぉ~? 殺すわけにはいかねえんでな!!」


 ……猛攻。

 一呼吸の間に無数の打撃が襲ってくる。

 だがクリストファー・緑には掠りもしていない。

 周囲の砂人に気を付けながら赤い髪の男は的確に攻撃を捌いていく。


(チッ、このチビ野郎ぉ~……戦いが上手ぇな)


 その体術の切れにはベガも内心で舌を巻いていた。

 しかしそのリューの動きも少しずつだが鈍くなっている。

 動けば動くほどに全身の水分は失われていく。

 脱水症状になるまでのリミットは後どのくらいなのか……。


「外で戦ったらお前の方が強えかもなぁ~!! だがこれも勝負だ!! 悪く思うなよ!!!」


 大戦鎚が虚空に大きくアーチを描いてリューに襲い掛かる。

 唸りを上げて迫る死を呼ぶ鉄槌の一撃。


「気にするな。……中でも勝つ」


 赤い髪の男がまた大きく飛び退った。

 ……しかし先程とは違うのは入れ替わりに前に出た者がいる。


 龍牙大剣を構えた、クリスティン・イクサ・マギウスが。


「……なぁあにぃぃ~!!?? クリスティン!!!??」


 目を見開いた聖堂騎士ベガ。


「戦闘訓練も一生懸命やってたんですよ」


 根に持っていたのかさっきの話を蒸し返したクリス。

 彼女は渾身の力でベガの前方の砂地を薙ぎ払った。

 三日月形に砂地が抉れ、大量の砂が爆発的に吹き飛ぶ。


「ぐおおおおおおッッッ!!!??? 何だぁ~ッッ!!??」


 空中に舞った大量の砂が陽光を遮り周囲が闇夜のように暗くなる。

 一瞬の間を置いて今度はその砂が土砂降りの雨のように降り注ぐ。


(来る!! この隙を突いてあのチビが来やがる!!)


 視界のまったく効かない砂の雨の中、聖堂騎士が大戦鎚を構えた。


(どこだぁ~!? 前か!? 左右か!? 後ろかぁ~!!??)


 ……ドガッッッッ!!!!!


 斜め上から飛来したリューがベガの顎を蹴り抜いた。

 脳を激しく揺さぶられたベガの意識が白く染まっていく。


「上……だとぉ~? あの砂の中を……跳んだのか……」


 そして追撃の……止めの拳打が騎士の胸部中央に炸裂した。


「ごはぁッッ!!!!」


 胸甲がひしゃげてベガが鮮血を吐く。

 よろよろと後ずさる聖堂騎士の手から大戦鎚が砂地に落ちた。


「メチャクチャ……やりやがる……ぜぇ~」


 崩れ落ちるように背中から砂地に倒れたベガ。

 そして一瞬遅れてすでに意識のない聖堂騎士の腕が大地に投げ出されたのだった。


 ベガが昏倒するのと同時に砂漠の風景がぐにゃりと歪む。


 そして2人は元の街道に立っていた。

 砂漠の廃城は幻のように消え失せて被ったはずの砂の痕跡すら残っていない。

 目の前には道の真ん中に転がる聖堂騎士がいる。


 リューは倒れたベガに歩み寄るとその傍らに片膝を突いた。


「ええと。殺しちゃったんです……か?」


 その背に恐る恐る声を掛けたクリスティン。


「いや……殺してはいない。当分は病室の住人だろうがな」


 完全に意識がない事を確認してリューが答えた。


「最初の夜は相手の殺意が明確だったので敵の数を減らす必要があると思い殺した。だが今は事情が違う」


 リューが立ち上がり自分の荷物を拾い上げる。


「今はなるべく殺さずにおいて連中が俺たちの相手は避けるべきだと悟った時の退く道を残しておく。殺せば殺しただけ王妃側も後に退けなくなるだろう」

「そ、そうですね。なるべく殺さずに済ませるのは賛成です」


 ほっとした様子のクリスティン。


「誰かに見られると面倒だ。この場を離れるぞ」

「あ……待ってくださいー、リュー」


 歩き出したリューの後を慌てて追うクリスティンであった。


 ────────────────────


 バルディオン王国領、ダナン。

 1年を通して温暖な気候で過ごしやすく多数の温泉の湧く王国有数の観光地。

 この地には王家の別荘がある。

 そしてその別荘には半年前から皇太子ジェロームが逗留していた。


 バルコニーから広大な庭園の見渡せる一室。

 豪奢に飾られた広間の長椅子にこの豪邸の今の主人の姿がある。


 健康的に日焼けし鍛え上げられた肉体の長身の男。

 ゆるやかにウェーブのかかったブロンドの長髪に舞台役者のような甘いマスク。

 刺繍の施されたガウンを着て優雅に寛いでいる若者……皇太子ジェローム・バルディオン。


「ヒルダリア義母上の所はまだ何やらドタバタとやっているのかね?」


 優雅にクリスタルのグラスを傾けるジェローム。

 その傍らには銀の髪をオールバックにして見事なカイゼル髭の痩せた鷲鼻の男が控えている。

 モノクルを掛けてタキシード姿の中年男。

 侍従長ヴァイスハウプト・メイヤーだ。


「そのようでございますな。聖堂騎士に何人か犠牲者が出ているとか」

「義母上もご苦労な事だ。何をどう悪足掻きしようがこの国は私のものになるというのにな」


 おどけた様子で「困ったものだ」というような仕草をするジェローム。


「……とはいえ、黙って眺めているというのも些か芸がないのではないか? メイヤー」


 僅かに目を細めるジェローム。

 侍従長は慇懃に一礼する。


「おっしゃる通りにございます。既に現地にテオドール卿を向かわせておりまする」

「おお! テオドール・フランシス! 我が親愛なる聖堂騎士団副団長!! 流石だなメイヤー。お前に任せておけば万事手抜かり無しだ」


 上機嫌に手を叩く皇太子に「恐れ入ります」と畏まって頭を下げたメイヤー。


「テオドールがどのような朗報を持ち帰ってくれるのかを楽しみに待つとしよう。さあて、あまりご婦人方を待たせるものではないな。メイヤー、私は湯浴みをしてくることにするよ」

「畏まりましてございます。ごゆっくりお楽しみを……」


 部屋を出ていくジェローム。

 それを頭を下げて見送るメイヤー。

 白い扉が閉まると無表情だった侍従長がグシャッっと不快げに歪んだ。


「……ケッ、なぁ~にが『この国が私のものになる』だよあのクソボンボンが」


 ため息をつきつつぼやくとメイヤーは空のグラスに皇太子の酒を注ぐ。

 そしてテーブルの上の豪華な酒のあてに手を伸ばすと口に放り込んでモグモグやりだした。


「とはいってもこれも出世と大好きなお金ちゃんの為。あんなしょーもない奴にでもペコペコしなきゃいけないんですよね~んだ。は~ぁ宮仕えは辛いよーんってな」


 テーブルに寄りかかってグラスを一気に傾けるメイヤー。


「かぁ~~旨え。さすがバカ御曹司、いい酒飲んじゃってまあ……」

「ああ、そういえばメイヤー。昨日の話だが……」


 そこに急に扉が開いてジェロームが顔を出す。


「ぉボフッッッッ!!!!!!」


 盛大に飲んでいた酒を霧吹きするメイヤーであった。


 ────────────────────


 川縁の船着き場に停泊している大型船。

 そこに今担架で1人の大男が運び込まれていく。

 クリスティンとリューの2人を襲撃して敗北した聖堂騎士ベガである。


 そしてそれを見送る2人の聖堂騎士。


「早々に大隊長の期待を裏切ってくれましたね。1人でやろうとしてこのザマですか……」


 冷たく静かに言い放ったのは大弓を背負い銀の長髪を襟足で束ねたシャープなイメージの男。

 第3大隊所属の聖堂騎士フェルディナント・マティアス。


「そうは言ってもおれたちには『聖域』がある。見かけたら手を出すのはわからんでもない」


 そう答えたのは木箱に腰を下ろして干し芋を食んでいるがっしりとした体格の茶髪の男だ。

 左の頬に斜めに走る古傷があり、それもあって凄みのある顔付の騎士である。

 背負っている愛用の武器は聖遺物アーティファクトである大剣。

 聖堂騎士オーギュスト・ユーグ。


「街道に転がされていたという話でしたが。……何故止めを刺していない?」

「さぁな。時間がなかったって事はなさそうだ。見つかった時に周りに人影はなかったって話だからな」


 腕を組んで疑問を口にするフェルディナントに肩をすくめて答えるオーギュスト。


「そんな見通しのいい場所で面が割れているわけでもない相手に奇襲された可能性は低いでしょう。となれば仕掛けたのはベガで……つまり『聖域』を破られて倒されたという事です」

「実戦を知らん見習いに近い聖堂騎士に可能な芸当じゃないな。連れの小柄な男が手練れだという話だが……そっちか?」


 話しながら「食うか?」というようにフェルディナントに干し芋を差し出したオーギュスト。

 銀髪の騎士は結構というように手を上げる。


「ともかく、敵は聖域を使ったベガを倒すほどの腕だという事です。この任務、当初考えていたよりも大分困難ですよ」

「バラけないほうがよさそうだな。戦闘になったらお前が『聖域』を使え。おれを巻き込んで構わん」


 オーギュストの言葉にフェルディナントの端正な顔が曇る。


「しかし、それは……」

「仕方ないだろ。お前の聖域の中でもおれはまだ戦えるが、おれの聖域にお前を巻き込んだら大幅に弱体化する。いつも話してるだろ。こういう時はそうするしかないんだ」


 聖堂騎士たちの中でも聖遺物アーティファクトと呼ばれる特殊な古代の武具を持つ者たちの使う秘儀『失われしロスト・聖域サンクチュアリ』……この結界術にはいくつかの制約ルールがある。


 発動の際に有効範囲にいるものは敵味方の関係なしに内に取り込んでしまう事。

 内部の攻撃効果は術者以外の全員が等しく受ける事。

 聖域の内部では別の聖域は発生させられない事。

 等である。


 一度展開された結界を破るには術者が自分で解除するか術者を倒すしかない。

 また結界の内部世界と攻撃効果は聖遺物の種類と術者の組み合わせによって決まり同じものは存在しない。

 一度決まった結界世界が別のものになる事はないが、術者の精神的または魔術的な成長により効果が強くなることはある。


「……わかりました」

「よし。じゃあ行くとするか」


 木箱を軋ませてオーギュストが立ち上がった。

 刀傷の男は背後を振り返る。


「お加減の優れない大隊長が回復する頃にはいい報せを届けたいもんだがな」


 そして引かれてきた2頭の馬に跨るオーギュストとフェルディナント。

 2人の聖堂騎士は馬を嘶かせると土埃の舞う街道に消えていった。


 ……一方その頃、第3大隊長キリエッタ・ナウシズは。


「あ~ぁもうダメだ。アタシはダメだ。世界が回ってるよ」


 船着き場の小屋の中でダウンしていた。

 冷たい水で濡らされた布を額に当てて簡易ベッドに転がっている褐色の肌の美人。


 世話をしている船員は愕然としている。


「ええええ……20分くらいしか乗ってないですよお客さん。ほとんど揺れもなかったですし……ていうかもう一晩経ってるのに」

「うるっさいねえ。アタシは船がダメなんだよ。だから渡河するのはイヤだったんだ。これでもマシになった方なんだよ。前なんか10日くらい臥せってたんだからね!」


 非常に情けないことを力強く叫んだ大隊長。

 上体を起こしたキリエッタの額から布がポロっと落ちた。

 船酔いにやられている彼女の顔色は悪い。

 彼女が上陸早々に倒れたのでベガ以外の2人の聖堂騎士は船着き場に1日留まっていたというわけだ。


「……うぅっぷ……」

「ひいいい! 桶桶!! 桶をお持ちしますんで!!」


 口元を押さえるキリエッタに飛び上がる船員。

 すると小屋の外が騒がしくなった。

 どうやら次の船が到着したらしい。


「騒がしいねえ。……あぁ頭に響くったらありゃしない」


 窓から外を見やって愚痴るキリエッタ。


 すると1人の背の高い黒髪の美男子が船着き場に降り立った。


「……!!」


 キリエッタが無言で目を見開く。

 純白のマント姿のその男は軽快な足取りで桟橋を渡ると大きく胸を反らせて深呼吸した。


「んー……空気が実に清々しいな!! そしてこの雄大な草の海!! 大平原よ!! お前とこうして見えるのは何時以来になるだろうか!!」


 舞台上の演者の如くよく通る声で叫んでいる白マント。

 周りの旅客が何事かと驚いている。


(……テオドール副団長!!?)


 奥歯を噛んだキリエッタ。

 聖堂騎士団副団長テオドール・フランシス。

 聖遺物、聖剣フローライトを所持する聖堂騎士団でも最強と噂される男だ。

 そして彼の使う『失われしロスト・聖域サンクチュアリ』……『白き沈黙ガーデン・オブの庭園・ホワイトミュート』に取り込まれた者は絶対に助からないと言われている。

 現団長が高齢の名誉職であるため聖堂騎士団の実質総指揮官とも言える人物である。


「……ああ、先週来てたわ。あっはっはっはっはっは!!」


(あのバカ過ぎるバカっぷり!! 間違いないよ副団長だ!! なんだってこんな時にこっちにいるんだい!?)


 険しいキリエッタの視線の先で、そんな事は露ほども知らないテオドールは無邪気に目の前の光景にはしゃいでいる。


「むむっ! この何とも食欲をそそる香り!! ……おお!! イカを焼いたやつ!! イカを焼いたやつではないか!!!」


 露店に向かったテオドール。

 その勢いに露店のおじさんがビビっている。


「とりあえず今焼いてるやつ全部もらおうか!!」


 バラバラと金貨を撒くテオドール。

 それ1枚でもう露店の全てを買い占めるのに十分すぎる。

 またもビビり散らかす露店のおじさん。


「ううむ旨い!! 旨いなイカを焼いたやつ!!」


 両手にイカ焼きを抱えて頬張っているテオドール。


「おお、ご婦人!! 1ついかがかな!! 旨いぞイカを焼いたやつ!!」


 見ず知らずの高齢のマダムにイカ焼きを押し付けているテオドール。


「むっ? これは……?」


 そのテオドールの動きが急に止まった。

 周辺の人々全員が驚いて彼の様子を見守っている。


「そうだ!! 私は船に酔っていたんだった!! すまないオヤジ!! イカを焼いたやつを持っていてくれ!!」


 露店のおじさんにイカ焼きを押し付けたかと思うとテオドールはダッシュで船着き場の隅っこに移動する。


「……おええええええええええ!!!!」


 ……そして吐いている。

 もう露店のおじさんだけでなくその場にいる全ての人々がビビり散らかして固まっていた。


「わかるよ……。船は辛いんだよねえ……」


 そしてその場で唯一の理解者が小屋から彼を見詰めていた。


 ────────────────────


 クリスティンとリューの二人は聖堂騎士ベガの追撃を退けた後、街道を進み北上を続けていた。


「そういえば……」


 街道を早足で進みながらふと何かを思いついたらしいクリス。


「第3のあの人の使った砂漠に送られちゃうあれは、持ってた武器を使った能力だって言ってましたよね?」

「そうだな」


 頷くリュー。

 武具を媒介にした結界術だと聖堂騎士ベガは言っていた。


「そのままにしてきちゃってよかったんですか?」

「持ち去ることも考えたが、あれが連中にとってどのくらいの価値のものなのかわからん。奪った事が奴らがこちらを追う理由に追加されるようだと面倒だ」


 聖遺物と言われるようなアイテムである。

 かなりの価値があると考えるのが自然だろう。

 奪われたとなれば取り返そうとしてくるはずだ。


「川に投げ捨てることも考えたが、それで騎士団がこちらが持ち去ったと判断するかもしれないからな」

「なるほど……」


 いろいろ考えた末にあえてリューは武具をそのままにしてきたという事だ。


「私もあれを持ったらああいう事ができるようになるんでしょうか」

「わからん。だが、お前は聖堂騎士だったのだから、何事もなければいつかはそうなっていた未来もあったかもしれないな」


 武器を媒介にしているとは言っていたが、持てば誰でも使えるような能力ではないだろうとリューは考える。

 恐らくは本人の素養も重要なはずだ。


「使ってみたいのか?」

「個人的に欲しいというわけではないんですけど、こういう事態ですから使えればリューのお力になれるかなって」


 苦笑するクリス。

 戦闘も役割の1つではある聖堂騎士団に入ったものの、まさかこんな戦闘まみれの日々が来るとは予想もしていなかった彼女である。


「力は……あればあっただけ災難も呼び込む」


 それはクリスに向けたというよりかは独白のような言い方だった。

 隣を歩く男の顔をなんとなく窺うクリスティン。


「リューはよく奥が深そうな事を言いますね。お若いのに」

「俺など22の若輩だ。世の中の何を知っているわけでもない」


 その言葉に一瞬クリスがポカンとする。


「……と、年上だったんですね。失礼しました」


 恐縮して何度も頭を下げるクリス。


「別にいい。身長のせいか若く見られることには慣れているからな」


 どこか達観したように言ってからリューは目を閉じて嘆息するのであった。




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