第3話 ザハ三兄弟

 飛跳ランドホッパーと呼ばれる大型の騎乗用昆虫に乗って現れた獣人の戦士たち。

 豹頭の獣人の他にはガゼルの頭部を持つ者やサイの頭部を持つ者など獣の種類はバラバラだ。

 彼らは各々武器を構えてクリスティンとリクと呼ばれた犬系の獣人の子供を取り囲んだ。


「その様子では保護者の方というわけではなさそうですね」


 豹の男に鋭い矛の先を突き付けられながらクリスは自分の背にリクを庇う。

 彼女の背にはリクの震えが伝わってきている。


「保護ならしてやるさ。その為に迎えに来たんだからな。女はどいてろ。人間には関係のねえ話だ」


 豹頭の戦士は矛を持ち上げ切っ先をクリスの顎の下に当てた。


「……しゃしゃり出てきて大怪我したんじゃつまらねえぞ?」


 総じて獣人とは人間と比べて身体能力に優れている。

 部族にあっては狩猟生活を送る者が大半で、人間社会に出てきては傭兵を生業とする者もいる。

 戦場での獣人は辣腕の戦士として恐れられているのだ。


 ……その獣人の矛を無言でいきなりクリスはひったくった。


「……!?」


 油断していた事もあるとはいえ武器を一瞬にして奪われた獣人は目を見開く。


「こんなものを出してきて……小さな子が怖がるでしょう」

「くそッ!! 返しやがれ!!!」


 クリスの手から矛を奪い返した獣人。


「おわぁッッッ!!??」


 だがその先端の刃は渦巻き型に丸められてしまっている。


「何しやがる!! くそッ!! ふんッッ!!!」


 力を入れて刃を元の形に戻そうとする獣人。

 しかし丸まった刃はまったく動かない。


「……その辺にしておけ」


 いつの間にか獣人たちのすぐ隣までリューが来ている。

 吹き抜ける風が男の赤い髪を揺らしている。


「なんだお前は!! 引っ込んでやがれチビ助が!!」


 声を荒げる大きな斧を手にしたサイの獣人。

 体格を揶揄してくるだけあって彼は獣人たちの集団の中でも一際身体が大きい。


「ここで引いておかないと、恥をかく事になるぞ」

「面白え! やってみやがれ!!」


 武器を使うまでも無いと思ったのかサイの獣人は武器を持っていない左手をリューに向けて伸ばす。

 赤い髪の男は目を閉じて嘆息した。


「……やれやれ」


 自らの頭部を鷲掴みにせんと伸びてきた腕をスッと首を傾けてかわしリューは獣人の懐に入る。

 その距離はもう数cmしか離れていない。

 肘を曲げたままリューは握り拳を相手の腹に当てた。


 ……ズンッ!!!


 クリスには何が起きたのか理解できなかった。

 リューはただ相手の腹に握り拳を当てただけのように見えたのだが……。


 次の瞬間低い打撃音が響いてサイの獣人は数m吹き飛んだ。


 地面に投げ出され四肢を広げて仰向けに転がった獣人は半開きの口から舌を出して昏倒している。


「なんだコイツら!?」

「普通じゃねえぞ!!!」


 残りの獣人たちが露骨に動揺してうろたえ始めた。


「……お前ら、えらい事をしちまったぞ。オレたちに歯向かったって事は、の方々に歯向かったって事だ」


 豹頭の獣人が凄んだ。

 ザハ三兄弟……その名が出た途端残りの獣人たちの表情が凍り付く。


「ザハ三兄弟?」

「知らねえならこれから思い知る事になるぜ。……せいぜいその時になって泣き叫ばねえようにするこったな!!」


 捨て台詞を残すと獣人たちは次々に大バッタに跨り離脱していく。


「ああ、こら! お友達を忘れてますよ!! そんなぐにゃぐにゃの武器持って帰るくらいならこの人連れてってください!!」


 地面に転がったままのサイの獣人を指差して逃げ去る獣人たちにクリスが叫んだ。


「なんですか? ザハ三兄弟って」

「……知らん」


 そっけなく答えるリュー。


(うう、リュー怒ってます……?)


 普段より3割り増しでぶっきらぼうに見えるのはやっぱり自分の独断専行が原因だろうかと、クリスは今になって少し落ち込む。


「ザハ三兄弟はザハ族を仕切ってる3人組だよ。凄く強くて……誰も逆らえないんだ……」


 まだクリスの裾を掴んで震えているリク。

 沈んだ声で言う獣人の少年の頭をクリスが優しく撫でた。


 ……すると、きゅるる、と少年の腹の虫がなる。


「腹を空かしているのか」


 リューの声にリクがビクッと肩を震わせた。


「付いて来い」


 そう言ってリューはスタスタと歩き出してしまった。

 残されたクリスとリクは顔を見合わせてからその後を追う。


 元の宿に戻ってきたリューたち。

 1階の食堂に入ると宿の主人は不快感を隠そうともせずに声を荒げた。


「おい! 獣人のガキなんぞ連れてくるんじゃねえ! どんなトラブルに巻き込まれるかわかったもんじゃねえぜ!!」

「飯を食わす間だけだ。厨房を借りるぞ。食材も使わせてもらう」


 リューがピンと親指で金貨を1枚弾くと主人がそれを両手でキャッチする。


「……チッ、飯の間だけだぞ」


 飛んできた金貨が本物であるらしい事を確認すると主人は渋々そう言った。


「席で待っていろ」


 リューはそう言い残して厨房に入っていった。


 クリスが促さなくてもリクは素直に椅子に座る。


「麺がないじゃないか」


 厨房からリューの不満げな声が聞こえてくる。


「あぁ? あるわけねえだろうが、そんなもん」


 鼻を鳴らして返事をする主人。


「なんだと……死にたいのか」

「ヒィッ!? す、すいません!!」


 厨房から聞こえてきた低い声には本当に殺されそうな圧があった。

 思わずびびった主人が謝っている。


 俯いているリクに何か話しかけたほうがいいのだろうかとクリスが必至に話題を考えていると厨房からいい匂いが漂ってくる。


「わぁ、いい匂い……」


 先ほど食事を終えたばかりだというのにもうお腹の空く匂いである。


「おい……随分美味そうな匂いをさせてるじゃねえかよ。貸し賃のついでだ。俺の分も出してもらおうか」

「いいだろう」


 厨房に向かって要求する主人に了解の返事をするリューであった。


 ────────────────────────


 やがて運ばれてきた料理は野菜を中心とした炒め物とスープの2品だった。


「今から麺を打つわけにもいかん。ラーメンは諦めろ」


 配膳するリュー。

 リクはそもそもラーメンが何かわかっていないらしく首を傾げている。


「うはは! 美味え! こりゃ美味えぞ!!」


 先に配膳された主人は早速がつがつと料理を貪っており上機嫌だ。


「あ、あの……私の分は……」

「俺たちはさっき食事を終えたばかりだろう」


 予想していた通りの返事がきて肩を落とすクリスティン。


 リクもたどたどしくフォークとスプーンを使いながら無心に食べている。


「おいこりゃ本当にうちの食材で作ったのか? 信じられねえ」

「そうだ。少しの工夫でこの程度のものは作れる。お前の扱い方では食材にも失礼だ」


 主人に辛らつな物言いをするリュー。


「くそう、ハラの立つ野郎だがこいつを食わされちゃ文句も言えねえぜ」


 顔をしかめつつも食事の手は止まらない主人だ。


「……あの……リュー……ごめんなさい」

「何がだ」


 謝罪するクリスの方をリューが見る。


「勝手に飛び出していってしまって……私たちは今大変な状況なのに」

「……………………………」


 眉間に皺を寄せて不機嫌そうなリュー。

 だが、これは彼の常からの表情であり特段不機嫌なわけではないとクリスはわかってきた。


「確かに、関わるべきではなかったかもしれん」


 そう言ってから彼は目を閉じた。


「……だが、譲れないものがあったんだろう?」

「はい。……その、考えてしまって。自分が大変だからというのは、困っている人に手を差し伸べない理由になるのかなって」


 俯き気味にぼそぼそとクリスは言う。


「なら、それでいい。誰にでも譲れないものはある」


 それきり2人の会話は途絶えたがそこからの沈黙は険悪な雰囲気のものではなかった。


 少年が食事を終えるのを見計らったかのようなタイミングで店の戸が開く。

 入ってきたのは立派な体格の灰色の毛の狼の獣人だ。


「……お父さん!」


 ガタッと椅子を鳴らしてリクが立ち上がった。


「リク、無事か」


 狼の獣人はそう言うと周囲の様子を見回す。


「お前たち、見ず知らずの獣人の子供を助けて食事を与えたのか」

「腹を空かせた者に人間も獣人もない」


 相変わらずのそっけない物言いのリュー。

 すると獣人の男は床に両膝を突いてその膝のやや上あたりに両手を置き深く頭を下げた。


「感謝する。俺はレン族のラザン。名前を聞いてもいいか?」


 二人が名乗るとラザンは立ち上がる。


「クリスティンと、そしてリューか。この恩は忘れない。部族を訪れてくれと言いたいのだが、今は草原はどこも危険だ。……十分に恩返しもできない事が心苦しい」

「その話を聞きたいが。飯が終わるまでという約束だ。場所を変えるか」


 リューがそう言って立ち上がると宿の主人が煩わしそうに手を振った。


「あーあー、構わねえよ。ここまできちまったら一緒だろうが。ここで話をしていきやがれ」

「そうか。すまんな」


 礼を言うリュー。

 主人の態度も少しは軟化したのも美味しい食事効果だろうかとクリスは思った。


 ラザンが席に着く。

 父に抱かれたリクは安心したのかうとうとしているようだ。


「ザハ族は水牛の獣人たちの一族で元々は大平原の単なる一部族だった。だが、ある時この部族にゴルドという半獣人が現れた」


 語り始めるラザン。

 半獣人とは完全な獣の頭部の獣人と違い、人に近い容姿を持ち角や耳など一部が獣の部位をした者たちの総称である。

 主に人間と獣人との混血によって生まれてくるが、人の血が血統に混じっていると数世代を隔てて生まれてくる事もある。


「ゴルドは優れた戦士でその腕で一族の者を従わせて頭首となった。そしてそれのみに留まらずに周辺のほかの部族を侵略し始めたのだ。力で制圧して従わせいくつかの部族を吸収してザハ族は大きくなっていった」


 先ほどの獣人たちを思い出すクリスティン。

 彼らが様々な獣人たちの混成部隊なのはそういう事情からだったのだ。


「ゴルドは選りすぐった他種族の戦士2人と義兄弟の契りを結んだ。その3人はザハの三兄弟と呼ばれて今もザハ族を率いて周辺の部族を侵略し続けている。我らレン族とも小競り合いが続いていてな」


 物憂げに視線を伏せたラザン。


「俺は一族の戦士長を務めている。連中にとっては目の上のたんこぶのような存在だろう。息子は戦っている俺たちの為に薬草を摘みに行っている時に襲われたのだ。話を聞いて慌てて駆けつけた」


 腕の中の息子を見る灰色狼の男。

 その視線は穏やかで優しい。


「……恩人にこんな事を言わねばならないのは心苦しいのだが、お前たちはすぐに大平原からなるべく離れた方がいい。ザハ族が報復の為に狙ってくるかもしれない」

「は、はい。ありがとうございます。ラザンさん」


 ラザンは再度深く頭を下げると息子を抱いて宿を出る。

 その時、腕の中のリクが目を覚ました。

 父親と帰るのだと気付いた少年が手を振った。


「……またね」


 そんなリクに笑顔で小さくクリスも手を振り返したのだった。


 ────────────────────────


 大平原の覇者の座を狙うザハ一族の三兄弟。

 その報復の動きは2人が思っていたよりもずっと迅速だった。


 翌日の明け方、まだ日も昇りきらない内の事。


「……起きろ、クリスティン」

「ふえ……?」


 リューの声に起こされたクリス。

 ベッドの上で寝ぼけ眼をこする。


「ヤツらだ。早かったな。まだ踏み込んできてはいないが急いで着替えろ」

「!?」


 言われて気付く、宿の外の喧騒。


「出てこい! デカ女ぁ!!」

「昨日の礼に来てやったぜえ!!!」


 下品な雄叫びが聞こえてくる。


「あわわ、なんて嬉しくないお誘い……」


 ため息をつきながら慌てて旅装に着替えるクリス。

 クリスが着替え終わった頃に真っ青な顔の宿の主人が飛び込んできた。


「お、おい! どうすんだ!? どうすんだ……!!?」


 うろたえる主人に落ち着け、というようにリューが片手を上げる。


「心配するな。すぐ出て行く」

「で、出ていくってお前よお。裏口があっからそっちから逃げるか!?」


 窓枠から腰を上げたリューが首を横に振る。


「そんな事をしても無意味だ。宿は傷付けさせない。世話になったな」


 そう言うとリューは何やらポケットから取り出した二つ折りのメモを主人に手渡す。


「昨日俺が言っていた『工夫』のメモだ。どうせ同じものを使って飯を出すなら相手に美味いと言わせた方がお前も気分がいいだろう」

「………………………………」


 手の中のメモとリューの顔を交互に見る主人。


「お、お世話になりました」


 ぎこちない笑みで頭を下げたクリスがリューと部屋を出て行く。


 そして何も出来ず、何も言えない立ち尽くす主人が部屋に残された。


 宿は十重二十重に獣人たちに取り囲まれていた。


 正面の入り口から2人が出てくると包囲の獣人たちのボルテージが一段と上がる。


「……………………………」


 思わず言葉を失ったクリスティン。

 彼女の視線の先には象のような大きさの黒光りする甲虫がいた。


 ……そして、その鞍上にいる巨躯の男。


「手下どもが世話になったらしいな」


 2m半もの筋肉質な巨体に濃い顎鬚を生やし頭部の両脇には立派な水牛の角を生やした男。

 襟にファーをあしらった戦闘用のロングコートを着用しており、背には何かの骨を削りだしたような形状の大剣を背負っている。


 ゴルド・ザハ。

 三兄弟長兄にして一族を率いる最強の戦士。


「ギッギッギッ、兄者……本当に2人じゃねえか。兄者が来るほどの事もなかったのによ」


 そう耳障りな笑い声を上げたのは襟巻き状のヒレを持つトカゲの獣人である。

 ひょろりとした長身でこの男もまた背丈が2m以上ある。

 兄と同じ戦装束に背には斧槍を背負っている。

 三兄弟次兄のギエロ・ザハ。


「兄ぢゃん、兄ぢゃん! オデの相手はどいつなんだ? オデはどいつを殺せばいいんだよぅ!?」


 訛った声で叫んだのは黒い毛並みの熊の獣人。

 三兄弟末弟、ラグ・ザハ。

 兄弟の中でも随一の体躯を誇り身長は3m近くにもなる。

 横幅も兄弟一だ。

 巨大な両刃の大戦斧を2つ背負っている。


 そしてその三兄弟の他にも武装した百を越える獣人たち。

 周囲の状況はまるで戦場である。


「わわわ、どうしましょう……」

「…………………………」


 流石に困り果てた様子のクリス。

 その彼女の言葉にリューは黙ったままだ。

 今も彼の脳は高速で稼動している。

 リューの頭の中には周辺の建物の配置や地形は全てインプットされている。

 この状況を切り抜けるには逃げながら戦い一度に少数を相手にする。

 そうして数を減らしていくしかない。


 警戒しなければならないのはいきなり大物が前に出てきた場合と……。


「……あっ……」

「!!」


 短い声を上げたクリスの上体がぐらっと傾いた。

 リューがその光景に眉を揺らす。


 警戒するべきは……飛び道具。


 クリスの首筋に吹き矢が刺さっている。

 吹き矢には毒を塗るのが通例だ。

 意識を失い、そのまま地面に崩れ落ちるクリス。


 背後を振り返ったリューの視線の先には宿の壁に張り付いているカメレオンの獣人。


「ゲゲッ。当たったぞ」


 その手に吹き矢の筒があった。


「……クリスティン!」


 駆け寄ろうとしたリューが一転バッと後方に身を退く。

 一瞬前まで彼のいた場所を斧槍が鋭く突いてきた。

 風を切り虚空を突く鋭い切っ先。


「おっとォ。お前の相手はオレだぜ! ギギギギッ!!」


 次兄ギエロの繰り出した斧槍ハルバードだ。

 その一撃を回避しながら鋭く拳打を放つリューだが、トカゲの男も巧みに上体を捻ってその拳をかわした。


「どけ!!!」

「ギギッ! そういきり立つなよ!! あのデカ女はなんだ? お前のつがいか!?」


 嵐のようなリューの連撃を体捌きと武器を操りしのぐギエロ。

 ベロリとその口から長い尖った舌が覗く。


「……ギエロ!! もういいぞ」


 轟いた大声に両者の動きが止まる。

 見ると長兄ゴルドの跨る甲虫の背に獣人たちがクリスティンを乗せている。


「……ッ!」


 奥歯を噛むリュー。

 だがゴルドの甲虫までは獣人たちが無数に身構えており駆け寄る事もできない。


「チッ、お終いか。遊び足りねえぜ」


 斧槍を肩に担ぐとギエロが嘆息する。

 長兄ゴルドが手を上げて全員に合図する。


「引き上げるぞお前たち。……小僧、気が済まないなら追ってくるんだな。オレたちの……ザハ族の領地エリアまでな」


 そう言うとゴルドは手綱を引き、甲虫は羽を広げて飛び上がった。

 その背には意識の無いクリスティンが乗せられている。


「……まあ、そいつらを片付ける事ができたらの話だがなぁ。ラグ、遊んでやりな」


 言い残してギエロもバッタの背に跨る。


「おおおお!! オデの出番か!! 殺していいのか!!」


 両手に1本ずつ戦斧を持ち巨大な漆黒の壁となってリューの眼前に立ちはだかった末弟ラグ。


「そいつの毛皮はとびっきり分厚いぜ。お得意のパンチが通じるといいなぁ、ギギギッ」


 最後にそう耳障りな笑い声を残してギエロの駆る飛跳蟲が飛翔する。

 ラグの他にも20名近い獣人たちがその場に残っている。


「おがああああああッッッッ!!!!!」


 咆哮を上げて戦斧を叩き付けてくるラグ。

 リューが回避するとその一撃は地面を砕き茶色い土の塊が周囲に飛び散った。


「避けんじゃねぇぇぇッッッ!!!」


 喚きながら熊の獣人は両手の斧を滅茶苦茶に振り回してくる。

 その様はまるで駄々っ子だ。

 一撃の威力は凄いのだろうが隙だらけであり攻撃を回避する事もその合間にこちらが打撃を入れる事も容易である。


 ……だが。


(なるほど、頑丈だ)


 眉を顰めたリュー。

 何度か叩き込んだ打撃が通じている気配がまったくない。

 先ほどギエロが言い残していったように分厚い毛皮で生半可な攻撃は封殺してしまうようだ。


 出鱈目な相手の攻撃を避けながら少しずつ宿から離れるリュー。

 宿は傷付けさせないと言って出てきた。

 一方的な宣言ではあるが、彼の中ではそれは約束だ。


 ……約束は大切で重いものだ。


『いつか俺にラーメンを作りにこいよ。今まで食ったラーメンの中で一番美味えって言わせてみな』


 記憶の中に蘇った懐かしい声。

 今の自分は……約束を守るために生きている。


 リューは足を止めて振り返る。

 暴れながら猛然と迫ってくる巨大な黒い熊の獣人と真正面で対峙する。


(このあたりでいいだろう)


 腰を低く落とし、構える。

 この位置ならもう宿に影響はないだろう。


 ……つまり、本気を出してもいいという事だ。


「食らえ!! 食らえよぉ!! オデの攻撃をよぉぉッッ!!!」


 神速の踏み込みで獣人の懐に入る。

 そのまま勢いを殺さず、掌で腹を打つ。


 透徹拳。

 分厚い防御を抜いて内部に直接衝撃を発生させる拳術。


「効かねぇぇ!! 効かねえんだよオメエの攻撃なん…………あぇ???」


 獣人の動きが止まった。

 そのままフラフラと巨躯が後ずさっていく。


「何だこれぇ!? 何かおかしい……おかしいぞオデの身体ぁ!!! 兄ぢゃん!! オデどうなって……おぶゥふッッッ!!!!!!」


 真上を見上げ、口から盛大に噴水のように鮮血を噴出したラグ。

 武器を落とし、両手で胸を掻き毟るような仕草をする熊人。

 そして轟音を響かせ巨体が崩れ落ちる。


「そ、そんなぁ!? ラグ様が……!!??」

「ありえねえ! あのバケモノみたいなラグ様を!!!」


 残されたザハの戦士たちが恐慌状態に陥っている。

 そこへヒュンヒュンと風きり音を響かせ無数の矢が飛来した。


「ぐへッッ!!」

「うぐぁ!!」


 射抜かれたザハの戦士たちが次々に倒れていく。

 次いで無数の蹄の音が聞こえ、その場に馬に跨った大勢の獣人たちが現れた。


 皆、狼の獣人だ。全員が武装している。

 その中に1人見知った顔があった。

 戦士長のラザンだ。


「無事か! リュー!! ザハの動きを知って一族と共に掛けつけてきた!!」


 構えていた弓を背に戻すラザン。


「……クリスティンはどうした?」

「ラザン、いい所に来てくれた。ザハの領地はどの方角か教えてくれ」


 リューが馬上のラザンを見上げる。


「クリスティンを迎えに行かなければならん」

「……!!!」


 その言葉に一瞬ラザンが痛ましげに目を閉じる。

 だがすぐに狼族の戦士は決意の光を宿した瞳でリューを見た。


「わかった。ならば我らも同行する。恩人の危機に立ち上がらなかったとあれば誇り高きレン族の名折れ。一緒に戦わせてもらおう」


 ラザンの言葉に肯くレン族の戦士たち。


「そうか。……ではよろしく頼む」


 静かに言うとリューは目を閉じて肯いた。




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