第24話 好きな人〈渚咲〉


「―――――あれ、優雨と雫ちゃんは?」



後ろを歩いていたはずの二人がいつの間にかいなくなっていたのに気づき、私は小さく首をかしげる。

二人なら保健室に行くのが見えたよ、と言った陸の言葉に、私は顔が少しだけ強張るのが分かった。



「二人で、ですか?」

「うん。優雨君が熱中症だったみたいで」

「そう、ですか」



優雨がもう一度サッカーをしているところを思い出し、私は体操服の裾を握る。

あんなに楽しそうにしていた彼のプレーがもう一度見られたことにあの場ではとても感謝したけれど、それが必ずしも本人にとっていいことではないことを忘れていた。


そんな自分に少し落ち込んだ後、「でも、優雨君さっきよりも体調よさそうに見えたから大丈夫だと思う」と陸がにっこりと笑う。

春輝が絡むこと以外は本当に好青年であるその人に笑顔でお礼を言った後、私は小さく息を吐いた。



(大丈夫。――――――大丈夫)



今年こそ。今年こそ、言うんだ。



「渚咲? 早く女子も着替え場所いかないと、次の授業始まるぞ?」



隣を歩いている、自身の大切な友達に、これ以上迷惑をかけないためにも。



「…………うん。そういえば、優雨を連れて行って着替える時間ないだろうし、保健室に雫ちゃんの着替え持っていこうかな」




―――――彼の隣を歩ける人が、私や春輝の他にできる前に。



今年こそ、絶対に云う告るんだ。



(……………まあ、もう一人いるけれど)



そう小さく決意を固めながらも視線を地面に落とした私を見つめている視線に、私は気づかなかった。






◇◇◇◇◇






「保健室、保健室っと」



きょろきょろと辺りを見渡しているが、生憎保健室に一度もお世話になったことがないため方角が分からない。

うーん? と首を傾げて周りをもう一度仰ぎ見ると、着替えた制服のポケットの中で、貴金属が擦れる音がわずかに聞こえた。



「うん、ちゃんと入ってる」



私はポケットに手を突っ込んでそれを取り出し、光にかざす。

太陽の光に反射してキラキラと輝いたそれは、去年と何ら変わっている気配はなかった。


―――――金色の鍵チャーム。


春野高校でしか売っていないそれは、毎年ある時期にだけ爆発的に売れる。

風に乗って揺れているそれを数秒見た後、私はそれをポケットに戻した。



「あ、あった」



『保健室』と書かれたプレートを見て、私は小走りにそちらへと駆け出す。

ガラリ、と扉を開けると、氷を持っている雫ちゃんが一人で何かを探していた。



「あ、渚咲さん」



パッと顔を輝かせて駆け寄ってくる自身の友達に顔が綻ぶ。

アイスブルーの髪を体育の時だけ高いところで結んでいた姿を思い出し、私は笑顔になるのが分かった。



「そういえば雫ちゃん、バスケ上手かったよね! 思わず見とれちゃった!」

「そ、そうですか…………? お役に立てたのならよかったです!」



とても嬉しそうに彼女が笑うだけで、私も嬉しい。

けれど彼女の紅潮している頬はそれだけじゃない気がして、私は小さく首を傾げた。



「雫ちゃん? なんか、顔赤くない?」

「あっ」



それで何かを思い出したようにまた頬を赤く染めた友達は、とてもかわいい。

けれどそれが何か嫌な予感だと思えて―――――そんなことを思ってしまう自分が嫌だった。


顔を赤くしたまま、どこか怒ったように彼女が口を開く。



「さっきですね、優雨と熱中症じゃない? って話をしてたんですけど、いきなり優雨が『顔が近い!』っていきなり怒って」

「……………」



声が、出ない。


だって彼は、他人の距離感なんて気にしないタイプだ。

どれだけ離れてても――――――どれだけ近くても、彼は「その人の一種の個性だよ」と飄々としているからだ。


だから、彼のことが好きになった女子の好意にさえ気づかないことだって多々あって、でも、それじゃあ。



「…………それで、逆にこっちが突っ込みたいくらい顔が近くなって、もうほんとに人のこと言えないよねって感じで!」



途中からヒートアップしていったのか、敬語が外れていった友達のそれが、いつもなら嬉しいはずなのに。


『彼から近づいた』という事実にあまりにも衝撃を受けて、私はどんどん自身の顔が強張っていくのが分かった。



「…………あの、渚咲さん?」

「え、…………あ」



いつの間にか、心配そうに顔を覗き込んできた彼女に、私はやっと声が出てくる。

それでも普通にしゃべりたい気持ちとは裏腹に、私の体は一歩後ろに退いた。



「渚咲さん? 渚咲さんも、体調があんまりよくないとか、」

「いや、大丈夫だよ?」



強張る顔の中無理やり笑顔を浮かべると、彼女は一歩近づいた。

それに2歩、3歩とさらに後ずさると、彼女は少しだけ目を見開いて、…………そして伏せた。



「……………すみません」

「なに、が」

「少し、慣れ慣れしすぎましたかね」



敬語も途中で外れちゃったし、と哀しそうに笑う友達に、言葉が出てこない。

そんなことない、という言葉は、代わりに呼吸の音だけとなった。



嫌になる沈黙の中、不意にガラリとドアが開く。

それにハッとして音の主を仰ぎ見ると、ちょうどその話をしていた本人が顔を出した。



「―――――あれ、渚咲? どうしたんだ?」

「なっ、なんにもないっ」



優雨のことを真っすぐ見ることができなくて、私は思わず顔ごと伏せる。

そのまま小走りで優雨の横を通り過ぎると、私は「お邪魔しましたっ」と小さく呟いてドアを閉めた。



そのままずっと、顔を下にしたまま、校舎の外に出た。

頬を流れ落ちるこれは、きっと汗だ。



哀しそうに笑う、最近できたばかりの大切な友達と――――――驚いたように目を瞬く優雨好きな人の姿。



それにギリギリと胸が痛みしゃがみこむと、ポケットの中から小さく音がした。




「………………この、チャーム」




結局、渡せなかったな。



そう言って、私はそれを握り締めたままうずくまった。

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