第23話 邪魔しちゃって


「おつかれ、優雨」



背後からかけられた声に驚いて振り返ると、アイスブルーの長い髪をたなびかせた美少女が佇んでいる。

その横に渚咲と、そして陸が隣で笑っているのを見て、陸は女子―――――まあ渚咲の方を見に行ってたのだろうとわかった。


なんとも間の悪いセコムである。



「あ、姫宮さん! それと渚咲!」

「私はおまけだと」



春輝がそう言って手を上げると、渚咲が呆れたような顔をしながらこちらへ近づいてくる。

それに俺が片手を上げて手を振ると、二人は小さく手を振り返した。



「優雨、上手かったね。どこかで習ってたの?」

「昔部活でやってたんだよ」

「なるほど。確かに上手いわけだ」



俺が端的に返すと、雫は一つ頷いてそれ以上触れてこようとはしてこない。

それがありがたく感じながらも、着替えのために俺たちは校舎の方へ並んで歩き始めた。


その少し前を春輝と陸、そして渚咲が何事かを喋りながら歩いている。

時折「そこで雫ちゃんが大活躍して!」と興奮気味に話している凪咲の声が聞こえるそれをなんともなしに見ていると、「ねえ」と雫が口を開いた。



「なんだ?」

「私さー」

「おー。……………あ、ちょっと待って」



靴紐ほどけた、と言って俺がしゃがみ込むと、雫は同じように足を止める。

けれどなぜかいつも通りに結ぶことができず、春輝たちが遠ざかっていくのが横目に見えた。



「……………あれ」



視界がぐらりと揺れる。

やばい、と反射的に思った瞬間、細い………………けれどしっかりとした腕に支えられた。



「なにやってるの、優雨」

「いや、…………何やってるんだろうな」

「何を言っているのかな君は」



全く、と雫が呟き、怒っているような口調ながらも心配の色が強く出ている彼女に手を振る。

大丈夫だって、という言葉とともに俺が立ち上がると、やっぱり眩暈はしない。


それに少し眉を寄せた雫は、少しだけ顔をしかめて手を上げた。



「雫?」

「――――――動かないで」



あまりにも真剣な声音に、俺は思わずピッと直立不動になる。

しかし次の瞬間、「よろしい」と満足げに笑った雫の造形美がぐっと近づいてきて、俺は思わず息をのんだ。



「………………っっっっち」



(近い近い近い近い近い!!!!!)



熱を測るためだろう、こつん、と当たった額は微かに冷たく、それが気持ちいい。

だが、俺はそんなことよりも目の前に迫った淡紫アメジストの大きな瞳に、俺は大きく意識を持っていかれていた。



「いやしずっ、しずく」

「んー? ちょっと熱っぽい?」

「いやっ、ちょ、そうじゃ、」

「前もこんな感じだったでしょ?」

「知るかそんなん!」



確かに男(だと思っていた)とき、これくらいの距離感なら当たり前だった。

それに前の屋上でもこのぐらいの距離感になって少し慌てたりはしたが――――――なんか、…………なんか。



ドッドッドッド、と早鐘を打つ心臓を体操服ごともろに握りしめると、ゆっくりと雫の顔が遠ざかっていく。

それに一種の安堵と落胆を感じ―――――って、落胆ってない、ないから。



「しっ、雫」

「何、優雨? 声すごい裏返ってるけど大丈夫そう? あと多分熱中症だから保健室に、」

「お前、本当に警戒心なさすぎなんだよ」



冷たいもの用意しなくちゃ、と言ってハンカチを濡らし始めた雫をやや無理やり振り向かせ、俺は水道場に手をつく。

へ、と口を小さく開けた雫へ、俺は端的に問題点を告げた。



「顔が近すぎる。誰にでもそうなのか?」

「いっ、いや、熱を測るにはこれが一番って…………」

「いやどこソースだよそれ」



俺が思わず呟くと、「家族とよくやってたから…………」と雫がなぜか目をそらしながらぼそぼそと答える。

それに小さくため息をつくと、彼女はじとりと俺を上目遣いでにらみ上げた。



「ゆ、優雨こそ今の状況わかってるの?」

「今の状況?」



俺が小さく首をかしげると、彼女はなぜか息を大きく吸って―――――水道場と俺との隙間から抜け出す。

きっと涙目で睨みつけた彼女は、どこか怒ったような足取りで「っ先に保健室で氷とってくるから、早く来ておでこ冷やして!」と言い残して去っていく。


それに呆然として立ち尽くしていると、近くにいた小学生らしき子供が、母だと思われる袖をぐいぐいと引っ張っていた。



「ねえねえおかーさん! あれ、おかーさんのテレビで見たよ! かべどんっていうんでしょ!」

「しっ、静かにしてなさい!」



そして俺をちらりと伺ったその女の人は、なぜか小さく口元に笑みを浮かべながら「邪魔しちゃってごめんなさいね~」とお辞儀して去っていく。

それに何も返せずにただ立ち尽くして数十秒経った時、俺はその言葉の意味を遅れて理解した。



「か、かべどっ」



え? あれってそうなるの? ただあいつが説教の途中で逃げられないようにしただけで、って、それが本来の壁ドンの目的なんだっけ? 敵を途中で逃げられなくするっていうやつだっけ!?



違う違う違う、と頭を抱えていると、雫の前ではなんとか誤魔化していた頬の熱さが蘇ってくる。



ああああああああああああああ……………と小さく呻いた声は青く透き通った空に消えて行って、俺はやっぱり頭を抱えた。



「死ぬ……………」



なんだよこの感情これ……………と呟いた言葉には、やっぱり誰も答えてくれない。


—————いつの間にか、胸に居座っていた黒い感情はなくなっていた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――





あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

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